命が燃え尽きるまで生きるということは、
今、燃えていなくてはならない。
夜明け前のコーヒーを一緒に飲まないか?
夫からのプロポーズだった。
今、思えば、
一度も飲んだことがない。
というか、私はコーヒーが飲めない。
なぜ、あの時。
夫の言葉に本気で感動したのだろうか。
いつかわかる時がくるかな。
もし、カレンダーに10年分の予定が入っていたら、
面白いかも。と、考えてみた。
今日の予定も明日の予定も親切に書き込みしてある。
だから、何が起きるか、わかる。
例えば、11日は電車が遅れて、2時間も閉じこめられる。と書いていれば、その通りになる。嫌なことが書いてあれば、その現実を避けたいものだ。じゃ、その日は電車に乗らないと考えるのが普通だが、書き込みしている通りの現実になるので、回避することが出来ない。そこに電車が遅れると書いてあれば、巻き込まれるしかないのだ。
未来がわかるカレンダー。
人生の終わる日もちゃんと書いてくれている。
とても画期的だ。絶対に欲しい。
と、思うわけがない。
未来の書き込みをしているカレンダーなんて欲しくないし、必要ない。予定は自分で書き込むから、面白いんだ。
だけど、すでに予定が書き込みされているカレンダーを持っている人は意外に多いと思う。
日付だけが入ったカレンダーに自分で考えた予定を入れてみよう。それが現実にならなくても良い。自分で書き込むことが大切だ。
あっ、そうだ。
来年のカレンダーを買いに行かなければ。
できるだけ書き込み部分が大きめのものが良い。
今、まさに喪失感に襲われている。
ただ、与えられた毎日をこなしているだけ。
そう思っているからだ。
どう生きて良いのか、わからない。
テレビをつけてもスマホを見ても時間を潰しているだけになっている。
なぜ、私の心はこんなガスの抜けた風船みたいになってしまっているのだろう。
目標、夢、憧れ、希望。
何か1つでも持っていれば、風船は膨らむのか。
とりあえず、今夜は早めに寝る。
明日、起きたらゴミを出し、仕事に行く。
それだけは決まっている。
あとは何があるか、わからない。明日の私が知っているはずだ。
喪失感、、、私は何を失っているのだろう。
それすら、わからない。
少し考えてみたい。
自分自身が世界にひとつだけの存在なんだって、
なかなか気付かないものだ。