夫婦
夫婦って分からない。
私にとっての両親は、口喧嘩したり怒鳴ったり、相手が頷くまで自分の欲求を通すことしかしない人たちだ。
何をするにも考えが合わない。それどころか二人とも自分のことしか考えていない。
相手の状況を想像して譲歩したり、相手の持つ情報と自分の持つ情報量を比べたりせずにいきなり用件を押し付ける会話しかしていない。
結果喧嘩する。結婚してからもう30年近いというのに、毎日喧嘩が止まらない。
夫婦って分からない。
助け合うとか、愛を誓うとか、結婚という言葉に見合う関係構築が全くできていない。
子が成人してから崩壊している家庭状況に気付き、両親の喧嘩内容を整理して謝らせたり、譲歩させたりするようになったことでやっと相手の顔を見て話すことを半分くらいは意識できるようにさせたが、状況はほぼ変わっていない。
よく観察しようね、よく相手の話を聞こうね、自分の話ばかりしちゃだめ、相手の理解を確かめながらね、一文に要求の全部を詰め込んでるから分かりにくいんだよ、もっとそれぞれ分けて考えて。
いびつながらに夫婦に向けてよちよち歩きを始めたばかりの両親を見ても、私にとって夫婦とは全く未知である。信頼関係のその先にあるような慈愛なんて、小指の爪ほども見当たらない。
夫婦ってやだな。
私にとっての夫婦は、人の嫌なところのごった煮であるように思う。
どうすればいいの?
どうすればいいの?
この言葉を十一月に入ってから何度聞いただろう。
病院に行っても聞いたことの半分も理解していないのに、私に判断を求める。
当事者が決めることだと何度説明してもこうだ。
本当に疲れる。先生との信頼構築の失敗は私の責任ではないはずなのに、私にだけ責任を押し付けて楽をする父や母を、後はご家族で話し合ってくださいと私に丸投げできる先生をずるいと思ってしまう。
私が聞きたいよ、どうすればいいの? って。
どうすれば気に入る治療が見つかるの?
どうすれば治療に納得してくれるの?
辛い治療だってちゃんと分かってる?
自主的に頑張る気力のない人にゴーサインを出すのは遠回しな人殺し宣言をするようで心が痛む。
宝物
あなたは私の宝物だよ。
そんなこと、言われたことがない。
母は産まれたときから「産まれてこなければよかったのに」と言われて育った。
そんな母に『子を愛する』という概念は生まれなかった。
私にも『母を愛する』という概念は今のところない。
大切にするということがよく分からないのだ。
宝物。宝物。宝物。
執着するような歪んだ愛なら、いらない。
キャンドル
今日は久しぶりに都会に出た。
少し早いクリスマスの煌びやかな飾りの中に、そう言えばキャンドルはまだなかった。
通りがかったキャンドルの専門店は今日はお休みだったらしく、入り口の看板の飾り以外にはない。
キャンドルは好きだ。
ひとつだけ大きなキャンドルを持っている。
ゆらゆらする火を眺めて、眠たくなるのを待つ時間が好きだ。
ぱち、ぱち、と小さく爆ぜる音を聴きながら、静かに過ごすのが一番リラックスできる。
きっと、クリスマス飾りのキャンドルはそう静かなものではないのかもしれない。
私は一人で見るキャンドルでいい。
たくさんの想い出
たくさんって、どれだけ?
どれだけの想いをかき集めても、私の欲しかったたったひとつのものさえ手に入らない。
そんな塵芥の「たくさん」になんの意味がある?
新しい想い出を作ればいい?
そうかもしれない。
じゃあ、どれだけたくさんの新しい想い出があれば、過去の喪失を覆い隠せる?
無理だよね。無理なんだよ。
過去は過去、未来は未来。
今は今でしか打ち消せないんだよ。