心躍る
それはホテルで日の出を見たときのこと。
朝の匂いとまだ透明な空気があった。
カーテンからの朝の気配に誘われて、予定より早く起きてみた。眠い目を擦りながら、またぼうっとした頭で勢いよくカーテンを開けた。
目の前には昨夜の暗闇からは想像つかないような澄んだ青い海と、遠くて広い朝の空が輝いていた。
私は思わずベランダに出た。
この美しい景色の空気に触れたかった。
「美しい」素直にそう思った。
美しいと口にしたのはいつぶりだろうか。
いつからか私は美しいと口にしなくなった気がする。
学校に行けば「ヤバい」「すごい」そんな言葉で会話が通じてしまう。
きっと私の生きる日常にも「美しさ」は存在していた。けれど、私はそれに気づけていなかった。
頭の中は常に何かでいっぱいで、もしかしたら単なる背景にしてしまっていたのかもしれない。
それから私は刻々と変化する空模様や季節の香りを感じている。
私たちはいつだって心躍ることが出来る。
試しにちょっと感覚を研ぎ澄ませてみてほしい。
気づかないだけで「心躍る」はどこにでも存在するのだから。
力を込めて
この言葉を聞くと思い出す。運動会の綱引きを。
先生はよくこう言った。
「力を込めて引っ張りなさい」
私は正直綱引きが苦手だった。
手が縄に擦れて痛いし、転んだら怪我しちゃうから。
そんな競技を義務教育でやる意味を考えてみた。
チームでひとつの縄を全力で引っ張る。
みんなで同じ方向に体重をかける。
きっと協力してとかなんちゃらなんだろう。
協力って言葉は嫌いじゃないけど、好きではない。
協力するって一見魅力的だけど本当に協力している人が何人いるんだろう。
それはただの「みんながやっているから」ではないだろうか。
「今は多様性の時代」「個性が大事ですよ」
そんなことを教師はよく言うが、時代に合わせてしゃべってるだけではないのか。
その教師は学校から出て、この世界を生きる一人の誰かとなった時、無意識にでも差別をしたりすることはないのだろうか。
私が1番好きな先生の言葉がある。
「大人を信じちゃいけない。だから先生のことも信じすぎないで。大人だって嘘をつくから。」
そんな先生は、私が見てきた3年間で一度も嘘をついたことがなかった。
生徒に頭を下げて謝れるような人だった。
そして、クラスのみんなは先生を尊敬していると言っていた。