星空
恥の多いとまでは言わないが、じゃあ人に褒められるような人生を歩んで来たかと聞かれたらそんな事はなく、ほとんど家出のような状態で私は生まれ育った故郷を飛び出した。
あれからもう何年経ったのだろう。
どうやって住所を調べたのか、私が暮らすアパートの郵便受けに母からの手紙が入っていた。
手紙には祖母が亡くなった事、葬儀などはもう終わらせた事、弟が結婚して孫が生まれたのを機に実家を二世帯にしたので私の帰る場所はもう無いとの事が遠回しの嫌味と共に書かれていた。
「そっか、おばあちゃん、死んじゃったんだ」
優秀で可愛い弟よりも、問題ばかり起こす可愛くない私を優先して可愛がる祖母は母に嫌われていた。
祖母はちゃんと供養してもらえただろうか。
その日の夜はいつもより眠れなかった。
缶ビールを片手にベランダに出た。
見上げた夜空に星は何処にも見当たらなかった。
「人はね、死んだら星になって子孫たちを見守るのよ」
昔、祖母が星空を指差してそう言っていたのを思い出した。
幼い頃は見えていた満天の星が見えなくなったのは、都会で暮らしているからか、歳をとって視力が落ちたからか、それとも、ろくでなしの私にご先祖様たちが愛想を尽かしてしまったからか。
緩くなったビールを一気に飲み干して部屋の中へ戻る。
真上に一つの星が輝いていたのに私は気づかなかった。
神様だけが知っている
七つまでは神のうち。
数え年七歳までの子供は人の子ではなく神の子である。
神様は子供に言った。
子供が生きるか死ぬかは親の匙加減一つで決まります。
愛しい子よ、貴方たちがご両親に愛され、健やかに生きられるように魔法の言葉を授けましょう。
喋れるようになったらこの言葉をご両親に言うのですよ。
「あのね、まま、ぼくはね、おそらのうえで、かみさまといっしょにぱぱとままをえらんでうまれてきたんだよ」
辿々しく話す幼い子供の視線の先には、こちらに向かって微笑む神様がいた。
この道の先に
様々な人で賑わう歓楽街を早足で駆け、周囲を見渡し、素早く路地裏へと入る。
そのまま早足で突き進むと、さっきまでの賑やかさが嘘のように静かになり、私の足音が辺りに響き渡った。
しばらく歩き、一軒の小さなお店の前で立ち止まった。
私の頭の中で大勢の過去の私が訴えかけてくる。
もうやめて。
今ならまだ引き返せる。
これ以上罪を重ねないで。
彼女たちの悲痛な訴えを私は鼻で笑い、店へと入る。
「いらっしゃい、いつもの?」
店主さんの問いに私は頷いた。
いつもの席に座り、持参した本を読んで時間を潰す。
彼女たちの悲痛な訴えはいつの間にか消えていた。
一歩でも踏み出してしまったら、もう後戻りはできない。
辿り着く先に絶望と後悔しかないと分かっていても、私は歩みを止めない、いや、止められないのだ。
だって、私はもう取り憑かれてしまっているのだから。
この、甘く蕩ける欲の塊に。
「はい、スーパーウルトラデラックスパフェ」
「待ってましたぁ〜!」
テーブルに置かれた巨大なパフェに目を輝かせ、私は大きなスプーンを手に歓声を上げた。
他にお客さんが居ないのをいい事にコーヒー片手に正面の席に座った店主さんが、恥じらう事なく大きく口を開け、満面の笑みでパフェを食べる私を眺めながら呆れた声で言った。
「毎週来てくれるのは嬉しいけどさ、そんな高カロリーなもの頻繁に食べて大丈夫なの? 後、危ないから歓楽街と路地裏を近道にしないでって何度も言ってるでしょ」
「大丈夫だってぇ〜、店主さんは心配性だなぁ〜」
日差し
暖かな春の日差しの中を、ボロ布を纏った白銀の乙女が優雅に歩く。
日の光に晒された乙女の真珠の如く光輝く白い肌は見るも無惨に焼き爛れ、白銀の如く煌めく白く長い髪は煙を上げなら燃えていった。
乙女の最後を見に集まった民衆たちは、乙女の悲惨な姿を嘲笑いながら野次を飛ばす。
乙女はただ空を見上げて笑っていた。
やがて乙女の体が燃え尽き、灰となって崩れ落ちた。
乙女の死に沸き立つ民衆たちに混じり、乙女の名を呼びながら泣き崩れる一人の男の姿があった。
窓越しに見えるのは
俺は野良猫っす。
名前は、そっすねー、道行く人間たちに色んな名前で呼ばれてるっすけど、俺はボスの一番の舎弟なんで舎弟って呼んで欲しいっす。
俺には尊敬するボスがいるっす。
ボスは子猫の頃から立派な雄の野良として縄張り争いに明け暮れる日々を送り、季節が三回巡った頃には、ここら一帯を牛耳るボス猫になったっす。 すごいっすよね!
