花畑はクビになった。
あんなに仕事を教えて、使えるようにしたのに、月末にいきなり総務から来月から出社する必要はなしと申し伝えられた。
いわゆる派遣切り。
送別会もできなかった。ーー課で、きちんとした別れも。
空のデスクを見て俺は思う。
あの晩、豪雨の日、俺が花畑を家に泊めなかったら、花畑はまだここにいただろうかと。
会社には俺たちのことは知られてはいない。花畑も話すようなやつじゃない。俺が言うわけもない。
たまたまだ、と分かっている。契約の関係、派遣先との問題。個人的な理由ではない、そう分かっていても俺は、どうしてもあの雨の夜に引き戻されてしまうのだった。
「こんばんは」
あっけなく、俺のマンションに花畑はやってきた。
「ーーおう、その、呼び出して済まなかったな」
俺は出迎えたドア先で戸惑う。まさか、こんなにフツーに、呼び出しに応じるなんて。
「薮さんが呼んだんですよ。晩ご飯食いに来ないかって」
花畑はうっすら微笑んだ。
俺はなんだか花畑を直視できない。
「そうだな、まあ上がれよ」
「お邪魔します」
居ても立っても居られず、携帯に電話した。まさか出てくれるとは思わなかった。
「いい匂いがする。鍋もの?」
鼻を引くつかせてキッチンを見る。
「惜しい、うどん」
「鍋焼きうどんですか? わー嬉しい、今日寒いから美味しいですね」
花畑は無邪気に笑った。
俺はふと胸が詰まる。俺の目線に気付き、花畑は表情を変えた。
「……なんです?」
「いや、なんか、随分久しぶりに笑った顔見た気がするって思って。変だな」
俺が苦く笑うと、花畑も空気に溶かし込むように息を吐いた。
「会社クビになってからまだ、1週間しか経っていませんよ」
「そうだな。今は?」
花畑は首を横に振る。
「どこにも。無職です」
「そうか」
なんと声をかけてよいか分からず俺は黙るしかない。
花畑はわざと明るい声を出した。
「薮さんのせいじゃないですから暗くならないで。派遣だとよくあることなんです」
「だが、あんな」
と言いかけて俺は言葉に詰まる。
あんな風に人を切るなんてーーそんなセリフ、俺が口にする資格あるのか? 俺が花畑を軽んじていないと胸を張って言えるか。天地天明に誓ってーー
「……そりゃあ電話もらって、晩御飯食いにこないかって言われた時、正直バカにすんなって思いましたよ。こいつ何言ってんだ、って」
笑みを湛えたまま花畑は続ける。
「ひとの、身体張った一世一代の告白に返事も寄越さないで、会社辞めるときにも別れの言葉もないような奴、もう諦めちゃいなよ。そんな風に思いました。薮のバカ、チキン野郎って」
「……うん」
「でも、出来なかった。忘れたくても、忘れられなかったの。どうしてもーー食べたかった、薮さんのご飯。美味しくて、どうしてもどうしても食べたいって思ったの」
なんだか駄々っ子のような口調だった。あれこれ思い悩み、もやもやしていたのが爆発したのだろう。
「俺じゃなくて、忘れられなかったのは、俺の飯か」
「飯でも何でもおんなじよ! 薮さんの全部詰まってるじゃない。料理にーー薮さんの全部じゃない、ご飯って。愛情そのものでしょう。
なんでよ、どうして今の今になって来いとかいうの? あんまりだよ」
最後は泣き声だった。
「好きだから」
俺は言った。「好きだからだよ、お前が。ーー飯を食わせたい、美味そうに食ってる顔、見たいって思うの、花畑しかいないから。だから会いたかった、来てほしかった。俺のところに」
好きだーー心から俺は思った。
花畑は、うううと歯を食いしばってポロポロ涙を溢した。
あと一話で完結
#忘れたくても忘れられない
「やぶと花畑7」
コンコン、ノックの音。
恐る恐るドアを開ける。と、隣のアパートの住人さん。見覚えのある顔に、ほっとしながら、
