「お疲れさん」
「お疲れした」
俺は、更衣室で除染服を脱いで、私服に着替えた。
今日の勤めを終える。
これから、宿に戻り、風呂に入って簡単に飯を済ませる。テレビは持っていないから見ない。図書館から借りた本を読んで、眠くなったら眠る。
眠れない夜はまんじりともしない。
刑期を終えて、出所した俺は全てを失っていた。
元の仕事に戻れるはずがなかった。高校教師の俺は懲戒免職になった。
教え子に手を出した淫行教師。ロリコンエロ野郎。人でなし。
ネットが俺に与えた罪状だ。
俺は街を離れた。食い詰めてたどり着いた先は、原発事故の深手が残る海沿いの場所だった。
日雇い労働者として、除染作業を行うことで、食い扶持を稼いだ。
ここでは誰も、俺が教師だったと知らない。なんでここで働きだしたのか、理由を追及する者もいない。気楽だった。
犯罪者は北へ向かう。どこかで読んだ一文を思い出す。
ーーああ、でも俺はやはり無意識に、彼女のことを追いかけているのかも知れない。
刑務所に送られてくる彼女からの手紙を、俺は読まなかった。封を開けて中を見るのが怖かったのだ。
裏面の差出人の住所が北の、原発事故の起こった地になっていたのだけは、確認していた。お母さんが福島の生まれだといつか聞いたことがある。たぶんそちらへ身を寄せているのだろう。
針の筵にいる訳ではないと思うとほっとした。
彼女の人生に関わってはいけない。これ以上。
でも俺の記憶は蘇る。ベッドで、俺の背をなぞりながら、先生の背中に星座があると囁いた甘い声が。
擬人法を教えてくれたねと、サザエさんの歌を口ずさむ彼女が、海浜に寄せる波のように繰り返し、繰り返し。
俺を狂おしく揺さぶるのだ。
#衣替え
「空が泣く5」
先生が、未成年に対する淫行で捕まった。
私が高校生で、先生の教え子だったから。先生のアパートに出入りしていたのを、同じ高校の生徒に見咎められて、SNSに晒された。
日常の崩壊は、あっという間だった。本名を、現住所を、職場をネット警察に公開されて、私たちはまともに外に出られなくなった。
先生は交際を認め、逮捕された。父親は激怒し、母親は悲嘆に暮れた。
「転校させよう。お前の実家に預けて、苗字も変えさせるんだ」
父親は策を弄した。泣きくれる母親に手続きを取るように命じた。
私は反発した。断固拒否したけど、携帯も解約され、先生と連絡も取れず二進も三進も行かなくなった。
ーーどうして? 好きな人と一緒にいたかっただけよ。それがたまたま高校の先生だっただけ。
世の中には10も歳が離れた人たちが沢山お付き合いしてるのに、どうしてだめなの?