今思うとボスと出会い、共に過ごした日々は楽しいながらも厳しい日々だったっす。
肥え太った他所のボス猫に立ち向かい、群れで襲ってきた余所者を纏めて返り討ちにし、人間の子供には揉みくちゃにされ、若い人間の雌たちにはチュールを片手に骨抜きになるまで撫で回され、網と籠を手に持った人間たちとは雄の尊厳を賭けた壮絶な鬼ごっこをしてと波瀾万丈な日々を送って来たっす。
そんな厳しい野良の世界を生き抜いたボスにも等々春がやって来たっす。
お相手は縄張りの巡回ルートにある大きなお屋敷で飼われている血統書付きの白い毛長種の可愛いお嬢さん、ではなく、その飼い主さんの方っす。
驚くのも無理ないっすよ。
俺だって最初は耳を疑ったっすもん。
でも今までどんな雌にアプローチされても見向きもせず、そのせいで色々と不名誉な噂を囁かれて来たボスがついに番にしたいと思えた運命の雌と出会えたんっす。
「だからお嬢さんもボスの恋を応援してもらえないっすかね?」
「するわけないじゃん、バーカ」
お嬢さんは優雅に毛繕いをしながら言った。
「この苦労知らずの箱入り小娘、窓越しでこっちが手を出せないからって舐め腐った態度を取りやがって」
これだからお高い飼い猫は嫌いだ。
「でも俺はめげないっすよ! ボスはもう三年生きてるっす! 野良の世界じゃ、そろそろあの世に片足突っ込む年齢なんっすよ! ちょっとだけ! ちょっとだけボスがここに来た時に飼い主さんを連れて来たり、他の部屋へ行かないように足止めしてくれればいいんすよ!」
俺は前足を窓に押し付けながら必死に訴えかけた。
お嬢さんが未知の何かを見たような表情で後退り始めたがここでこの部屋から逃す訳にはいかないっす。
「三年も生きて色恋沙汰経験皆無! いい年したおっさんがっすよ!? せっかく野良にしては綺麗な面持ってんのに同種に恋愛感情持てないせいでその面も無意味っす! どーすんすか! ボスから面の良さ取ったら一体何が残るって言うんすか!!」
「せめて実力は残してあげなさいよ」
「あら、賑やかね? お友達でも来てるのかしら?」
ドアが開き飼い主さんが部屋に入って来た。
お嬢さんがすぐさま飼い主さんの元へ行き甘えた鳴き声を出しながら足に頭を擦り付けた。
「毎日来てくれる黒猫ちゃんかと思ったんだけど、初めて見る子だったわ。 可愛い斑模様ちゃんね」
そう言いながら飼い主さんは窓の近くまで来ると、窓を開け、俺を抱きかかえた。
「えっ……?」
「あぁー!! ご主人様! あたし以外の猫を抱っこするなんて浮気だわ! 早くそいつを外に投げ捨てて! あんたも早くご主人様から降りなさいよー!!」
お嬢さんが俺を睨みながら鳴き叫ぶが飼い主さんは笑うだけで俺を下ろそうとしない。 むしろ俺の体をあちこち撫で回しながらジロジロと見始めた。
「痩せ気味ね、お腹空いてたからあんなに鳴いてたのかしら? あら? この子雄だったのね」
「あんたご主人様に何見せてんのよ!!」
「不可抗力っす……」
そろそろ怒り狂ったお嬢さんが飼い主さんの体をよじ登ってでも俺を排除しようとして来そうなので、飼い主さんの腕から抜け出してお暇を、としたその時だった。
「待っててね、今ご飯用意してあげる」
飼い主さんが俺を抱いたまま窓を閉め、ご丁寧に鍵まで掛けてしまった。
「……ご飯、ご馳走になるっす」
「あんた、ご主人様が部屋から出て行ったら覚悟しなさい」
その後、飯の準備のため一旦床に降ろされた俺は、お嬢さんに睨まれ続け、飼い主さんが持って来た飯を食べてる最中もずっと睨まれ続けた。
誰っすか、お嬢さんを苦労知らずの箱入り小娘とか言ったやつは、こいつはそんなか弱い雌じゃねーっす、檻の中の猛獣っすよ。
「綺麗に食べたわね、そんなに美味しかった?」
おたくのお嬢さんが怖過ぎて味を感じる余裕が無かったっす。
「さっさと帰りなさいよ」
「帰りたくっても窓が開かないと帰れないんすよ」
早く窓開けてくれないっすかね、と窓の方に目線を向けると、そこには雀を咥えながら縄張りに侵入して来た不届きものを見るような目でこちらを凝視するボスが……ボス!?
「何で雀を咥えているわけ?」
「たぶん、飼い主さんへの貢ぎ物っすかね……」
この前ネズミ貢いだら怖がられたって落ち込みながら帰って来たばかりじゃないっすか。
俺言いましたよね? 人間は俺たちと違って食べ物に困ってないから、貢ぐならもっとこう、可愛い物にしろって。
「何でお前がそこいる」
今まで聞いて来た中で一番ドスの効いた声だった。
「やばいっす。 めっちゃキレてるっす」
「ご主人様ぁ〜、こいつ今すぐ帰りたいってぇ〜」
「俺に死ねと!?」
飼い主さんの元へ行くお嬢さんの後を追う。
足元でにゃーにゃー鳴き続ける俺とお嬢さんの姿を見た飼い主さんが、俺だけを抱き上げ、子猫を見る母猫のような笑みを浮かべながら恐ろしい事を言い出した。
「本当にこの子と仲良しね、うちにお婿さんに来る?」