絆とはなんなのか。
そんなもの、どれだけ考えたって答えがでるものではないのです。
当たり前のようにそこにあり、失くしがたい"繋がり"なんて
人によって姿形はバラバラなんですから。
よくわからないけど大切な、ふんわりしたなにか
程度の認識でいいんですよ、絆なんてものは。
たまには、落ち込んでしまうことがあったっていいのです。
たまには、泣いてしまうことがあってもいいのです。
それで明日も頑張れるなら、たまにはそういう日があってもいいのです。
たまには、遠くにでかけてみませんか?
たまには、美味しいものいっぱい食べませんか?
それであなたが頑張れるなら、たまにはそういう日があってもいいと思うのです。
ほんの少しだけ歩みをとめて、ほんの少しだけゆっくりしませんか?
たまには、そういう日も悪くないと思うのです。
そこそこ年を取ってしまって
「好き」という感情が遥か遠いものになって
「大好き」がなんなのかさえ、もうわからないけれど
きっとこんな私でも
遠い遠い昔、まだ世界も知らぬ幼い頃には
きっと、大好きな"誰か"がいたのでしょう。
愛がなにかもまだわからず、恋になるには未熟すぎた。
それでもきっと漠然とした、「大好き」が私にも存在したのでしょう。
そしてきっと、幼い私も誰かにとって"大好き"な君、だった存在になっていたのでしょう。
今はもう、忘れてしまったけれど。
さようなら、遥か昔の大好きな君。
私の知らぬどこかで、どうか幸せに。
さようなら、私が大好きな"君"だったであろう名も忘れてしまった君。
私のことを忘れたまま、どうか幸せに。
"子供の頃のひな祭りの思い出とかあるんですか?"
と聞かれて、ふと思い出したのは
子供の頃飾ってあった雛人形。
五人囃子も三人官女もなく
お内裏様とお雛様だけ飾ってあったのです。
今はもう飾られることはなくなったから、ずっと忘れていたのだけれど。
あの雛人形、今はどこにあるんだろう。
引っ越すときに捨ててしまったのかしら。
そんなことをふと考えた今日この頃。
言葉が届く何処かの誰かへ
今日はどんな1日でしたか?
たのしかったあなたも、
悲しかったあなたも、
怒りたい日だったあなたも、
なんにもなかったあなたも、
きっと明日は今日より少しだけいい日になりますよ。