今日はうまく喋れた。
愛に溢れてる人と言われた。
愛の表現の仕方が十人十色なんだよ。
あなたや私の表現の仕方がオーバーなんだよ。
悩んでいることを両親に相談したことがない。
仕方がわからない。
いつ怒られるかと思っていたし、いつもピリピリしていた。
だから相談しようとしたこともない。
怒られるか怒られないか2択だった。
今、親たちは私が自ら関わろうとしないと冷たいなど思っているだろう。
正直、関わり方がわからないのだ。
私、嫌いなのかな?
夫の周り全員。
ため息。
私の選択肢はなぜ嫌なことを引き受ける。になるんだろ。
嫌なことに関与するか、全く関わらないか。
どちらかしかないから憂鬱なんだ。
その中間の可能性を探ればいいんだ。
残念だけど、夫は信頼できなくなってしまった。
これは予定外の結末。
自分を裏切らないいい人と思いながら、生涯添い遂げたかった。
嫌いといってしまっては、それも極端。
苦手。という表現ならどうだろうか。
言葉を選ばずに言いたいこと、全部ぶつけたら、残るのはただの駄々をこねてる子どもみたいだ。
毎回そうだ。
なんでこんなに子どもが腹を立てるみたいな表現しかできないんだ。
なんでこんなに苦しいんだ。
絶妙な嫌味をいうママ友。
私が鈍感なのもあるけど、ぼんやり聞いてると気づかない絶妙な嫌味。
お家に帰る頃、なんだか後味が悪くて振り返ると毎回感じる違和感。
あの言い方する?
全部、勝ってるって気付いている私。
自分より勝ってる人とは付き合えない私。
なんでこんな一回りも離れた私と経済格差あって恥ずかしいとか羨ましいとか思って意地悪くないんだろう。ってたまに思ってた。
しっかり意地悪かった。
私は、鈍感だけど自分より下か上かは分かってる。
でも、だから許せる。
三島由紀夫が『人のアラ探しをしてる間は、自分の姿を見なくて済む』って言葉。
私のアラを探して絶妙な攻撃して自分の生活の憂さ晴らし。ああ哀れ。
セーターと白いシャツの重ね着。