声が枯れるまで、両親と何度もやり合った。でも誰も答えを私に差し出してくれなかった。
そんなのおかしい。絶対に、私は諦めない。
先生を待つ。刑期を終えて、出所する彼を待つの。
その頃には、私はもう高校を卒業してるはず。
誰にも、邪魔されることはないはずよ。
強制的に転校させられ、預けられた母親の実家から、先生の元へ私は手紙を書いた。それしか手段がなかったから。
でも、一度も先生からの返信はなかった。
#声が枯れるまで
「空が泣く4」つづく
「ご馳走様、美味しかった~」
朝食を完食して、花畑は手を合わせた。朝からいい食いっぷり。
昨夜、俺のうちに泊まっていった。俺たちは付き合いだした。
「どういたしまして。今日の予定は?」
食器をキッチンに下げた花畑に俺は訊いてみる。
「面接があるの。正社員枠でね、行ってみるよ」
「派遣会社、辞めるの」
「うん、なんか、腰を落ち着けて働くのもいいかなって。藪さんがあたしに仕事のしかた仕込んでくれたし」
「そうか……」
懐かしい思いがこみ上げる。うちの会社に来たはじめはいつもさぼること、手を抜くことしか考えてなかったようなやつなのに。
付いたあだ名は「おはなばたけ」ちゃん。だったのに。
変わった。ーーといえば、俺も大分変わったが。
こいつへの想いが。
「なあ、本気でここで一緒に暮らさないか。何回も言ってるけど」
ダメもとで言ってみる。でも、花畑の答えはいっしょだった。
「やですよ、そんな扶養家族でもないのに」
「扶養家族になればいい」
プロポーズ。何回も結婚しよう、一緒に暮らそうと申し出ている。しかし、「んー、それはまだいいかな」と花畑は素っ気ない。
「まだってな」
俺は脱力する。
「ずるずるになるの、やなんだ。折角藪さんが一から育ててくれたんだもの。力、試してみたい」
きっぱり言う。迷いのない目をしている。
俺はやれやれとため息を宙に溶かした。後頭部を掻く。
「俺は保留扱いか……。仕事なんか教えるんじゃなかった」
「後悔してる? 藪さん」
「いやーーぜんぜん。お前、いまかっこいいよ」
最高にな、と言ったところに、キスが来る。花畑がつい、と俺に近づいて掠めるように唇を重ねてきた。
「お」
目を白黒させてしまう。出し抜けだったから。
「じゃあ、行ってきます。面接、うまくいくように祈っててね」
鏡の前で髪を整え、身づくろいをして花畑は言った。
「わかった。今夜も一緒に食わないか」
「うん。楽しみにしてる」
俺は片目をつぶって、「行ってきます」と部屋を出ていく花畑を見送った。
俺に満開の花を見せる女。笑顔ひとつで。
……俺が育てたんじゃないよ。元から、能力はあったんだよ。質の高い仕事、ずっとやりたかったんだよ、お前は。
本来の姿なんだ。だから今、そんなキラキラしてるんだな。
とても嬉しくて、少し寂しいよ。本音を言えば。
「行ってらっしゃい」
パタンと閉じた玄関のドアに向かって俺は呟いた。
がんばれ、という思いといっしょに。
END
「やぶと花畑・完」愛読ありがとうございました
#はじまりはいつも
ピンポーン。
「はーい」
俺が、玄関のドアを開けると、ちんまりとした女の子がいた。
お隣さんーー遠山さんだ。こないだ、でかい地震があったとき、停電が続いた中お互いにチャッカマンとろうそくを貸し借りしてお近づきになった。
「良かったー、西門さん、なかなか居なくて」
やっと渡せる。と笑顔になった。
「ごめん、すれ違いだった? 俺夜もバイト入れてるから」
「いいの、これこないだのお礼。アロマキャンドル、ありがとうございました。おかげで停電でも助かりました」
そう言って、俺に手にしていた紙袋を渡す。結構嵩がある。なんだ?中身は。
と思ったが、「別に気にしなくても良かったのに。アロマだったんだね、あれ。どおりでいい匂いすると思った」と言った。
「彼女さんの趣味? 助かっちゃった」
ニコニコしながら遠山さんが言う。
「彼女なんていないよ。まぁとにかく、ありがとね」
俺もニコニコしながら改めて礼を言って、別れた。
アパートのお隣同士。すれ違って、目礼する程度の関係だったのが、地震というハプニングで俺たちは互いの名前を名乗り、大学生同士だと知った。
部屋に戻り、紙袋から中にある物を取り出した俺は目を丸くした。
「ーーお礼って、これ?」
