【それでいい】
直球すぎる言葉よりも、曖昧な言葉を欲している。
肯定しているのか、否定しているのか。
どちらでもあり、どちらでもない。
そんな中途半端な言葉だったら、いいのかもしれない。
「もう、それでいいよ」
あなたが、私に別れを告げた時のセリフだ。
私という「私」を認めてくれたのか、呆れていたのか。
あれは、どっちの意味だったのかな?
今でも私には分からない。
そして、これからも分からないままでいい。
【1つだけ】
私にとって、1つだけ、確かなことは何だろう。
私の目で見る光景だろうか。
私の鼻で嗅ぐ匂いだろうか。
私の耳で聴く音だろうか。
私の舌で味わう食感だろうか。
私の指で触れる手触りだろうか。
私の肌で感じる熱だろうか。
私の頭で覚える記憶だろうか。
私の口で話す言葉だろうか。
私の掌で紡ぐ想いだろうか。
たくさんの“確かなのだろうこと”があるかもしれない。何にせよ、私にとって、1つだけ、確かなことがある。
それは「私自身の身体や心で行うこと」こそが、きっと私にとって“確かなこと”であると思っていることだ。
【大切なもの】
私には、ありがたいことに大切だと思えるものが
いくつかある。
私に理解を示してくれる友人、仲間、同志。
私が尊敬している先生。
私の心の支えでもある本。
私の夢である作家業。
私が愛してやまない執筆、言葉、創作物。
私の好きな食べ物。私の好きな色。
優しさ。温かさ。誇り。思いやりの心。
握手。ハグ。愛。「好き」という感情。
私が私であるゆえの私。
大切な者も、大切な物も、その全て。
【幸せに】
「今、あなたは、幸せですか?」
そう聞かれたら、きっと私は「はい」や「いいえ」ともつかない返事をするだろう。
別に"不幸せ"というわけではない。
少なからず、理解ある友人や仲間はいるし、尊敬したいと思える人もいる。つつがない暮らしを続けられているし、将来の夢や趣味・興味・関心も、たくさんある。
現状に不満はない。不満があるなんて言ったら、なんて傲慢なのかと怒られてしまうだろう。
ただ、まだ私は、もっと幸せになれると思っている。
自分のやりたいことを叶えて、できることを増やして、たくさんの人々に出会って、色んなことを知っていく。
そうしたら、きっと私は、今よりも幸せになれる。
今よりも、さらに幸せになることを望んでいる。
だからこそ、「今、とても幸せです」とは言えない。
これこそ、本当に傲慢なんじゃなかろうか。
でも、私は、"幸せになる"ということに貪欲であり続けたい。どれだけ傲慢で馬鹿らしいと思われたとしても。
他の皆は、どう思い、どう考えるのだろう。
ねぇ。「今、あなたは、幸せですか?」
【ハッピーエンド】
エンドというのは、物語の終わりのことなのだろう。
ならば、私の人生の終わり、「エンド」は何だろうか。
やはり死を迎えて、葬儀の時に魂だけになって、今までの人生を振り返りながら成仏することが、人生のエンドであると考えられるかもしれない。
では、死を迎えて成仏した後は、何もないのだろうか。
死後は天国や地獄に行くと、何の根拠もない有名な噂が飛び交っているが、もしもそれが本当だとしたら……?
私の人生は死んだ後も続くことになるかもしれない。
だとしたら、明確な終わりとは何なのだろうか。
どこを自身のエンドとして区切り、捉えるのだろうか。
きっと、それは人それぞれだろう。
まだ私には答えが出せていないけれど、もしもエンドを迎える時期を決められるのならば……
きっと私は自分が最高の幸せを感じている時にする。
それなら、後先で不幸になっても、私の人生はハッピーエンドで終わったんですよ、と自慢できるから。