「冬になったらイルミネーションを見ようね」
そう約束した今年の夏をあの人は覚えているかな?
私はあの頃をまだ思い出にできないから
できればあの人に伝えたい。
「楽しい頃の雪が溶けても心にはまだ積もってるよ」
「絶対にお迎えに来るからね」
その一言を言った時の母の顔は脳面のようだった。
「本当のお迎えなんてないんだろう」
そのとき私は幼心にそう思った。
これからこの施設という学校のような場所で
どんな暮らしをするのか不安しかなかった。
母とはなればなれになって半年が経った。
今でも思う。
母はこれからもずっと迎えなんかに来ない。
今だから思う。
私はこれからもずっと新しい友達と遊べる。
母とはなればなれになったけど
同じ境遇を経てる友達だからこそ
分かり合えるものがあって
母の心はずっと想像もできないんだ。
君が寂しさから逃げてきた子猫ならば
ぼくがずっとかくまってあげる。
孤独という名の傷を手当てして
温もりという名のご飯を与える。
それからはずっと、ぼくがそばにいるから。
ぼくは君の心を痛めないと無期限の保証をする。
君のことを好きだから
ぼくは死ぬまで君に愛というものを教えるよ。
ぼくは命ある限り君を守り続けるよ。
半袖の私にキリリと寒さを刺す秋風。
どこかで冬が近づく予感をさせるこの風に
私はいつも遠いところにいる彼を想う。
「君は何してる?」
この季節の空に送る空気のようなメッセージには
いつもほのかに焼き芋のような甘さが漂う。
『また会いましょう』というお題を見ると
米津の『さよーならまたいつか』を思い出す。
そしてあの人を思い出す。
調子が悪いと言った職場のある先輩の顔色は悪く、
今すぐにでもと早退を促したがその日も職務を務めた
本人によると胃に疾患があるらしく
死期が近いらしい。
「もう長くはない」という彼女の言葉は
本当のことだと分かっているが嘘だと思いたかった。
それから数日後。
彼女は入院のため退職した。
私は食べられないのを分かっていても
好物のお菓子をお見舞いのときに持って行った。
土産話は職場のことではなく共通の趣味の話だった。
「早く元気になってね」
そんな思いで土産話を探し回って
日替わり弁当のようにいろんな話をした。
彼女のささやかな笑顔見られるのが嬉しくて
私は時間の合間を縫ってお見舞いに行った。
ある日。彼女は私に言った。
「自宅療養になるかもしれない。
だけど、もしそうなったら家に来て。
私はあなたの土産話が一番の薬よ。
また会いましょう。また聞かせてよ」
それから半年が経つが彼女はまだ生きている。
この生活がいつまで続くかわからないけど、
私は今日も会いに行く。
私は今日も話に行く。
ネタが尽きたら別の話題を見つけて
新しい土産話のネタにする。
彼女か「さよーなら、またいつか」
と来世の再会を告げるまで私は会いに行く。