「あー、人間の赤ちゃんのお世話をするワンコの動画、永遠に見てられるわー。癒される」
って、目を細めて携帯画面を眺めるあなたを私は永遠に見てられる。
#永遠に
マナミ、世界一好きだ
ハタチ越えたら結婚しような
天板に刻まれた文字と、抱き合う女ともだち、その傍に所在なげに立つ男を見ながら俺は思う。
残酷だな、お前ら。
母校の閉校式典のあとに、克也からのメッセージを見つけて美しい涙を流すマナミも大概だが、
わざと水を差すようにこのタイミングで結婚報告をした和紗も、それをまるで他人事みたいにボーっと無感動に聞いている颯太も残酷極まりない。
人生は喜劇だ。こういう時俺は心底思う。
そんな自分自身も、最低最悪で残酷なやつだと噛み締めながら。
俺、吉野修一は、昔から要領のいい子どもだった。
成績も良かったし、弁も立った。順風満帆な未来が待ってるんだろうなと漠然と感じていた。
でも、一つだけ予定外のことが起こった。どうやら自分は同性にしか性的な興味を待てないらしい。
思春期にそう自覚した。
昔は今より多様性だの、ジェンダーだのにおおらかではなくて、俺はその嗜好を秘密にして暮らすしかなかった。
高校で出会った颯太や克也と猥談をしていても、俺は女の子には心も性欲もちっとも揺さぶられなかったのだ。
実は克也のことが、好きだった。ずっと。
同じ陸上部で、放課後たくさんの時間を克也と過ごした。部室で汗をかいたシャツを着替えるのを見ると、ドキドキした。
でも克也は、仲の良いグループのマナミに好意を抱いているみたいだった。
俺はマナミに嫉妬した。羨ましかった。克也の心を射止めていることがーー男である以上、俺が克也の恋愛対象になることは皆無に近かったから。表面上は仲良くしていても、内心では妬んでいた。
仲間内で牽制し合ったのか、結局高校時代にカップルは成立しなかった。
そうこうしているうちに、克也が他界した。仕事を始めて無我夢中でろくにLINEのやり取りもしていない時だった。
不治の病に冒され、克也は天国へと旅立った。
俺は自分を呪った。俺を置いて行った克也を呪った。そして、安穏と日々を暮らすマナミや颯太や和紗も呪わしく思った。
八つ当たりだ、早い話。
そして、月日は流れ。俺は閉校式典の前夜、高校の校舎に忍び込んだ。
通い慣れた3年の教室、克也の窓際の特等席の机に、カッターで文字を彫った。そしてあいつらしい、稚拙で、情熱的な愛の告白を刻んだ。
松脂などを持ち込んで塗り、経年劣化しているような工夫も厭わなかった。
当日、それを見つけたマナミは感極まり涙を溢した。嬉しい、この机を貰いたいと健気なことを口にした。
俺は言う。
「マナミ、机の手配はしてやるから、これを機に克也のことはちゃんとけりをつけるんだぞ」
と。もっともらしく。
どの口で?ーーでも、本心では真逆のことを願っている。
どうか、克也を忘れないでくれ。俺はこれからも思い続ける。ずっとずっと思い続けるから、だからお前もーー
忘れないで、あいつのことを。
俺は呪いをかけた。マナミに、おそらく側にいた和紗と颯太にも。何より俺自身に解けない呪縛をかけたのだ。
なりすました罪という名の。
俺は泣き止まないマナミの肩をそっとさする。必死でマナミを慰める和紗の背もさすってやる。気遣わしげに見守る颯太にもそれらしく頷きかける。
俺たちは、青春の名残を温め合い、友情を分かちあっているように傍目には見えているだろうか。
理想郷にいるみたいに、幸せに。
天国の克也に聞いてみたい気がした。
#理想郷
「愛言葉 完」
ご愛読ありがとうございました
ねえ、あたしたち、付き合わない? ずっと好きだったの
そろそろ家族に紹介したいんだけどなー
来年あたり結婚しようか、タイミング的にもいいよね
……全部あたしからだ。思い返すと。
動くのは、誘うのは、関係を進めるのは、いつもあたし。颯太はなすがまま。風に揺れる柳のように、受け入れるだけ。断ることはないけど、自分からは行動しない。
あたしは、マナミが縋りついて泣いた机の天板に刻まれた文字を改めて見つめる。
マナミ、世界一愛してる
ハタチ越えたら結婚しような
そんな稚拙な、どストレートな愛の告白を、あたしだって颯太からしてほしかった。
でも、それは叶わないとわかってた。だって颯太が好きなのはマナミだもの。
ずっとずっと前から颯太は、マナミのことを想ってたものーー
見てればわかるよ。そんなの。
克也がマナミを好きなのも、颯太がマナミを好きなのも、わかる。
気持ち、ダダ漏れだもん。
あんな風に見つめられたら、素敵だなと思った。愛しくて、でも迂闊に手なんか出せなくて、男友達とはフランクに話せるのに、マナミと二人になると急に言葉もつかえてしまう颯太や克也。どちらも、お互いの気持ちに気づいてて、一歩踏み出せずにいた。
今ではもう懐かしい思い出だ。
先に告白とか、抜け駆けはカッコわるいみたいな、変な思い込みがあったと思う。男って、謎だ。
5人グループのあたしたちは、結局誰ともお付き合いしないまま、高校を卒業した。
あたしも一度は颯太を諦めた。大学で彼氏を作ったりもした。
でも、成人式で再会して、そのうち克也が病に倒れて、克也のお葬式で男泣きに泣いてる颯太を見たらもう、好きって気持ちが再燃して、どうしようもなくなった。
泣き腫らして目がまともに開かない状態の颯太にあたしは告白した。
