子供の頃、盛大にスッ転んだとき
痛いの痛いの遠いお山へ飛んでけ~
と、どこかの大人に言われたことがあった。
…なんだそれ?痛いのだけが飛んでいく?
妙にその言葉が引っ掛かった。
大人になればプラセボ効果ねと思えるが
当時子供だった私は全く理解出来てなかった。
そして罪悪感が襲ってきた。
遠いお山へ飛ばした痛みがそこの誰かにくっついて
ケガしてもいないのに痛み出すんじゃないかと。
いやそりゃ、だめだだめだ。どうしよう。
夜になって姉にその話をしたら
山じゃなくて空にすればいいじゃん。
と事も無げに教えてくれた。
なるほど空は広いし、鳥ならきっとよけてくれる。
空なら痛みを飛ばしても大丈夫!
それ以来、痛いの痛いの遠いお空へ飛んでけ~
と、自分もしくは誰かがケガしたときに言うことにした。
今もどっかの遠くの空には、私が無責任に飛ばした痛みが
たくさん浮いているに違いない。
(遠くの空へ)
温泉入って
「うえ~い」とか
ポン酒いただいて
「かーーーっ!」とか
布団に転がって
「ばふっ」とか
のびして足つって
「ピギャ!」
対話には言葉が必要だけど
つい出る言葉にならない言葉は
気持ちを伝えるだけなら
寧ろ雄弁な気がする。
(言葉にできない)
父に花見に行こうと誘ったら
駐車場そばのサクラを指差し
毎日見てると言われてしまった。
そういうんじゃないんだよな。
うちの団地の南にある芝生スペースにある八重桜。
毎年、他のサクラが散り始めてから遅れて咲き始める。
今年もこの間の嵐が通り過ぎたら途端にポコポコ咲き始めた。
満開になったらベランダに花びらがちらほら舞い込んできて
なんとも風流だ。
そうだ、今年はベランダで花見をしよう。
ビニールシートひろげて、コンビニ弁当とビール用意して。
そうしよう。のんびり八重桜でのんびり一人花見。
うん、楽しみになってきた。
(春爛漫)
いい歳して
父の運転する車の後部座席で寝てる間に目的地に着く。
母の揚げた唐揚げをバットから食べる。
私は世界中で比べても、誰よりもずっと幸せだと思う。
家を出た兄や姉にはホント申し訳ない。
(誰よりも、ずっと)
十代の頃から結構な高血圧。
あれからずっと降圧剤を飲み続けている。
心房細動の診断をやっと捕まえた。
それからずっと血栓が出来にくい薬を飲み続けている。
ありがたいことだ。
これからも、ずっとこれらの薬を飲み続ければ
死ぬまで生きられるのだ。
(これからも、ずっと)