すれ違いってなんで起きるんだろう。
少しのずれが大きな溝を生む。
考えがあわなくなったりする。
しかしこれは人間に人付き合いがある限り避けられない。
来るものは招き、去るものは追わず
この考え方が大事だろう。
東日本大震災の時、インフラが一時的に機能しなくなった。電気は使えず、水も使えかった。
当たり前が当たり前じゃなくなった時、改めて恵まれた環境にいたことを知った。
3月の東北、夜もまだ寒くとても暗い時に灯した一本の蝋燭。あれがどれだけ心強いやわらかな光であったか今思い出した。
子供は素直な心を持っている。
仲良くなるスピードもとてつもなく早いし、
喧嘩してもすぐ仲直りできる。
社会に汚れない人間は、こんな風なのかな?
そんなことを考えた時もあった。
だけど歳を経て人間は学ぶが純粋さを失っていく。
それは誰しも。
心からの優しさはうわべだけの作りきった親切に成り下がってしまう。
子供のようになりたい。
ふとそんな事を思った。
放課後夕日を望みながら、自転車を漕ぎ帰る道。
その日の学校で起きたことがエンドロールのように
頭の中を流れていく。
「今日は結構良い日だったなあ」
「くそっ、今日はテストの点数が悪かった」
その日その日で全く違う内容だ。
また、「この日はもう戻って来ることはないんだな」
そんなことも考え更ける時もある。
今年受験生の私からしたら尚更である。
一日に感謝し、
一日を精一杯生きて
明日、命がなくても「今までがんばったなあ」
と思う。
これが私の理想である。
自分だったら「死」が近くなったとき涙するだろう。
死にたくないとかそんな自己的な事でなく、「後悔」
だ。
生まれてから自分を支えてくれた人達
人生に大きな影響を与えてくれた人達
生きる上で正しい方向に導いてくれた人達
に恥じない人生だったか、とか
もっとたくさんいろんな経験をしておけば良かったなとか
先祖に感謝できる人生だったかとか
言えばきりがない。
だから自分は走馬灯が見えたとき、「やりきったなぁ」と思える人生を送りたい