月風穂

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2/13/2024, 12:23:32 PM

【待ってて】

私は待っている者を助けることができなかった。
私が小学生の頃の話である。

私はその頃ゲームが好きであった。
友だちもみんなやっており、任天堂歴でいうとDSが出るくらいの時分であった。
私がはまっていたのは『ポケモン不思議のダンジョン』とかいうゲームだ。

自分がポケモンとなって、他のポケモンたちと戦いながら救助を求めるポケモンを助けたりするゲームである。
あるポケモンが、
「棟から出られなくなったから助けにきてほしい。お礼は弾む。」
という内容で救出を求めていた。
お礼に目が眩んだ私は、仲間たちと助けに行くこととにした。
「待ってて!」と意気揚々と向かう。
だが思ったよりもステージが難しく、なかなか助けることができない。
私のプライベートも忙しくなり、ゲームをする時間がなくなっていった。
中学になりゲームはほぼしなくなっていた。

あの頃私に助けを求めていたポケモンは、今でもあの棟で助けを待っているのだ。
私は無情にも助ける力を持ち得ていなかったのである。
15年ほどの時を経て、ゲーム機も壊れてしまっていた。
つまり私が救出に向かう術は断たれたのである。
彼らの人生が続いているのならば、同様に15年の月日が流れているのだ。
あのポケモンはまだあの棟にいるのだろうか?
15年も経てば自力で棟から出られたのではないだろうか?
他の捜査員が助けに行ったのではないか?
待て、私でも手こずったあの棟だぞ?行けるのか?
いや、それとももうすでに…。


私は助けを求めている者を助けることができなかったのだ。
できないことはできないと言うことが大切であることを学んだのである。
欲に目が眩んでも、私ができることに集中すべきなのだ。
さすがは天下のポケモンである。
ゲームができなくなっても深い示唆を与えてくれるのだ。

もしもあのポケモンがまだ助けを求めているのならば、それは大バカである。
私にもできないことがあるのだ。勝手に期待されても困る。
貴様も助けを待つのではなく頑張って降りるべきである。
敵のポケモンとは戦うのではなく、話し合いで解決するべきなのだ。
そのままだと社会に出て苦労するぞ。

2/12/2024, 1:37:35 PM

【伝えたい】

名前は? 月風穂
名前の由来は? 好きな漢字を繋いだだけ
年齢は? 大体20代
職業は? 会社員
性格は? マイペース/考えすぎ/大人しい
趣味は? 映画鑑賞/レビューを書く
好きな映画は? 『麦秋(1951)』
好きな俳優は? レオナルド・ディカプリオ
好きな映画監督は? アンドレイ・タルコフスキー
好きなアニメは? 『ちびまる子ちゃん(1期)』
好きな漫画は? 『ドラえもん』
好きな小説は? 『こころ(夏目漱石)』
好きな小説家は? 米澤穂信
好きな言葉は? 「のんびり行こうよ、人生は。」
嫌いな言葉は? インフルエンサー/流行/サブカル好き
好きな人は? のんびり/落ち着きがある/上品/優しい
嫌いな人は? 口だけ/口が悪い/口がよく動く
好きな時間は? 連休前の出勤日の退勤時
嫌いな時間は? 何もすることがない時間/土曜の午前10時頃/日曜の14時頃
好きな家電は? 電気ケトル
好きな作業は? 家のトイレ掃除
好きな匂いは? 冬の朝の透き通った香り
好きな場所は? 潰れかけの年季がかったスーパー/地方公共施設(公民館や資料館など)
嫌いな場所は? ムダにおしゃれを気取った建物/全体的にうるさくて汚い所
行きたい場所は? 恐山/この世のすべての場所
言われて嬉しかったことは? 「変わってるね~」

なぜここで文章を書いているのか?
 毎日何かしら文章を書きたかったから
なぜ今回はこんな文章? 
 いつものエッセイとは違うことを書きたかったから/どこにも書くことはないであろうから
文章を書く上で気にしていることは? 
 なるべく思ったことを書く/自分のことを書く

伝えたいことは? 
 あなたがこの文章を読んでいるということは、時間をもて余しているということである。ズバリそうでしょう。

最後に一言 私のことを伝えたい。

2/11/2024, 1:42:45 PM

【この場所で】

大人になった今でも私はこの場所にいる。
便利ではないが特段不便でもない。

通勤の道すがらたくましく生えている木々を見る。
私はこうして動いているが、彼らは動かない。
同じ場所で我々をずっと見守っているのだ。
よく飽きないなと私は思う。

私は隣県の大学も実家から通っていた。
社会人成り立ての頃は、地元を離れ一人暮らしを始めていた。
今は紆余曲折を経て、地元に近い街にいる。
だから人生のほとんどはこの場所である。

