君はあの日突然
あの高い高い大空に
広い広い大空に、
たった1匹で
飛び立って行ったね
その小さな小さな体で
よく頑張ったね
おやすみなさい。
カーテンを閉め切った部屋
朝も夜も昼も
大して明るさが変わらない部屋
何ヶ月だ、、
こんな生活を初めて何ヶ月たった、、、
メシは喉を通らねぇ
食ってるのは
薬と水と麦茶か柿ピーくらいだ、
滅多に洗わない寝具に顔を埋めてこう思う、
懐かしい匂いだ、
と、、
この匂いを嗅ぐと落ち着くんだ
俺は寝具を洗濯することすら出来ない子供
なんだと、、
俺はまだ子供なんだ、
子供でいても良いんだと、、
きっと明日は土砂降りだ
初めて見た世界は暖かかった。
ママもパパもおばあちゃんおじいちゃんも
皆皆優しかった。
僕が3歳くらいの頃
りこん?
っと言う事をしたらしい
ある夜いつも通り眠りにつくと
知らないところで目が覚めた、
ママは忙しそうだった。
3歳年下の弟はまだぐっすり眠っていた。
ママはよく怒ってきて怖かったけど
少しすると優しいママに戻るから
好きか嫌いか聞かれたら好き。
数カ月して、
ママが知らない男の人を連れてきた
僕は何を思ったのかその男の人に
『パパ!!』
っと言った。
その人はママと一緒に僕と弟を
沢山公園に連れて行ってくれた。
楽しかった。
少しして6歳年下の妹が生まれた
保育園卒園後直ぐに引っ越した
新しいお家では
ママとパパが夜によく喧嘩していた。
僕はそれを少しでも止めるために
お水を飲むためと言って
喧嘩してる2人がいる部屋でお水を飲んだ
ママとパパは優しいから
子供の僕の前では喧嘩しないでくれる。
ママが泣き止むまで
パパが落ち着くまで
ゆっくりゆっくりお水を飲む、
僕が小学3年生になってから
ある日ママが僕のお気に入りのコップを割って
良いか聞いてきた、
僕が何で?
って聞いても教えてくれない。
ママが僕のコップを割った、、
僕は沢山泣いた、
ママは
うるさい!!
そんなに泣くなら
ママのコップも割れば良いんでしょ!!
っと怒ってしまった、、
やめて!!
って泣きながら何度もお願いしたけど
ママは聞いてくれなかった、、
部屋には泣きわめく僕と
割られた僕のお気に入りのコップ
庭にはママと割れたママの大事なコップ
小学3の頃
ママはイライラしていた
少しの事でフライパンやおもちゃを投げてきて
しまいには僕に包丁を向けてきたり
僕に無理やり包丁を持たせて
『ママを刺殺して?』
『誰が最初に死ぬ?』
っと言ってきた
流石に怖かったし
同じ部屋に居た弟と妹に
こんなもの見せてしまって申し訳なく思った
僕は1番上の子だから
下の子を守らなきゃいけないのに
怖くて悲しくて辛くて
ただ泣きわめき
『誰も死なない!!』
『誰も殺さない!!』
『誰も殺したくない!!』
っと言いながら泣き叫ぶ事しか出来ない自分が
情けなくて仕方なかった
小3の9月
僕は学校の授業中原因不明の痙攣で倒れて
救急搬送された。
腕には人生初の点滴を刺された。
ママが急いで病院に来てくれた
その時は優しいママだった、
次の日
検査の為学校を早退して病院に行った、
頭に紐が着いたチップみたいなのを
沢山付けられてベッドに寝かされた。
頭をスキャン?
する為の機会にも乗った。
初めての車椅子移動楽しかった。
小学4から徐々に学校に行くのが憂鬱になって
小学6の頃には苦痛とすら思うようになった
友達は居たし辛いこともあまり無かった
と思う。
中学1年生
体育祭実行委員長をやった、
楽しいことばかりでは無かったけど
なんだかんだで楽しかった。
二度とやりたくない。
中1の1月頃
三送会の劇の役者係の係長をやった
大して出番はなく
またやっても良いと思う。
中1の冬頃
ある朝胃のあたりに激痛が走った、
無理やり学校に行こうとしたが
お母さんに止められた
インフルエンザやおたふく風邪以外で
初めて学校を休んだ
中1の1月終わりごろ
不登校になり始めた
中2の初め頃
校外学習の実行委員と
校外学習の班の班長になった。
特に出番はなくて楽だったが
班の男子があまりにも言う事を聞かず
常時イライラしていた。
実行委員はまたやっても良いが
班長は二度とやりたくない。
中2の夏頃
本格的に不登校になってきた
体育祭にも三送会にも部活も出なくなった
中3修学旅行当日と
打ち合わせに数回だけ学校に行った。
同じ中3夏頃
親が離婚した。
別居も始めた。
今は部屋で一人過ごす事がほとんど
部屋で一人でいると何か聞こえるようで
何も聞こえない
不思議だな、、
「何書いてんだろ笑笑」
通り雨のおかげで
涙誤魔化せた