梅雨というのは1年の折り返し地点だ。どう?半年間をふりかえってみて。うれしかったこと、かなしかったこと、つらかったこと、色んな感情が半年間に詰まっている。嬉しかったという感情は別にいいが、かなしかったこと、つらかったこと、などの感情は忘れたいものだ。だけどそういうものは中々落ちない。そんなかなしかったこと、つらかったことを落とすのに最適なものがある、それが梅雨だ。梅雨は嫌な人が多いが、僕はそうは思わない。もし嫌だったとしても、嫌だなぁという感情でかなしかったこと、つらかったことのほとんどが流れ落ちてしまう、それに夢中になるからだ。嫌じゃない人も同じで雨の音などに癒されて流れてしまう。もちろん梅雨以外にも雨は降る。だけど普通の雨とは少し違う。それは、梅雨は継続して降るということ。継続して降れば少しづつ少しづつ流されていく。梅雨以外の雨は継続はしない、だから落ちない、これが大きな違いだ。梅雨が過ぎればまた汚れるだろう。だからそれに備えるために梅雨はきちんと汚れを落として次の準備をしよう。
木は芽から成長する。その成長している過程で木は必ず雨にあたる。他にも雪やひょう、火山が噴火すれば石やマグマがくる。だけど雪やひょうは降らないところもあるし、火山なんてそうそう出会わない。雨は日常で学ぶこと、雪やひょうは地方ごとで学ぶこと、火山は特別に学ぶことだとしよう。まだ産まれたばかりの時雨が降ってきた、少し成長して雪が降ってきた。また成長して、火山を教えてもらった。これが1人の人生なら無垢なんてないんだ。もちろん順番は人それぞれだ。だけど無垢なんてなろうとしてもそうそうなれない。それは紛れもない事実だ。だけど、この無垢から抜け出すことで世界が見えてくる、周りが見えてくる。これも紛れもない事実だ。だけど、これがないと木は成長しない、大きくなれない。毎日毎日日に当たり、風にあたり、ずっと我慢してきた。だけどきっとそれが木を救ってくれる。ほら見てごらんそこの木は今も芯まであったかそうに立っているよ。君も無垢から抜け出そう。
終わりなき旅、それはどこまでも続いている訳では無い。小さな灯火から、火花が生まれ派生していく。だけど、小さな灯火ってなんで小さな灯火となれたのだろう?それの大切さ、そしてそれの儚さそれに気づいたとき、火花は少し小さな灯火に近づく。これはなくてはならないもの、そして見落としてはダメなものである。どうか、終わりなき旅に終止符が打たれないよう、いつまでもいつまでも儚い灯火になれますように。