初めてスリルを感じたのは高校生の頃だった。
当時付き合っていた同級生の彼氏の家に
お互いの親には内緒で潜り込んで
抱き合うという大人だけど子供らしい初体験だった。
お互いの親には自分たちのことを隠していた。
だから、彼の家に入るだけでも
ドキドキハラハラのミッション。
計画は無事に成功した。
かと思ったけど、
二人で家を出るとき、
パートから帰宅した彼氏のお母さんと鉢合わせた。
私は心臓が飛び出しそうなくらい驚いて
過呼吸になりそうだった。
彼は言った。
友達ではなく、彼女だと自分の母親に。
その日以来、彼のお母さんとも少しずつ仲良くなった
でも、お母さんが家にいない時を狙っては抱き合った
あの時のようなスリルはもう味わえないかもしれなけど、
とても楽しい思い出となった。
ケガをしてぼろぼろの翼を私は持っている。
飛べない理由を自分の未熟さだと感じてるから、
成長したいと思うけど、なかなか難しい。
前に進むのが怖いと思う。
踏み出せない自分がいる。
もし翼を治せるなら、
もし今より成長できたら、
もう一度飛んでみたい。
私の知らない世界を知るために。
かつて会う約束をしたあの子と笑顔で会えるように。
秋の夜風がふくと名の知らないあの人を思い出す
ススキの穂が揺れるさまを
「神風が吹いている」
と言ったあの方の思いにふけている閑散とした顔
「神風が吹くのは危難を防ぐためなんだ。
君も気をつけたほうがいい。
危難は出来事ではないかもしれない。
心の具合を危惧していることもある。
今の当たり前が大切な幸せだったと後悔する前に
周りの人や自分を大切にするべきだ」
あの方はきっと誰かを失くしたのかもしれない
きっとある晩にススキの穂が揺れたとき
その大切な人はあの方に何かを言ったのだろう
あの方が思いにふけるほど重みのある一言を
そしてその後あの方の前から去ってしまった
あるいは心が離れてしまった
だからこそ私に「神風」というものの大切さを教えた
つらい時、真っ先に脳裏に浮かんだのは
楽しかった小さい頃の思い出だった。
あの頃の無垢な私は「悩み」という言葉を
知らなかった。
頭の中にモヤっとしたものがあっても
それが困ったことだとは思えなくて
なかったことにしてまた笑う。
その頃のようになんでも笑顔で片付けられたら
どんなに楽だっただろう。
でも、大人になった今ではそれは意味がない。
通り過ぎるのではなく、立ち向かわなければならない
私はつらい時こそ小さい頃の思い出の中から
父のひと言を思い出す。
「人生には必ず山がある。
その山を避けて遠回りして楽をするか、
意地でもその山を乗り越えるか。
それによって得られるものが異なる。
お前はどっちを取る?
その人のそのときの意志が人生の岐路となる。
だから答えは目の前に山が現れた時に自ずとみえる」
一度切れてしまった恋を戻そうとするのは
ただの徒労だろう。
終わってしまった恋にすがるのは意味がない。
だけど、その恋から得た思い出は意味がある。
あの人との楽しかったことや苦しかったことは
また誰かを好きになり縁が繋がったとき
思い出という名の経験が教科書になる日が来る。
もう恋はしない。
今の私はそう思ってるけど、
きっといつかはまた誰かにときめくだろう。
意味とか関係なく、ときめいて始まる恋だから。