【スマイル】
仏頂面の人を尊敬する。
私はこれは作り笑いだなと自分でも思うほど、つまらないものに笑みを浮かべられない。
素直だとすぐこれである。
変わらぬ表情の人が笑えば、あの人は実は好い人と認識される。
私にそんな度胸はない。
職業柄周りの目を気にする。
良い印象を与えるため笑顔は必須であろう。
仏頂面は会うだけでも嫌である。
口調も悪く、人を見下しているように思う。
よくここまで生きてこれたなと思わずにはいられない。
私は作り笑いがなければいけない人生を歩んでいるのかと思うと、仏頂面の奴らのほうが真っ当な人生を歩んでいるのだ。
相手の表情から感情が読めないと不安になる。
私は心の駆け引きが苦手である。
面倒なので、仏頂面はこちらから願い下げなのだ。
対して笑顔が素敵な人は良い。買い物や出先でも気持ちがよくなるほどだ。
汚れた心を浄化する作用がある。笑顔には異様なまでの洗浄力があるのだ。
だから私はできる限り笑顔でいようと思っている。
私は作り笑いは下手だが、おそらく相手には伝わっていない。
気づくような繊細な人には、そもそも作り笑いをしていないからである。
自然と同じ空気を感じ、自然な笑顔となっているのである。
だから端から見て無理して作り笑いをしている同類を見ると、「一緒だね。お疲れさま。」などと心のなかでコーヒーを渡している。
いつも素敵なスマイルをしている人は、仏頂面よりも更に人生を楽しんでいる。
私もいつかはそうなりたいのであるが、そうなったらコーヒーを渡すこともできないので、今のままでも良いかという気になる。
本当のスマイルが出来るなら、下手な作り笑いも無駄ではないのだ。
これがわかっているならば、私はまあ大丈夫であろう。
【どこにも書けないこと】
私はどちらかと言うと寡黙で大人しい。
初対面だと礼儀正しい好印象を与えるようだ。
いつか友人に言われた言葉を気にかける。
「○○ってなに考えてるかわからない。」
これには驚いた。
なぜなら私は何も考えてないからである。
ぽけーっとしている顔は、何か考えているように見えるらしいのだ。
俳優にでもなれば案外良い演技をするのではなかろうか。
聞くと、精悍な顔立ちらしく頭がよく見えるらしいのだ。
私自身はのび太の顔をしていると思っていたが、他人にはゴルゴ13に見られているようであったのだ。
これには利点もあるが、困ることもある。
実際頭が悪いわけではないが、頭が良くもない。
ハードルを上げられた挙げ句残念がられるというコンボである。
そういえば他人の話も、どうでも良い相手ならまともに聞いていない。
「帰ったら何しよう。」などと呑気な考えに耽る。
大体マシンガンのように話す相手に面白い人間は少ない。
自己完結するのならば穴にでも話しかけておけば良いものを。
だから私は同じような大人しい人が好きだ。
大人しい人の方が面白い人が多いからだ。
私がどこにも書けないことはこの程度である。
本当はもっと深刻なこともあるが、ここではなるべく大したこともないことを書こうと思っている。
ああ、あとはいつもこんな駄文を読んでくれる人がいるということである。
大切な人生の時間を使ってまで読むものではないのであるが。
自分が書きたいから書いているが、読まれていると思うと少々嬉しい。
名の知らぬあなた。いつもありがとう。
などと媚びを売ってみる。
まあ気楽に読んでもらえればこれほど嬉しいことはない。
【時計の針】
“クロノスタシスって知ってる?
