夏といえば。
海?かき氷?熱中症?
答えは否。ゲリラ豪雨である。
「また電車が止まったァアアアアア!!!あと少しで帰れるのにィイイイイッ」
「うるさい。周りに迷惑。」
彼の声で白い目で見られているのに気づいた私は、すみません…と蚊の鳴くような声で小さくなった。
彼がズゴゴゴゴと音を立てながらシェイクを飲む。電車が止まり、人が多すぎて嫌になった私たちは一旦降りてハンバーガーチェーンで腹ごしらえをしていた。大学に戻るにも、家に帰るにも、徒歩はきつい距離だ。
「大学の研究室に泊まり込めばよかったかなぁ……。いけると思ったのに……。」
データはUSBメモリにあるが、肝心のパソコンがない。布団で寝たいという気持ちから帰路を目指したが、失敗だった気がする。
「ビジネスホテルいまから取れるかなぁ……。」
「この雨とあの人だかりなら無理だろ。」
即答。腹立つ。なんだこいつ。
「俺の家くる?」
訂正。神かもしれない。
「パソコンは?」
「もちろん貸すよ。」
「この教授の書籍。」
「あるよ。」
「晩御飯。」
「作って差し上げましょう。」
「ぜひお邪魔させていただきます。あとお風呂とかも借ります。今度ご飯奢ります。」
商談成立。これで課題を片付けられる。今からやれば睡眠時間もちゃんと取れる。なんと素晴らしい!
「さあ、早く帰ろう!」
いそいそとハンバーガーの包み紙を片付ける私は、彼の苦笑は全く気づけなかった。
「俺は布団が二組あるなんてひとことも言ってねぇんだけどなぁ……。」
外の強い雨粒の音が響く中、彼の呟きが私の耳に入ることはなかった。
【夏】
「ああ、今日もなんて可愛らしい。愛しているよ。」
「はい、旦那様。」
会話だけ聞いたらさぞおしどり夫婦に聞こえるだろう。私の足から金属が擦れる音さえしなければ。
「旦那様は奥様を溺愛してらっしゃる。」
「奥様の足に鎖をつけて部屋から出さない。」
「奥様の周りは既婚者で固められている。さぞ心変わりされるのを恐れているんだろう。」
ひそひそと聞こえてくる使用人の声に、若干嫌気がさしてベッドにダイブした。ジャリッという金属音が耳に障る。あの男が溺愛だなんてとんでもない。
彼の父は、私の父が殺したのだから。
単純な話だ。飼い殺しにするために鎖をつけて閉じ込めているのだ。部屋から出さないのも人を定期的に入れ替えているのも、反逆の余地を残さないためだ。
羽根を一つずつ毟られた鳥は鳥籠でピィピィ鳴くしかない。彼が飽きるその日まで。
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「愛しい人、どこにもいかないでおくれ。」
「はい、旦那様。」
やっと手に入れた小鳥は、随分とやつれてみえた。昔と性格も違う、いや中身が違うように感じた。
答えはすぐに出た。彼女はある晩、部屋の調度品を壊したり泣き叫んだりした。口調から何から様子の違う彼女を抑え、部屋に閉じ込めた。しばらくするとふっと静かになり、扉を開けたらスゥスゥと寝息を立てていた。
暴れた間のことは覚えていないらしい。
足枷をつけることで、暴れている時の彼女の言動が少しマシになった。
どうして彼女が二面性を持った人になったのか。知っているであろう彼女の父は私の父が殺してしまい、知る余地もない。彼女は私の父を自身の父と思い込み、父が来た翌日に暴れてしまう。泣き叫ぶ彼女を子供のようにあやすと比較的マシになるため、既婚者で子持ちの人材で固めた。既婚か独身かでも反応がだいぶ変わってしまうからだ。
なぜ彼女は父親を間違えて思い込んでいるのか。既婚者の使用人しか受け入れられないのか。
答えは彼女の心に潜るしかないが、無理に潜ったら間違いなく彼女は壊れるだろう。
だから今日も愛を囁く。早く懐に入れてと願いを込めて。
「愛しいあなた、そばを離れないで。」
「はい、旦那様。」
【隠された真実】
ちりん。
風鈴が風の訪れを教えてくれる。
「あっづぅうううううううい!!!!」
でも私にとってはそれどころじゃないくらい、今日の気温は高かった。
「何この温度!外気温38度!?ハァ!!??」
寝起きに見た温度計の気温を見て叫んでみるが、温度計は一目盛も動かない。急いで勝手に消えたエアコンと扇風機の電源をつける。来たれ文明の機器。
部屋を冷やしている間、いっそ風呂にでも入ろうか、とぼんやり考えていると、ベッドから手がいきなり伸びてきてあっという間に引きずり込まれた。
「おはよ。……もう昼近いか?」
「暑い!!熱い!!離れて!!」
彼の抱擁は夏の暑さによってより熱苦しくなる。
ぐぐぐ、と顎と胸を力一杯押すが、彼は一切動じない。これが男女の筋肉量の差か。悔しい。
「……昨日はあんなに求めてきたのに?」
「うっさい!!!」
枕を顔に叩きつける。顔の熱さは暑いせいだ。絶対そうだ。そうに決まってる。
風鈴が鳴らす清涼な音すら今の私には囃し立てるように聞こえて、その場から離れるため、そして汗を流すべくお風呂場へ直行した。
【風鈴の音】
どうして、こうなった。
勉強を教わっていたはずなのに、どうして、こうなった。
どうして私は、彼に押し倒されているのか。
きっかけは神社だった。担任がテストで赤点を取ったら追加課題を出すとか言うから。それが30cmはあろうプリントの束だったから。