「ねえ、あたしたち付き合わない? 颯太のこと、ずっと好きだったの」
克也を失い、颯太が一番弱ってるときに、ヘロヘロのときに、あたしはーー
つけ込んだんだ。
「颯太と結婚するの? やった、おめでとう、和紗」
マナミが満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。
無邪気なマナミ越しに、困惑したような顔つきの颯太と目が合う。
ねえ颯太。
とてもじゃないけど、今のその顔、友達に結婚報告したカップルの片方の顔とは思えないんですけど。
ほんとに腹芸の出来ないやつ。
泣きたくなるほど。
#懐かしく思うこと
「愛言葉3」
マナミが泣いている。
天国へ行ってしまった、克也からの告白を読んで。美しい涙が止めどなく溢れて机を濡らす。
俺は、躊躇いがちにマナミの背を撫でながら、細い背中だなと驚いていた。
こんなに華奢だったか。高校に入って、たまたまクラスが一緒になった俺たち。名簿の番号が近かったせいで、話をするようになった。仲良し5人組と認定され、子どもかよ、とツッコミつつも離れずに卒業まで過ごした。
男3人に女2人ーー微妙なバランス。誰かと誰かが仲間内、カップルになれば関係性も変化していたかも知れない。そのことにみな、気づいていたから、思い人がいても誰も口にしなかったのかも知れない。
自分もそうだーー
「ごめん、泣いて……、少し驚いちゃって」
ややあって、マナミは顔を上げた。
無理もない。俺たちはイヤ、と首を振るしかなかった。
「この机。もらえないかな、閉校で処分されるのはつらいもの」
愛おしそうに、天板の文字をなぞる。
その仕草で、どれだけマナミが克也をまだ大事に思っているかを知る。死んだ人間には勝てねえよ。刑事ドラマの中で出てきた台詞を思い出す。
「多分、大丈夫じゃないか。天板だけでもって、俺からもかけ合ってみるよ」
修一が言った。うん、とマナミが頷く。
修一の父は教育委員会に勤めている。今日の閉校式典を取り仕切ってるのが、修一の父親だ。
「マナミ、机の手配はしてやるから、ちゃんとケリをつけろ。もう克也はいないんだぞ。分かるな」
「今、ここで言う?全く修一は、昔からそーゆーとこあるよね」
マナミを慰めていた和紗が咎めた。俺もつい笑ってしまった。確かに、こいつは昔から、そういうとこ、あるわ。
すると不意に、じゃああたしも言っちゃおうかな。と、屈んでいた和紗が身を起こしながらスカートの裾を払った。
「あたしたち、こんど結婚することになったの。6月に。結納は済ませて、式場とか打ち合わせ中、ーーね、颯太?」
目を赤くして、化粧も剥げかけたマナミの前で、和紗は言ったのだった。
マナミにーーいま、このタイミングで。
俺は上手く頷けなかった。
ハタチ越えたら結婚しような
机に置いた俺の手元に、克也の文字が迫ってきた。
#もう一つの物語
「愛言葉2」
姉のなぎさは、上京して一人暮らしをしているときに、大きな地震に見舞われた。
しばらく停電が続いたほどの規模の被災で、暗がりの中何日も不安に過ごしていたと思うと俺は気が触れるかと思った。
俺はシスコンだ。なぎさのことを偏愛している。
二つ年上のなぎさは昔から可愛くて、自慢の姉だった。無邪気で優しくて人を疑うことを知らないーー控えめに言って、天使。
そんななぎさだから、小さい頃から周りが放っておかなかった。俺は、小学校の頃からからなぎさに近づく男は排除してきた。気を引きたくて、なぎさをいじめようとしたガキどもはトイレの個室のドアに細工して閉じ込め、上からバケツ水をぶちまけてやった。焼却炉に、うちばきや学習道具もぶち込んでやると、気味悪がってそれ以上なぎさに関わらなくなった。
もちろん、尻尾なんか掴ませやしない。俺はそんなヘマはしない。
中学、高校とも、そんなふうに陰になり俺は不埒な輩を駆逐してきた。その頃になると、携帯などのツールを持てるようになったから、監視や駆除は前よりも楽になった。
俺の尽力あって、姉の貞操は清らかに守られた。ふたつ違いなので、姉が先に卒業してしまい、寂しかったが、致し方ない。
大学進学を俺は心待ちにしていた。
親元を離れ上京して、姉と二人暮らしをするのだと、以前から計画していた。誰にも邪魔されない、二人だけのパラダイスーー姉を、独り占めできる。ずっと。
考えるだけで、胸が震えた。
……俺はヤバいやつなのかも知れない。姉が好きすぎて、頭がイカれてるのかも知れない。
でも、それもいい。
一つだけ失敗したと思っているのは、姉が先に大学進学を決め、2年ほど一人暮らしをした時に、恋人ができたらしいこと。
姉は家族には打ち明けなかったが、ーー短い間で破局したみたいだが、それでも俺は悔やんだ。特定の男と親密な関係にさせてしまうなんて、いくら姉の元へ駆けつけられなかったとはいえ、なんたる失策。
姉が誰か他の男の腕に抱かれてると思うと、おぞけがする。ーーいや、姉のことだ、そう易々と恋人に体を許すとは思えない。
真面目で清廉な人なんだ。
「マサムネ、なにぼーっとしてるの」
なぎさが俺に尋ねる。
いや、と俺はかぶりを振る。
「別になんでも」
俺は答える。そして、なぎさを見ながら思うのだ。
……いざとなれば、今は、産婦人科で処女膜再生手術とかも簡単にやってくれるだろうし。大丈夫だろう。
「なんでもないよ」
俺はなぎさに笑いかけた。
#暗がりの中で
「柔らかな光4」