知らないと君が言う。
時計の針が止まって見える現象のことだよ。”
きのこ帝国の『クロノスタシス』という曲の歌詞である。
私はこの曲とバンドを大学の時に知った。
今は活動休止中だが、おそらく復活することはないのではないかと察する。
所謂サブカル好きが食いつくようなバンドでもあろう。
『花束みたいな恋をした』でもこの楽曲が使用され、サブカルの一部として消費されていた。
私が知った頃にはバンドは活動休止となっており、もちろんライブなどには行ったことはない。
私のなかで知らぬ間に時計の針が止まっているバンドであり、再び動き出す瞬間を見ることができないかもしれないバンドでもある。
私はちゃんと楽曲を聞き、いいなと思ったから聞いている。
ファッションで聞いている人間とは違うということを記しておきたい。
このように、待っていても時計の針が動かないことはある。逆もまた然りである。
クロノスタシスのように止まって見えるわけではなく、止まっているのだ。
私が止めたい時間は止まらず、動かしたい時間は動かない。
嫌なことが翌日に控えているときなどは顕著である。
「あぁ~とっとと嫌なことが終わった後の時間に行かせてくれ。」
と言えど誰も助けてはくれない。私の力で何とかせねばならぬ。
こうして嫌な思いを持ちながら越す夜を、永遠に閉じ込めておきたいがそうはいかない。
太陽はそ知らぬ顔をして、私を出迎える。
明日は決戦である。
何とかなるだろうの気持ちで何とかするのだ。
…誰か代わってくれ。
【溢れる気持ち】
熱い。
熱気に包まれた球場の中で私は冷たかった。
いや、私はビールではないし死体でもない。
熱狂する周囲との違和感を感じつつ、得点した好きな球団へのエールを心の中で送るのだ。
私はこのように熱い溢れる気持ちを表に出せない。
表は温かみを感じさせるそうだが、中身はクールである。私は冷蔵庫なのだ。
最近の冷蔵庫のほうが私よりも賢いようである。
ライブなんかでもそうだが、周りが嬉しそうに声援を送ったり涙を流す姿を見ると思う。
私はそこまでではない、と。
あなたたちが人生をかけて好きなものを、私はちょい食いをしているだけなのだと。
何かに人生を助けられたとか、そんなこと言えない。そこまでではない。
この空間にいてはいけないと体内からアラームが発信され、クールモードを発動させる。
人間冷蔵庫の完成である。
本当にこれには困っている。
本当は好きなのだが、周りがそれ以上だと引いてしまうのだ。
変なところで客観性を身に付けてしまったのがこの様である。
心から溢れる気持ちを放ちたいが、隣には知り合いがいる。そうはいかない。
私には解放の試練が足りていないことは明白である。
いや、ちょっと待っていただきたい。
人前で解放するのが正というのは本当に正なのであろうか。
私はこの価値観に疑問を呈したい。
私が好きという気持ちは変わらない。
ならば良いではないか。
騒ぐやつは騒いでおけ。
私は高尚にこっそりと騒いでいるのだ。
心のなかでプラカードをかかげ、激しく声を枯らしている。
終了後にはうっかり出口を間違え、忘れ物をするくらいに熱狂しているのだ。
熱く燃えた私の心に嘘偽りはない。
私の歩いた道筋は炎のように燃えているであろう。
実は私は熱い人間なのだ。
今日から私は冷蔵庫ではなく電子レンジである。
あなたの周りでそんな人がいれば、それは私である。
つまらなさそうだが、心は燃えているのだぞ。
【Kiss】
私は映画が好きだ。
わりとどんな映画も観ていると自負している。
流石に評論家どもには勝とうとなど思っていないが、そこら辺の野良映画好きよりも映画が好きと言ってもよい。
子どもの頃などは地上波でも映画が流れており、キスシーンは気まずい思いをした。
洋画ではよくキスシーンがあるのだ。
恋愛映画はまああって当たり前である。
とりわけ内容のないアクション映画などは無駄にラブシーンが多い。
ホラー映画も必須である。つまらないホラー映画には顕著だが、ホラーシーン以外で見せ場を作らねばならないという理由がある。
なんとか観客の興味を惹くためという配慮があるのだ。
あとはヨーロッパ映画であろう。
日常生活でキスがよくあるようで、挨拶がてら軽いキスをするのは定番なのだ。
日本でそんなことをすれば殴られる。
殴られるで済めばよいが、捕まる恐れもある。
ヨーロッパ人のふりをしても無駄である。
文化とは不思議なものだ。
ヨーロッパでもとりわけフランス、イタリア辺りではよく見るが、ドイツやポーランド辺りはどうだったか…。
ヨーロッパでも文化が異なるため、ここは注意しておきたい点である。
フランスといえば私のなかでは、エリック・ロメールの映画のような人たちが多いと勝手に思っている。
恋愛に奔放でいくつになっても恋愛を楽しむ。
自分に自信があり、勝手気儘な姿は羨ましく思える反面、一種のだらしなさも感じさせる。
自由奔放なので後々面倒なことに巻き込まれたりもしていくのだが。
フランス人の恋愛のカジュアルさを感じながらも、同じ空の下誰もが恋愛をしている。
そう考えると微笑ましく思えてくるのだ。
たったひとつのキスでも、色々な意味が含まれている。
そこを口で語るのは野暮ってもんである。
まあホラー映画のキスシーンに意味はないことがほとんどであるが…。