けっこう何でも出来た。勉強もスポーツも仕事も人間関係も、苦労した事なかった。羨望の眼差しに慣れすぎて気付けずにいた。
道端に咲く花の美しさや雨の降る音の心地よさ、何でもない日常の大切さ。君を通して知った。
君がいなきゃ僕は不完全。それもまた良いと思えるのも、君のおかげ。
『不完全な僕』
すれ違う人に驚いて振り返る。君とは違う長い髪に、痛くなるからと履かなかったヒール。全然似てないね。なのに、この香りを感じる度に君の事ばかり思い出すんだ。ずっとずっと、後悔ばかり。
『香水』
にゃー
「ん?ご飯はさっき食べたでしょ?」
にゃー
「だーめ」
にゃーん
「甘えてもダメだよ~」
にゃうん
「あ~、もう可愛いなぁ」
仕方ない。あとでちょっとだけおやつあげちゃおう。ゴロゴロご機嫌な愛猫を撫でる。
「長生きしてよ~」
みゃ!
知ってか知らずか元気な返事が返ってきた。
『言葉はいらない、ただ…』
「えへへ、ごめんね?来ちゃった」
「え、あ、ーっと、約束、してないよね?」
「うん。してないよ?」
彼女をあげるべきか否か。悩んでいると彼女が笑顔で指を指す。
「それ、なぁに?」
それは女物のパンプスです、なんて正直に答えたら答えたで怒られるの目に見えてんだよね。あー、もうめんどくせ。どうすっかな。
「やっぱり浮気してた…!」
「とりあえず中入って。ここで騒がれんのちょっと…」
「ふーん?入れてくれるんだ?」
ガチャンと鍵をかけると、彼女が奥の部屋に向かって言う。
「こんばんはー!浮気相手さーん!本命の彼女でーす!」
夜も遅いしご近所迷惑になるような事しないで欲しいんだけどなぁ。ズカズカ部屋に入っていくものの、浮気相手さんとやらは見つからない。クローゼットの中にもベッドの中にもお目当ては見つからない。バスルームのドアに伸びる手をそっと押さえる。
「ここなんだ?」
睨むようにバスルームと俺を交互に見る。
「何で?浮気相手庇うの?」
「庇うとかじゃないけどさ、いいじゃん。俺が1番好きなのは優しくて可愛い君だよ?」
「…やだ。誤魔化されないもん!」
私知ってるんだからね、随分前からこそこそ誰かと連絡取ってるの、デート断って誰かと会ってるの、スマホで何か見て嬉しそうなの浮気相手の写真なんでしょ、私全部知ってるんだから!そう言いながら彼女はドアを開けてしまった。
「え…?」
そこに居たのは浮気相手なんかじゃない。アプリで知り合っただけの、本名も知らない女───だったもの。
「う、そ、なん、し、しんで、る…?」
死にたてホヤホヤよ?今からバラそうって時に君が来ちゃうからさ?
「浮気じゃなかったでしょ?」
みるみる青ざめていく君に口角が上がってゆく。知ってたって言ってたじゃん。まぁ?随分前からこそこそしてたというより、l君と会う前からずーっとこうしてたんだけどね?証拠は残しちゃいけないって分かってるけど、コレクションだから、やっぱり撮っときたいじゃんね?
「っ…」
あぁ、叫ぶなこりゃ。反射的に彼女の首に手をかける。恐怖と絶望で何とも言えない顔をした彼女と見つめ合う。優しくて可愛い君が、いいよいいよって許してくれてたらこんな事しなかったんだけど。まぁこれはこれでありだけど。
「変に浮気とか疑わなきゃ良かったのにねぇ?」
残念。アドバイスはもう聞こえていないらしい。
満員電車の中、欠伸を噛み殺す。一晩にふたりはキツいなぁ。おかげで寝不足だ。
「あ」
スマホから彼女の連絡先を消す。もう必要ないもんね。でもお陰さまでコレクションが増えた事だけは感謝してるよ。ありがとね。そうだ。次は優しくて可愛くて、ちょうどお馬鹿な子を彼女にしよう。
『突然の君の訪問。』
何を、言ったんだろう。雨に打たれた君が、振り返る。綺麗な透き通る笑顔で。何もかもを拒むような目で。
何を、言えるだろうか。そんな君に。
かける言葉を、僕は持たない。
『雨に佇む』