「家に帰りたくないんだけど」
学校が終わって、一緒に帰ろうと誘ってくれたフォルテに対してボクはそう答えた。
家が嫌だとか、親が嫌いとかそういう訳ではなく、ただなんとなく家に帰りたくなくてもう少し外にいたくて、フォルテとも一緒にいたい…………とは口には出せないけれど。
でも、彼がボクのワガママに付き合ってくれる見込みもない。真面目な彼はきっとボクをおいて一人で帰ってしまうことだろう。
そんなボクの思いと裏腹に、いたずらっ子のような笑みを浮かべて彼は言った。
「じゃあ、夜景が見れる時間まで一緒にいようか」
学校にずっとはいられないからと、カフェに行ったりショッピングモールでお店を回ったりしていたらあっという間に夜になってしまった。
夏の終わりがけだから、少しずつ日没が早くなっているのが原因なのか、彼との時間が楽しかったからかボクには分からないけれど。
高い建物の最上階から外を見渡せば、店やビルの明かりが綺麗な夜景を作り上げていた。
イルミネーションとかとは違う毎日見れる普通の光景だけれど、フォルテと二人で見ているという事実が夜景をより綺麗にしていた。
夜までいられて幸せだけど、今から帰るのは憂鬱だな……。
「ところでメゾ」
フォルテがそう口を開いたから彼の方を見つめれば少しだけ意地悪な顔で言った。
「僕と一緒にいたいからってワガママを言っていたみたいだけど、これじゃあ逆効果になってないかい?」
「…………え」
「顔、赤くなってる」
彼は余裕そうにそう言ったけど、ボクの頭は大混乱で。最初の思惑も、今の気持ちも全部全部彼にお見通しだったらしい。
「…………フォルテは、楽しくなかった?」
「きみと一緒にいて、楽しくなかったことがないよ」
彼はそんなキザなセリフを吐きながら笑った。
ユートピアには花畑がある。
一面、カラフルな花が風に揺られている風景は圧巻で、その奥に権力者タワーがある。
でも、前はそんな光景じゃなかった。演奏者くんが来た時は花畑なんてなかった。
殺風景な明るい明るい何も無い広場。
そんなのはつまらないからって、頑張って花を育てた。時がないこの世界も、花だけは育ったり枯れたりするから、毎日欠かさず水をあげた。何故か毎日水をあげてれば枯れることはなかった。
最初は簡単だった。二本、三本しかない花に水をあげるのは楽だった。
でも、いつの間にか花畑になってしまった。ううん、自分で新しく植えたり、花からどうにか種とかとったり交配させたりして花を増やしたのだ。
今は一体何本あるんだろうか。殺風景だった広場を埋めつくしている花畑。あまりにも広かったここに花がビッシリ生えている。
水あげ作業が少しだけ憂鬱だけれども、花を枯らしたいわけじゃないから、端から水をあげていくことにしている。
時間はめちゃくちゃかかる。でも、欠かしたことはない。
演奏者くんがこの花畑を好きだって言ってくれたから。そして、迷い子たちもここを気に入ってくれることが多いから。
ボクが統治している場所はユートピアの一区画に過ぎないけれど、多分一番迷い子たちにとって過ごしやすい環境なんじゃないかと自負している。
だからその評価を維持するために頑張っている。
決して無駄じゃないはずのこの行為。ボクがもし権力者じゃなくなったら、きっと無くなってしまう気がして、小さなため息が口から漏れた。
空が泣いていた。
もちろん、涙を流してるわけではない。それでも、ボクにはそうしか見えなかった。だって、この世界に雨が降ることなんてないから。
ポタポタと落ちてくる水滴を一粒、指に乗せて舐めてみれば塩味を感じられて、本当に涙なのかと錯覚しそうになる。
…………なんなんだろうか、これは。
雨、ではない。きっと、降らない。
上の人が雨を降らせられるような技術をそもそも持っていないから。
そこまで考えた時、ふと思った。
彼のグランドピアノは無事なんだろうか。
どういう原理で動いてるかとか、ボクには全く分からないけれど、なんとなくあれは水に濡れてはいけないようなきがしてくる。
いてもたってもいられなくて、走り出そうとした時、ガシッと後ろから体を拘束された。
「見つけた」
背中がゾクッとするような声のトーンが耳に届いた。いつもより数倍明るい声音だ。
「……演奏者? ピアノは濡れても」
「僕が降らしてるからね、ピアノにはかかってないよ」
彼は平然と言った。でも、彼が言ったことが本当に事実なら、上の人が演奏者くんのことを捕まえたり、監視しようとするのは当然のことかもしれない。だって簡単に天気を変えられているから。
「……じゃあ、なんで」
「きみは『雨』を見たことがないかと思ったんだ」
「それだけ…………?」
「ああ」
軽く言われて、でもボクには理解が追いつかなくて、やっぱり彼とボクというのはどう考えても対等ではなさそうだ、とため息をついた。
(現パロ)
ピコンと通知音が鳴って、メッセージが届いた。
『そうだね、デートしようか』なんて書かれている。
数刻前に彼を困らせたい気持ちで付き合ってもいないのに『明日一緒に放課後デートしない?』なんて送ってみた返事だった。
ユートピアで演奏者だった彼も、権力者だったボクも記憶を保有したまま転生したから、なんだかんだ転生前の時のように関わっているわけなんだけど。
やっぱり付き合いが長いと、前のようなウブな反応は得られなくなってくる。
そんなサラッと返されてはボクの思惑通りにもならないし、そもそもボクの恋心を思わせぶるようなことにもならない。
……ボクは演奏者くんが演奏者くんだった頃からずっとすきで、でもこんなに長く関わっているうちに、ボクの好意で関係性が壊れるのが本当に怖くなってしまった。
『……付き合ってないのにデートするわけないでーす! 残念でした』
そんなことを打ち込んで携帯を布団に投げる。
『じゃあ、しちゃう?』とか送ったら、本当に行くことになりそうだからってだけで、そんな文言を送る。
……もう少し勇気が欲しいかもな、なんて思った。
夜じゃなくても物思いにふけるときはあるらしく、家でぼーっとしながらふと天界で見た人間界で流行っているらしい本を読んだことを思い出した。
その話は恋愛小説で、幾多のトラブルを超えた二人が『この命が燃え尽きるまで君を愛すよ』と言って終わっていた。
……僕はどうなんだろうか。
今までは天使だから死ななかった。
でもこれからはどうなんだろうか。
もう天使じゃない。ということは死ぬのかもしれない。命が燃え尽きることがあるかもしれない。
…………権力者はどうだろうか。
この世界を統治してるってことは、もしかしたら悪魔とかそういうもので死なないかもしれない。
そうなったら僕はこの命を彼女に捧げることになるのか。
……それがすこしだけいい感じに聞こえるのは疲れてるからだと思うことにした。