特別な夜
友達の家で遊んだ夜。
親に誕生日を祝ってもらった夜。
救急で病院に運ばれた夜。
宿題におわれた夜。
夜ふかしして朝まで起きてた夜。
明日のテスト勉強をした夜。
不安で眠れなかった夜。
恋人とすごした夜。
楽しみで眠れなかった夜。
散歩してみた夜。
仕事におわれた夜。
子供が生まれた夜。
嫁とすごした夜。
最期の夜。
キミに会いたくない。
閉ざされた日記
僕は今まで何事も継続出来たことがなかった。
というより、毎日をテキトーに生きていて、活力というものがない。暇さえあれば動画サイトを思考停止状態で何時間も見ていて、明日になれば何の動画を見ていたかもほとんど覚えていない。ギターを弾けるようになりたいと思い、いざ始めてみても3ヶ月程度でやめてしまう。とにかく僕は継続しているものがない。これが自分を、そして自分の自信をつくっているというものがない。何かを続けて、成功したことがなかったのだ。
これはダメだと思い、何か簡単なことから継続してみたいと思った。そこで僕は、努力をする必要もなく、1日を振り返ることができる日記を書いてみることにした。
初めて書く日記には今日食べた昼ご飯や、数時間前に頭の中で考えていたこと、数十分前に見ていた動画などを頑張って頭の中からほじくり出して書いていった。何とか3日坊主にはならずに1年と4ヶ月ほど日記を続けることが出来た。
日記を書くようになってから、自分の意識が少しずつ変わっていったような気がした。
日記を書いたり、書いた内容を見返したりすることで自分の自分の1日の過ごし方を反省できたり、考え方や好きな事が見えてきたりした。
しかし、ある日突然事件は起きた。今日もいつものように日記を書こうとすると、なぜかいつも使っているノートが開かないのだ。いくら頑張って開こうとしても開かない。いったい何が起きているのかわからなかった。
家にあるノートは1冊ではない。違うノートを手にとってそれに書こうとした。しかしそれはできなかった。何故なら、そのノートも開かなかったのだ。もう家にノートがなかったので、僕は近所の百均にノートを買いに行こうとした。
だが、それもできなかった。なぜなら、僕は意味がないと思っていたからだ。
たしかに、僕は何かを継続しようとして日記を書き連ねていた。しかし、それは逃げの継続だったのだ。最初から全てが逃げだったのだ。自分には続けられているものがあって、自分が意味があると思っていたら、それで良いと思っていた。
自分が日記というものを継続することで付けてきたとてつもなく小さい自信は本当に意味のないものだ。
日記に意味がないと言うのではなく、逃げの継続は何の意味もないのだ。自分に自信をつけたいと思ってやることに対して、逃げの考えを入れてはいけないのだ。日記で見えてきた反省や好きなことなど、少し考えれば浮かんでくるのだ。
日記を書くだけで満足しようとしていた自分に気づいたのだ。
とにかく、その時の僕には何かとてつもなく凄いことを成し遂げたい、成果を出したいという野心があった。
しかしそれを目指して努力を続けようとするたびに、頭の中の思いが爆発しそうになって今すぐになにかほしいと思うようになる。そんな僕が戦いの継続を続けることはできない。そう悟った僕は、今まで書いていた日記に、自信などという思いは捨てて、楽しみという思いを入れるようにした。
そして、気づいた。自分は頭がおかしかったことに。
自分の高かったプライドこそが、自分の人生の中身を空っぽにしていたことに。
この世界はおっぱっぴー