【善悪】
例えば、死後に「善い行いを積んだら天国へ行ける」や「悪い行いを積んだら地獄へ落ちる」という話が真実だとしたら、私はどちらへ向かうことになるのだろう。
正直、悪い行いを積んだ覚えはあまりない。
ただ、善い行いを積んだ覚えもあまりない。
どちらかというと、私はたくさんの“中途半端な”行いを積んできたのだと思う。いわゆる「善い」と「悪い」の中間に位置する行い、または善悪の区別が判断しづらい行い、または善悪のどちらにも属さない行い、だ。
善い行いか、悪い行いか、を意識して行うことは少ないのではないかと思う。きっと私達は何か行動した後で、それが善かったか、悪かったか、を考えるだろうから。
【流れ星に願いを】
今まで生きてきた中で、流れ星を見たことは多分ない。
アニメやゲームなどで、流れ星を見たことはあるけど、フィクションで流れる星に願い事を言ったところで、叶うわけがないだろう。そんな卑屈な考えを持っている。
だから、私は実際に流れ星を目の当たりにして、それが消える前に願い事を言い終える、という体験をしたい。
それが私にとっての一つの願い事だ。
【ルール】
幼い頃は、「ゲームは○○時間まで」みたいなルールを親から決められたことがある。
「宿題を終わらせた後じゃないと、ゲームはできない」
「ゲームをしながら、テレビを見ない」
「○○時になったら、ゲームは終わらせて眠ること」
だんだんと増えていったけれど、私はルールを守りたいなんて思うことができなかった。
確かに、ある程度のルールは必要だろう。でも、ルールを決めるなら、決めた内容を決めた側も守るべきだ。
なぜ親は、私のゲームという娯楽を厳しく制限している中で、ほぼ一日中スマホというモノを触っているのか?
インターネットという存在を手放さずに固執することがルールを守ることよりも大切なことなのか?
当時の私には、よく理解できなかった。そして、同時に親の言うことには“説得力がない”とも思った。
ルールは、“決める”よりも“守る”方が圧倒的に難しい。
だからこそ、ルールを“破る”こともあるのだろう。
それが良いことなのか、悪いことなのか。実をいうと、私なりの明確な答えは、いまだに見つかっていない。
皆は、どのように考えているのだろうか。
【今日の心模様】
嬉しい、楽しい、ちょっぴり寂しい、心細い、不安。
よく分からない、お腹すいた、眠たい、家に帰りたい。
暑い、ほんの少し肌寒い、うっとうしい、興味ない。
複雑な気持ちが混ざり合って、今日も私の心は踊る。
【たとえ間違いだったとしても】
私たちには、たくさんの選択肢がある。
だからこそ、どれを選ぶのか、悩み、迷い、考える。
これでよかったのだろうか。
あっちの方がよかったのかも。
私たちには、選択したことを後悔する可能性がある。
あなたの選択が、もしも間違いだったとしたら、その後どうすればいいのか、と考えることができるだろうか。
あなたの選択が、たとえ間違いだったとしても、その後どうすればいいのかを選択することはできるだろうか。