「……はい?」
5センチ開いた隙間から訊いた。
「すみませんいきなり。あの、なんか火をつけられるものないですか」
彼はパーカーのフードを被ったまま言った。
「火、ですか」
「うん、チャッカマンとか、マッチ、ライターでもいいす。ろうそくはあるんだけど、点けるモノがなくて」
俺タバコ吸わないんでと聞いてもいないのに付け加える。
「チャッカマン、あります」
あたしが言うと、良かったとフードの奥で笑顔になった。
「少し貸してください。当分電気止まってそうだし、夜明かしするにしても灯りぐらい点けとかないと」
いいな、と思ったのが顔に出たらしい。彼が「君も一人暮らしですよね。灯りになるようなの、ある?」
と訊いてきた。
タメ口と敬語がごちゃ混ぜだ。何歳かわからない者同士だからだろう。
あたしが顔を横に振ると、「うちのろうそく、分けてあげるよ。夜中、真っ暗だと心細いよね」と言い募る。
「ほんとですか、助かります。携帯のバッテリーもやばくてどうしようかと思ってたんです」
「俺も、チャッカマン借りるから、お互い様。じゃあ今持ってくるね」
彼は言って踵を返す。ーー隣の部屋に行きかけて、足を止めた。振り返る。
「あの、こんな時だから声かけ合おうぜ。何かあったら、隣にいるから、いつでも呼んでください」
「ーーありがとう」
優しい言葉にうるっときた。
大学の授業を終えて、アパートに帰り着いた頃合いを見計らったかのような大地震。電気、ガス、水道は止まり、ライフラインは絶たれた。
親元を離れ、都会で一人暮らしのあたしは怖くて怖くて泣き出しそうだった。ーー誰か、助けて。
お母さん……
そんな時、ピンポーンとドアチャイムが鳴り、お隣の彼が現れたのだ。
いい人! 今まで外階段とかですれ違っても、目礼ぐらいしかしたことないけど、ほんとお隣さんがいい人で良かった!
あたしは彼からお裾分けしてもらったろうそくに火を灯した。柔らかい光が強張った心を解いてゆく。
あたしは、頬杖をついてふふ、と笑った。
「これってろうそくじゃないじゃん……アロマじゃん」
いい香り。余震に怯える夜をじんわり包み込む。
今彼もこの香りを嗅いでいるかな。と、あたしは彼のいる部屋の方の壁を見つめた。
#柔らかな光
今日は、いつも読んでくださっているあなたへ。
毎日、更新を待っていてくださって、ありがとう
もっと読みたい、ハートを押してくださってありがとう
読み切りとかの方が読みやすいと分かっていて、連載とかしてごめんなさい
気に入ったキャラがいてくれたら嬉しいです
こんなコメントしてないで、話を 続きを書きなさいよという鋭いまなざしを感じますが…
ちゃんとお礼をしたかったのです
読んでくださって ありがとうございました
#鋭いまなざし
いま、空を見上げると彗星が肉眼で観測できるかもしれません。見えるのは、紫金山・アトラス彗星です。
日本時間10月13日に地球に最も接近。暗い場所であれば、全国的に西の低い空から肉眼でも見える可能性があります。肉眼で見られるチャンスは15日頃までということです。 ーーNEWS everyよりーー
「ということで私、少しお休みもらいます。ちょっと北の方に移動します」
「水無月さんー、本当に?そんなんで有休使うの?いや、権利っていやあ権利なんだけど」
俺は頭を掻いた。携帯に、水無月さんから電話がかかってきたのだ。雨を降らせると悪いから、会社、休みたいと。
うーん、俺としてはそんなことより、この間娘が世話になったお礼をしたい。予定を聞きたいのだが……。
「だって、私のせいでみなさんの天体観測の愉しみを奪うわけには行きませんからね。ひっそり日本の片隅に篭ります」