私は木々のように気長ではなく、この街には飽々している。
いつも通る通勤道路。
代わり映えのない買い物道。
便利ではない片田舎。
金を持っていない私では、この生活を変えることは困難である。
職を変え街を出れば良いが、この街にいる数少ない友人と家族を思うと後ろ髪を引かれる思いなのだ。


昔友だちとよく行った駄菓子屋も、親に連れ添われた裏通りのスーパーも、いつもコロッケをおまけしてくれた肉屋も。
今では全て失くなってしまった。
あの時働いていた人たちはどこに行ったのだろう。
建物は朽ちながらも面影も残し、私の思い出によって建物を支えているようにさえ感じる。
数えきれない人たちを幸せにしてきた街の光は確実に減っているのだ。
私が築いてきた思い出は消えないが、思い出が記憶だけになってしまうとき、私は寂しさを覚える。
あの木々たちもこんな寂しさを抱えているのだろうか。

飽々としたこの街を誰もが通りすぎ、誰もが生活している。
麦秋のように毎年この街は刈り取られていくが、次の生命を育むために必要な理であるのだ。
あの木々たちだけでも私が生きているうちは残っていてほしい。
私が生きてきた時間を見守っていてくれるから。
こうしてたくさんの時間を覚えている木々のことを、私は少し好きになった。

2/10/2024, 12:10:10 PM

【誰もがみんな】

子どもの頃は誰もがみんな幸せに生きていると思っていた。
身近であれば親であり、友だちであり、先生である。
しかし日々を重ねていくと、「あれ?そんなことないのか」と思うようになる。

まず私。
給食で嫌いな食べ物が出た。あぁ不幸である。
なおかつ残してはいけないというルールが適用され、鼻をつまみながら完食した。
いつ同じ献立になるかわからない恐怖に怯えるのである。
次は親。
私と同じ時間に家を出て、帰るのは私が風呂時であった。疲れきった表情の中、残り少ない自由な時間を浪費していた。
次は友だち。
上級生とケンカをし、痛手を負っていた。しかも先生からこっぴどく叱られるのであった。
最後は先生。
私たちのような生意気な子どもたちを相手に、日夜奮闘していた。
変なタイミングで怒ったり、理不尽な言動は今にして思えばストレスで堪らなかったのかもしれないのだ。

私は一側面でしか皆のことを知らない。
一面だけを見て「幸せではないのかな?」と思っている。
そうはいっても、別の面から見れば幸せであった瞬間はあったのだろう。
私だって好きなものが給食に出ていれば、その日は幸せであった。
じゃんけんで勝って、休んだ人の分まで食えれば大したものである。


歳を重ねればどんどん良いことだけではなく、嫌なことも増えていく。
その比率を考えると、私が見ていた他人はごく一部であったのだなと再認識する。
生きている間ずっと不幸という者があるなら、幸福の価値を高く設定しすぎていると思うのだ。
古来から私たちは生きているだけで幸福という時代があり、何事もなく生存し続けている瞬間にこそ幸福は芽生えているはずである。

怪しい宗教のような発言をしたが、不幸なときはそんな戯言を言えないのである。
だが今の私は子どもの頃よりも力を持ち、給食の献立などに縛られず、自分の食事など思うがままなのだ。
不幸なときの献立は、私の好きなカレーである。どうだ。
味覚は子どもの頃からまるで成長していない。

2/9/2024, 2:19:43 PM

【花束】

私は花束を貰ったことはない。
思いの丈を込めた花束を私に込めて貰える気配はない。

花は好きでもないが嫌いでもない。
よくよく思い返してみても、花は綺麗だという感想以外大して思い入れはなかった。
つまらない人間である。
こんなやつに花束を渡す人がいないのは当然であろう。

逆に花束を渡したことは何回かある。
どんな花を渡すかではなく、花束を渡すこと自体に意味があるのだ。
花屋の方はどの店に行ってもセンスがよく、ざっくばらんなイメージで素敵な花束を仕上げてくれる。
無から有を作り出す錬金術師のようである。
私の姿もこんな風に素敵に仕上げてくれれば良いのにと思うが、そういえば私は花ではなかった。

私もいつか花束を受け取ってみたい。
いつになるかはわからない。
葬儀には花は付き物である。
そう考えると死んだら大概貰えるのである。
ならばそう焦らなくても良い。いつかは貰えるのである。


誰かのために花束を買うのは良いことだ。
食べるも飲むもできない。
貰って嬉しいが、永くは持たない。
最後には消えてなくなってしまうが、花束に込められた思いは消えてなくなりはしない。
そんな情緒に感動できる人間でありたい。

私は食べ物なんかを貰えたらもっと嬉しいが。

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