【この場所で】
coming soon !
【誰もがみんな】
coming soon !
【花束】
coming soon !
【スマイル】
coming soon !
【どこにも書けないこと】
「どう言い訳をしてくれるのだね、諸君!」
とある国の元首が、官邸の執務室で怒声を張り上げていた。
「奇襲攻撃、宣戦布告、してやられたのだぞ、わが国は!あの、弱小国に!」
国防を担当するさまざまな組織のトップたちが項垂れて居並ぶ前で、全身から微かに湯気を放ちながら国家元首による大音声の叱責は止まらない。
「外交交渉は決裂、諜報も防諜も出し抜かれ、挙げ句に先制攻撃を許すとは!!」
元首はひときわするどく大喝すると、いかめしい軍服の胸に数々の勲章をぶら下げた男たちを睨みつけた。
「わが方の被害は甚大…かたや敵方は軽微な損害で悠々と撤退だそうだな。元帥たちよ、戦い方を忘れたのかね。報告によると、兵のほとんどは毎日飲んだくれてカード遊びに興じ、男色にうつつを抜かして任務そっちのけだったと聞く」
軍人たちはおろおろと顔を青ざめ、誰ひとり一言も返せず押し黙った。
「それ以前に、かの国の暗号解読は不完全、スパイの尻尾を掴むこともできずに野放し状態だったとか。わが国の防諜レベルは女学生たちの派閥争いで暗躍する小娘の情報収集術にも及ばないほど落ちぶれていたのか」
今度は仕立ての良いスーツを着た洒落者の男たちが身体をこわばらせて唇を噛みしめ、誰も反論できずに視線をさまよわせた。
「さらに外交交渉のお粗末ぶりにも程があったぞ。いくら取るに足りん弱小国とはいえ、有無を言わさずこちらの要求を突きつけるだけの強硬姿勢で押し通し、結果、窮鼠を追い詰めて世界的に大恥をかかされてしまった!」
元首の怒りは頂点に達し、掻きむしるような仕草で両手を戦慄かせ、政府高官たちに向けて叫びに似た怒号を発した。彼らは居たたまれず、突き出た腹に埋まるぐらいに深く頭を垂れ、ただ貝のように沈黙するしか術がなかった。
大いに怒りを吐き出したあと、ひとまず気が済んだのか、ようやく元首も静かになり、肩で荒い息を整えた。
「……とにかく、まずはこの無様な大失態をなんとか取り繕わねばならない。その緊急対策のため、諸君たちを呼び付けたのだ。今からその対策会議を始める、諸君、閣議室へと移動してくれ」
落ち着きを取り戻した元首にうながされると、面子を失い、萎れきった男たちの群れが、とぼとぼと閣議室を目指して執務室を出て行った。
そして突然の開戦から数週間後――こんな風説が巷でひっそりと広がりつつあった。
「奇襲攻撃は把握していたが、敵からの第一撃を仕向けるため、わが国はあえて見逃したのだ」
これを耳にした民衆は、宮仕えの傲慢無能堕落ぶりをよく知る人――つまりたいていの善良な納税市民は笑いながらすぐに否定したものだが、ズバリ宮仕え人やそれに近しい者、あるいはニヒリスト、おちゃらけ者、オカルト愛好者…などといった、世の中を風変わりに渡っていく人種たちはこの風説を支持し、さらにまことしやかな尾ひれをたくさん連ねて人々の間に撒き散らしていった。
「あなた、例の秘密の情報操作はうまくいっているようですね」
「そうか」
元首は私室で妻と朝食を取りながら短く言葉を返した。
「あの噂、最近は信じる人もけっこう増えてきているみたいです」
「…………」
元首は複雑な面持ちでスープの匙を口に運ぶ。国家の体面を取り繕うため、対策会議での議論の末、苦肉の策であのような陳腐な風説流布作戦が画策されたのだった。ほかに策もなく、半ば自暴自棄気味に国内、海外両方で流してみると、意外にも“真相の攪乱”という、そこそこの成果が出ている。しかし――風説はいつの間にかいろんな虚飾をまとって七変化を見せていた。たとえば――
――元首はある秘密結社の大幹部で、あやしい儀式において人間の生け贄を大量に必要としている。戦争が始まったのはそのためで、敵国はまんまと利用されたのだ――
とか、
――元首は宇宙人に操られ、人類絶滅を命じられた。それを察知した敵国が宇宙人の野望を阻むため、手先となっている元首とその国へ無謀にも戦いを仕掛けたのだ――
またあるいは、
――元首は現代の救世主であると自分で思い込み、ハルマゲドンを起こして世界を破壊浄化し、新たな世界の王となるため、卑怯な手を使って相手からの先制攻撃でこの世を破滅へと導くつもりなのだ――
……などといった、トンデモ風説へと姿を変えて独り歩きをしていた。元首は風説の変わり果てたさまに頭を抱えたくなる思いで、妻の言葉をスープと一緒に無言で飲み込んだ。
「……まあいい。敵の奇襲にしてやられ、開戦に至ったわが国の堕落腐敗の真相を嘲笑いされるより、愚にもつかない風説を信じて騒いでくれる方がましだ。作戦成功、結果良ければ文句は言わないとしよう」
自分に言い聞かせるような元首の独り言じみた言葉に妻はふふと微笑む。
「真相は極秘、最高国家機密とする。国史にも記すことは禁じた。だから君も、日記なんかに書き残したりしないでくれよ」
真向かいに座る妻に元首はやや改まった態度で念を押した。妻は食後の紅茶カップを片手に元首へ頷いて見せる。
「もちろんです。日記はおろか、どこにも書けないことですからね」