そこで私は学業の神に気に入られているであろう成績優秀者の彼を連れて、神社へ乗り込んだのがつい3日前。
「追い込みかけたいから、部屋行っていいか?」
そう言われて赤点回避のためならばと部屋に案内した。私の部屋を見て「へー」とか「ふーん」とか呟いているのを聞いて、やればできる子なのはこの部屋からもわかるでしょ?と言ってやったのがつい30分前。
どうして、こうなった。
なぜ、私は彼に押し倒されているのか。
「おい、聞いてるか?」
彼に話しかけられてハッとなる。慌てて胸を押し起きあがろうとするがびくともしない。こんなところで自分の非力さを実感したくなかった。
「ねぇ、なんで、こんなこと、」
「好きだ。テストが終わってからでいい。付き合ってくれ。」
祈るような、すがるような、掠れた声だった。おそるおそる彼の顔を見上げると、眉間に皺をよせて、顔を真っ赤にした彼がいた。
「うそ、だ。」
私の呟きに彼は泣きそうな顔になる。
「嘘じゃない。好きだから神社にもついていった。試験の山と真剣に考えた。俺、本気なんだ。」
信じて。
絞り出すように彼の口から出た言葉は、私の心に深く突き刺さった。
私の耳はおそらく真っ赤だ。顔も負けないくらい熱い。意識してない時は何も思わなかった言動が、途端に恥ずかしくなる。
だって私は彼を神社に誘って、山を張ってもらって、家に招待して——
あれ?私にとって彼ってなんだろう。
友達?神社に誘ったのも、部屋に呼んだのも、異性は彼が初めてだ。
あれ?私はなんで彼を誘ったんだろう?
「……返事、してくれよ。」
彼の掠れた声が脳を痺れさせる。こんな声出せるなんて知らなかった。
私は何も考えずに彼に手を伸ばし、頭を抱き抱えた。彼が私の名前を呼んだが、それには甘さがふんだんに含まれていた。
私の体は彼を受け入れることにしたらしい。抱きしめた頭を優しく撫でている。
触れたところが熱い。嬉しくて仕方ないはずなのに、心がついていっていない。処理が追いついていないのだ。
彼と私は熱く見つめている。心は処理落ちしているのに。
唇が触れ合った瞬間、私は考えるのをやめた。
心のキャパシティはとうの昔にオーバーしている。
私の体は彼の体が捕まえた。心を捕まえるのは彼の心に任せよう。私の彼への気持ちは悪い物ではないのだから。
もうどうにでもなれ。
ふと、おみくじの恋愛欄に【身近にいる。動くのを待て。】と書かれていたのを思い出した。
【心だけ、逃避行】
「新登場の味にするか、普段の味にするか……。」
彼女は悩んでいる。お菓子売り場でかれこれ20分は悩んでいる。他のところを見てきてください!と促され、必要な食材を買って戻ってきてもまだ悩んでいる。知らない男子小学生も一緒になって悩んでいる。悩める子羊が増えていた。
「おねーちゃん、やっぱ新商品にしようよ。期間限定って書いてあるし。」
「で、でも失敗したら『あの味にすれば良かったー!』って後悔しそうで。冒険は苦手です。」
「確かに……。おれ、お小遣いはお手伝い制だから失敗は嫌だ。」
また頭を抱え始めた。要するに好きなお菓子に期間限定の味が出たが、それを買うかいつもの味を買うかで悩んでいるのだ。なぜか男子小学生といっしょに。
「弟がうるさいんだよなあ〜。おれのお小遣いで買うお菓子なのに文句言うんだぜ?」
「それでも、分けてあげるお兄ちゃんは優しいです。とっても偉いです。」
彼女に褒められてエヘヘ、と笑う少年。ほわほわとした空気が流れているが、俺がいないものとして扱われているのは納得いかない。
「両方買えばいいだろ。」
かけた声に、子羊たちはぴぇっと変な声を出した。
「だから、おれ手伝いしないと小遣いもらえないの!お金ないの!」
やれやれ、と言わんばかりに少年は言う。
「俺が買ってやるよ。」
「母ちゃんから知らない人から物をもらうなって言われてるから無理。」
「確かにその通りだ。」
今時の親はしっかりしている。いや、子供もしっかりしているのかもしれない。
「おれ、ねーちゃんの勘と経験を信じるよ。外れたら怒るけど。」
「えぇええええっ。怒るんですか!?」
……しっかりしているのかも、しれない。
「あまり彼女をいじめないでくれ。俺からのお礼だと思ってくれ。彼女を相手してくれた、な。」
「……お礼なら、貰う。ありがとう、にーちゃん!!」
会計を済ませると、ぺこりと頭を下げて少年は走っていく。彼女は俺の隣でぷくっと頬を膨らませていた。
「私、あの子より年上なのに……。」
「まあまあ、あぁ言わねぇと納得しなかっただろ。」
そういって彼女の迷っていたお菓子を両方カゴに入れる。顔を輝かせる彼女に、俺は少し意地悪したくなった。
「たまにはいいだろ?普段しないことをするのもさ。」
普段していることでもいいけど。
彼女の耳元で囁くと、耳を真っ赤にさせて一歩離れた。お菓子を食べる以外の意味は伝わったようだ。
「は、は、半分こしましょう!」
「俺は一つもらえたらいいから、あとは全部食っていいぞ。俺は何をしようか考えるので忙しくなりそうだから。ちなみに冒険は好きな方だ。」
にやりと笑ってやると、彼女はさらに赤くなり、いつから聞いていたんですか!とぽこぽこと叩いてきた。
【冒険】