「じゃあ水無月さんは、一生天体観測できないじゃないか。これから、彗星がきても、日蝕があるとしても」
水無月さんはため息をついた。
「しようがないです、アメフラシの末裔としては」
またそういう事を言って、と口にしようとした俺はふと思いついて「じゃあ、プラネタリウムに行きませんか、今度」と誘ってみる。
「え」
「プラネタリウムなら、天気に影響しないでしょ?水無月さんさえ良かったら、どうですか。この間のお礼も兼ねて。星空鑑賞の他に何か美味しいものをご馳走させてください」
「……いいんですか。深雪ちゃんは」
「深雪もまた水無月さんに会いたいって言ってます。コブ付きでよければ深雪も、いっしょに」
「ぜひ! ぜひお言葉に甘えたいです。私、プラネタリウム一度行ってみたかったんです。嬉しい」
声が弾んでいる。
俺はほっとした。断られなくてよかった。
後で日取りの調整をしましょうと約束して電話を切った。やったー!と内心ガッツポーズをして床に転がる。
携帯を放り出し、俺は両手をアパートの天井に突き上げた。いま、何とかっていう彗星が日本に接近しているらしい。美しい尾をたなびかせて銀河を横切る星も楽しみだが、俺は人工の星空を水無月さんと見上げる日の方がよっぽど待ち遠しい。
俺は高く高く、俺たちの視界を埋め尽くすであろうプラネタリウムの星々に向けて手を伸ばす。きっと何かに届くような、何か形あるものを掴み取れるような予感がした。
#高く高く
「通り雨4」
「ベッドを使うか、それともソファにするか」
俺のベッドだとむしろ、イヤかな。と当惑顔で藪さんが言う。
「いやじゃないですけど……。ソファで十分です」
すみませんと、頭を下げる。
手料理をごちそうになっているうち、豪雨に見舞われた。電車も不通になるほどの雨脚だったので、お前さえよければ泊まっていくかと藪さんは言った。
お言葉に甘えることにした。シャワーを浴びさせてもらい、藪さんのTシャツと短パンを借りた。下着は、さすがに替えがないから、身に付けなかった。
藪さんはそんなあたしを直視しないように、簡単にベッドメイクをして「じゃあ、おやすみ」と言って寝室に向かった。
「おやすみなさい」
ざあざあ強まる雨音を聞きながら、あたしは横になった。ブランケットを頭までかぶり、目を閉じる。
ーーでも、眠れない。
当たり前か。仮にも上司のうちに泊まることになってしまったのだ。
上司……。
あたしはもやっと何かが胸にわだかまるのを感じた。間接照明のあかりさえ、気に障る。
窓を打つ雨音は、ひっきりなしにあたしを追い立てる。
「~~ああもう、」
むくりとあたしはベッドから身を起こした。はだしで床に立ち、ぺたぺたと歩いて寝室に向かう。ノックもせずにドアを開けた。
中は暗かった。でも、目は慣れ始めている。あたしはまっすぐベッドに乗り上がり、ブランケットを捲って潜り込んだ。
「お、ーーおい、花畑」
ぎくりと身をこわばらせる。藪さんはパジャマを着ていた。仰向けの彼にあたしはまたがった。
「藪さん、あたしのこと好きですか。それって、ペットを可愛がるみたいな好き、ですか」
雨音にかき消され、自分の声じゃないみたいに聞こえる。
藪さんは、そっと眉をひそめた。身体のどこかが痛むかのように。
でも口は開かない。引き結んだまま。
あたしはゆっくりを身をかがめ、その唇に唇を重ねる。
パジャマの袷に、手を滑らせる。
あたしもあなたのことを好きなのかどうかわからない。だから、こうするしかない。
こうやって、確かめるしかーー
あたしたちの影が重なる。藪さんは目を閉じ、あたしに任せた。
母親の腕に抱かれる子供のように。素直に、雨音とともにあたしの肌に包まれていった。
#子供のように
「やぶと花畑6」