『命が燃え尽きるまで』
私の病気は完治はない
これを受け入れたはずだった
が
更なる現実を知ったとき
覚悟が足りなかったことに気が付いてしまった
学び学び学び…
繰り返し受け止めたはずだった
でも完治という名のない病ほど苦しいものはない
寛解になったとて
薬を止めたら再発リスクは高まる
これが先日、15年目を迎えたうつ病から
「双極性障害」に診断が変わった現実だ
うつ病だけより双極性障害の方が
再発リスクははね上がる
そして薬との更に長いお付き合いの始まりだ
十数年後に双極性障害に変わることがよくある
この事も知っていた
5分診療で伝えきれないことも沢山あった
が、最近の自分を客観的にみたとき
ずっと自身で疑っていた双極性障害にたどり着いた
5分で伝えるために
今まで話しきれていなかったこと
嘘ついていたことを簡潔にメモをし診察に挑んだ
病院の待合室
いつもならスマホを見て過ごせる
が
じっとしていられない
常に動いていたい
診察中
いつもなら淡々と話が進む
が
メモを読み終えた途端、手がモジモジする
身体が動くのだ
これは自分からしても明らかに異常だった
そして突き付けられた現実
・今は働ける状況ではない
・日常生活も困難をきたしてきている
・今出来るのは毎日の散歩
それが出来るようになったら、デイサービスに来てください
・現状、就労支援施設で働くのを目標にしましょう
あーね…
そっか…
自分が思っていた以上に、
8年前の入院していた頃に近いことを知った
就労支援施設で働いた経験もある
そのくらい、今の私はおちたのだ…
だが双極性障害と診断がついたなら
また学ぶだけだ!
私はそうやって今までだって
何度も這い上がってきたのだから!
大丈夫!!
自分を信じる!
私はきっと大丈夫なはずだ!
でも
もし私が誰かに「大丈夫!」と言っていてもさ
それは本当は大丈夫じゃないときだからさ
それに君が気が付いてくれると
助かるなぁ…
『喪失感』
毒親と毒姉を捨てて9ヶ月が経つ
毒=健康や生命を害するように
人の心や生活を傷つけること
↑を確かにされてきたし
解毒をしてから
自分の気持ちを一番に優先出来るようになった
が、
そもそも頼れる存在でもなかったのに
親子らしさ、姉妹らしさなどなかったのに
この『喪失感』が拭えない
ということはだ
私がまだ解毒出来ていないということだ
残酷極まりない
事実
それらを捨て、自我に目覚めた頃から
私を支配するものがなくなり
悪い意味で
欲が押さえられなくなっていき
15年目の鬱は双極性障害へと
昨日診断が変わった
薬的には変わらないことも知っている
だけど、白黒させたかった
それによって、これからの考えの思考を
チェンジする必要があるからだ
医師の答えに納得と
これまた『喪失感』
そして、双極の現実を突き付けられ絶望感
気が付いてはいたけれど
現状の私は仕事すら出来る状況ではないらしい
「あーね…うん…わかってた…」
けど
社会との繋がりが遮断された『喪失感』
でも負けない!
自分に負けない!
私は…何度となく這い上がってきたのだから!
這い上がる力は必ずあるはずなのだ!
まずは
現実をしっかり受け止めよう
これが現実であり
強制入院を免れただけでもまだ望みはある
その頃よりは状態は良いと思えば
まだ望みはある!
『喪失感』からのはじめの一歩は今日からだ
『些細なことでも』
話したいし、分かち合いたい
けれど…
「些細なこと」かどうかは
それぞれの価値観で大きく変わる
私は完璧でなくては
家族ではいられないという
恐怖を植え付けられて育った
だから、多分
一般的に育った人より
「些細なこと」ははるかに多い
だからだ
だから生きにくい
だから
パニック障害やうつ病になりやすかった
うつ病なんてものは
正直、私が小学生の頃は認知されていなかった
そんな時代ではなかった
けれど、異常な程の保健室通いと早退
それでも
「あなたの意思が弱いからだ!甘えだ!」と
今の時代では考えられないだろうが
大人は口を揃えてそう言い放った
それを考えたとき、学んだとき
子どもの頃からうつ病だったことに
最近やっと気がついた
20代までにうつ病になったことのある人は
うつ病ではなく双極性障害の可能性がある
確かに心当たりはあるのだ
でも5分診療では今さら話が前に進まない
一度「うつ病」と診断され
大抵、うつ状態の時しか定期検診に当たらない私は
素人が判断しているだけとしか
認知されないのだ…
『些細なことでも』
話せる十分な診療時間が欲しい…
これが私の今のせつなる願いだ
『開けないLINE』
鬱期に突入すると…
これが始まる
他の人には関係ないだろ?
と思うだろうが…開けないものは開けない
一応母なので…
子供からの通知だけはONにする
私にとって家族は子どもだけだから
という理由と
過去も今も
どんなに鬱期でも母親の役目を
サボったことがない
この役割だけは果たさないと…
毒親の連鎖は止まらない!
ということを知っているからだ
彼らの帰る場所でいなければならない
だから…そう…だからこそ
私は生きていられる
彼らの帰る場所だからだ!
子ども以外のLINEは通知オフにしても
誰からもこなければこなかったで病むのだ
既読にもしないくせに勝手なのは承知だ
ウザすぎる
それはわかっているのだが…
申し訳ないが…それが鬱期なのだ
『開けないLINE』がたまり
あまりにも返信がないと電話がなる
電話には一旦出ないのだが…
そのとき初めて『開けないLINE』を開く
あ~
心配してくれたんだ…
それに安心すると
なぜだか、鬱期が少し軽くなる
独りじゃないことを確認できるからだろう
いつもごめんね
こんな私を心配してくれてありがとう
『香水』
嫌いな人も多いけど
私は多分好きな方だ
初めての『香水』はアニエスbだった
それから子育てに明け暮れ…
忘れかけていた頃
とても好きな香りに出会った
それはうっすら恋心を抱いた人の香り
LANVINの『香水』
これはだいぶ長い間使った
その後
子供たちも香水にはまりだした頃から
ずっと今も使用しているのは
MissDior
この香りはツボだった
運命を感じたくらいだ
今では大人になった息子が
誕生日や母の日に贈ってくれる
この香りは
誰かにとっての私の香りとして
記憶されるだろうか?
香りや音楽は
その頃の記憶として残りやすい
だからどこかでこの香りを感じて
私を思い出してくれる人がいるといいなと
想うんだぁ…
どんなかたちでも
私は誰かの記憶になりたいの