『秋恋』
恋することを、春が来ると言うけれど……
私の恋は、春なんてとっくに過ぎてしまった。
桜のような、ほんのり淡く可憐な桃色ではなくて。春風のような、包み込む温もりのあるものではなくて。
はっきりとした色で、鮮やかだけど少しドライな、さっぱりとした……まるで秋のような恋。
仲のいい友達にはバレてるし、私自身もしっかり自覚している。けれど、甘い雰囲気にはなりたくない。付き合いたいとも、大して思わない。
今のように、普通の友達より仲がいい、くらいのさっぱりした関係。
これが心地いい。
だから、このままでいい。
……やっぱり、この恋は秋でもないかもしれない。
いろんな木の実が実る秋という季節で例えるには……
私の、実らせるつもりのない恋は、とても似合わない。
『大事にしたい』
「大事にしたいんだ」
そう言っておいて、私に何一つ選択肢を与えなかった彼。
いらないと言ったブランド物のバッグ。
やめさせられたバイクと庭仕事。
せっかく行ったのにやらせてもらえなかったバンジージャンプ。
私を真綿の中心に押し込んで、私の望むものは与えてくれなかった彼。
私は安くて使い勝手のいいものが好きだ。
バイクで風を切るのが楽しい。庭のバラは、たまに怪我をしてでも、綺麗に手入れするのがいいのだ。
そして、よく意外と言われるが、スリルのあることが好きだ。
それが私。
……大事にするって、なんだろう。
彼は私にいっさい傷をつけたくなかったんだろう。ずいぶんと丁寧に扱われていたと思う。
でもそれはきっと、「人を大事にする」ことじゃない。
彼とは別れた。
丈夫でシンプルなトートバッグを荷台に乗せて、今は海岸線沿いを一人でツーリングしている。
「大事にしたい」……それはただの免罪符。私を閉じ込めておくための呪い。
人を大事にするとはどんなことなのか、はっきりとは言えないけど。
あんな彼より、今この瞬間の私自身のほうが、私をよっぽど大事にしていると思う。
今日の風は、一段と涼しい。
『時間よ止まれ』
あの子が乗った電車が遠ざかっていく。
ホームの端、古びた柵から上半身を乗り出して、目だけで電車を追う。
満員電車の窓を覗くといろんな人が見えるけれど、小柄なあの子はその中に埋もれていて、指先ひとつも見えやしない。
でも、窓は開いている。
今ならまだ届く。私の言葉。
大声で、叫んだらきっと、あの子の耳にも届く。
ずっとずっと、言えなかった言葉を。
何日も、何ヶ月も、心の中で育て続けた大切な言葉を。あの子のための言葉を。
『ありがとう』って言わないと。
そう思うのに、声が出せない。
大声で叫ぶのって、けっこう勇気がいる。
そんな簡単なことにすら思い至らなかった。
柵を握る手に力がこもる。大きく開けた口が、当惑している。行き場をなくした小鳥のように、震えている。
……まだ届くのに。今なら、まだ
時間がほしい。たった数秒。
大きく息を吸って、吐いて、心臓の音を聞いて……自分の中から勇気を見つける時間が、ほしい。
そう思ううちにも、どんどん電車は駆けていく。
はやくしないと。きっとこれが最後なんだから。
だから……お願い。少しだけ。少しだけでいいから。
「時間よ……止まれ」
『夜景』
上京して初めて、家に入った。
マンションの購入も荷物の運び込みも、父と母がぜんぶ手配してくれたから、私がやることといったら荷解きだけ。
せっかくの一人暮らしだというのに、こうもあれこれ世話を焼かれてしまっては、一人になった気がしない。
大学は自分で決めたが、住居は私が何もしないうちに決まってしまって、正直、自立した感じがない。
一人暮らしをはじめるのを節目に、「大人の道」を歩もうと思っていたのだが、そんな私の決意を知らない両親は、当然のように私の手を取って歩く。
「ここからは自分で行くから」
どこかの道の途中でそう言わなければならないのに。
私はまだ言えていない。
怖い。
親から離れるのが怖いんじゃない。自分が離れることを、親が拒んでくるのが怖い。離した手をまた掴んでくるのが怖い。
私の両親は、そういうことをしてきそうな気がする。
だから、まだ言えない。
……雨の音に誘われて、ふと、窓から外を見た。
細かな水滴越しに見える夜景は、テレビで見たのと同じように綺麗だった。
けれど、それはなんだか他人事のようで。
この部屋のように、誰かに用意されたもののようで。
窓から目を離し、またダンボールをひとつ開ける。
荷解き途中のこのダンボールだらけの部屋は、まだ私のものじゃない。
いつかくるだろうか。
この部屋を、ここから見る景色を、私のものだと言える日が。
誰かに囲まれて、寄りかかることを強制された状態じゃなく……私が私で歩ける日が。
『空が泣く』
今日も彼は空に花火を上げる。
痛々しいほどに真っ赤な花火を、何発も、空高く打ち上げる。
毎日のように、彼は花火を上げる。
成長期もきていない小さな体で、武器庫から大砲を引っ張り出して、自作の花火を……色付きの砲弾を、その中に込める。
「どうして毎日こんなことをするのですか?」
一度だけ、彼にそう聞いたことがある。
少し悩んで、彼は俯きながら答えてくれた。
「国民たちの力になりたいんだ。『王族』の一員として」
これが力のない自分が果たせる、幼い王子としての精一杯の責務なのだと、彼は言った。
「たしかに、花火を見る国民たちはみな、笑顔です」
私は夜の花火に目を向ける国民たちの表情を思い出す。
働き疲れた若者も、母に抱かれた赤ん坊も、座ることすらつらそうな老人も、揃って空を見上げていた。とても穏やかな顔で。
この花火はたしかに、国民たちの心の安らぎになっているだろう。
「でも、なぜ大砲を使うのですか?専用の機械もございますが……」
「『武器』じゃなきゃだめなんだよ」
彼は静かにそう言った。
「僕はね、この大砲で攻撃して、空に痛がってほしいんだ。そして空に『泣いて』ほしいんだよ。それは、この国にとってはいちばんの救いになる」
____この、『砂漠の国』にとっては。
彼はそれからも、何度も大砲で花火を打ち上げた。
一昨日、明日、そして今日。
何度も何度も上げ続けた。痛々しい、赤い花火を。
何度も砲撃を打ち込み続けて、今日、ようやく……
………………空が泣いた。