出て来たのは卓上コンロだった。スペアのボンベも2本添えられている。
俺は笑った。言った、確かに言ったけど。ガスが止まって煮炊きも出来ねえなと、地震の時。あれを覚えていてくれたのかーーでもそれにしたってお礼が卓上コンロって! 助かるけど。
「やっぱ最高だなぁ彼女。遠山さん。遠山なぎささん。おもしれー、さすがは俺が見込んだだけはある」
色気のかけらもない実用的な日用品をテーブルに置き、俺は彼女のアパートのほうの壁を見つめた。
壁一面には、隠し撮りした物を紙焼きに印刷した遠山さんの写真が山ほど貼られている。隙間も見えないほどびっしりと。
大学へ出かける遠山さん、バスを待つ遠山さん、部屋着でゴミを出す遠山さん、彼氏に振られ泣き腫らした目の遠山さんーー
彼女が隣に越して来てからずっと見守って来た。盗聴器を仕掛け、部屋の中の様子や会話をチェックして来た。
郵便物も、中を見たかったけど、発覚するリスクが高いので諦めた。表書きで俺は名前をとっくに知ってた。
遠山なぎささんーー
もうすぐ、もう少しで君は俺のものになる。
彼女のことを聞いて探りを入れてきてるのが、その証拠だ。俺に興味を持ち始めた。
優しい隣人の俺に。
俺は卓上コンロを見下ろした。地震に感謝だなとほくそ笑んだ。
#すれ違い
「柔らかな光2」
「きれいだったね、プラネタリウム」
「ほんとだねー、来てよかったねー」
深雪と水無月は手を繋いでプラネタリウムのドアを出た。真昼なのに、さっきまで星空の世界を堪能したせいか、夜の気配を引きずってしまう。
「雫ちゃん、お昼何食べたい?」
深雪が見上げて尋ねる。水無月の会うのは今日で二回目だが、すっかり懐いている。俺と二人で出かける時よりも楽しそうだ。
「深雪ちゃんは何がいい?」
「みゆきはねー、まわるおすし!」
娘は周りの人たちが失笑するほど元気よく答えた。思わず俺は赤面する。
「おい、声が大きいよ」
水無月はあははと笑って、「奇遇だね、私もまわるおすしがいいな」と言う。
「やったー!パパ、まわるおすし行こう」
「行こう行こう」
繋いだ手をぶんぶん振って二人は俺の前をゆく。大小の背中を後ろから俺は眺めた。
深雪を預かってもらったお礼に、今日はプラネタリウムへやって来た。朝からバケツをひっくり返したような土砂降り。待ち合わせ場所に現れた水無月は、申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、私、予定を組んで外出するとき、必ずお天気崩れるんです」
「アメフラシのまつえいだから?」
意味がわかっているのかいないのか、深雪が尋ねる。
「こら」
「そうだよ、ごめんね。雨で」
水無月は苦く笑った。深雪のレインコートが雨滴を弾いているのが見えた。
「いいよ、雨はね、雪に変わるんでしょ」
深雪は水無月に言った。
「寒いところだと、雨は雪に変わるんだよって。だから、雫ちゃんが降らした雨は、深雪が雪に変えてあげればいいんだよ。スキーをすべる人とか、喜ぶからってパパが言ってたよ」
あ、おい言わんでいいと深雪を遮ろうとしたけど遅かった。
水無月は揺れる瞳を俺に向けた。
都心で初雪を見るときのような、はっとした表情がよぎった。
「……パパがそんな風に話してくれたの?」
「うん、電車でここにくるとき、窓の外みながらお話ししたー」
「……ありがとう、優しいパパだね、深雪ちゃんのパパは」
ややあって、声を顰めて水無月が言った。
「うん、優しいよ!パパいっつも」
俺は照れ臭くて仕方がなく、わざとらしく「さー、回転寿司、近くにあるかな」と携帯を出して検索するふりをした。
それから俺たちは最寄りの回転寿司で腹を満たした。水無月は安い寿司だったが、嫌な顔をせずたくさん食べてくれた。
楽しいひとときだった。俺は深雪と水無月に感謝した。水無月とふたりきりで出掛けていたら、ぎこちなくなってこんな風に笑えていなかったかもしれない。水無月も、子ども連れの待ち合わせを了承してくれなければ、深雪も寂しい休日を過ごしたかもしれない。
外は台風級の大雨だったけど、俺の心は清々しいほどの秋晴れだった。
ーーそれにしても、深雪にはあんな風に言ったが、アメフラシの末裔説って、ガチなんだろうか? にわかに信憑性が…
#秋晴れ
「通り雨5」