噂は、電光石火の如く駆け巡る。
「知っているか、なんでもとうとうシュウのやつがレンを落としたらしい」
全校中が見守る、噂の二人、幼なじみの腐れ縁。シュウがレンにぞっこんで、なんとか振り向いてもらいたいがため、レンの提案通りふくよかなスタイルになったという。嘘みたいなほんとの話。
「え? うそ、とうとう?」
「やったなあーあいつ、あんな好き好き言ってたもんな、良かったなああ」
でも、レンはシュウなど眼中になく、いつも袖にしていたのだが……。
「純愛だぜ」
「乙骨かよーーに、してもなあ、あんなデプデプな風貌になってまで手に入れたい女かねえ、レンって」
「でもよー、痩せたらめっちゃ可愛くなったよな!レン」
「そうそう、読モみたいな。あんな変わるなんて詐欺だよなぁ、女って怖ええ」
「レンが言うには、シュウと付き合うのを断るために痩せたらしいぜ」
「なんじゃそりゃ、訳わからん」
「まあアイツらのことはわかんねーよ、昔から。毎日が痴話喧嘩みたいなもんだもん」
「言えてる。てか、コント、夫婦漫才な」
「ーーてことだから、シュウくんとちゃんと別れてくれない? 本田さん」
うっわまじか、まだあるんだ、放課後体育館裏に呼び出しなんて。昭和かよ。
のこのこやってきたあたしもあたしだけど、ーーまさか、シュウの親衛隊に囲まれて吊し上げられるとは。
ある意味、新鮮。
「てかなんでアンタぼけっとしてんのさ。自分の立場、わかってんの?」
親衛隊のリーダー格の子がずいと詰め寄る。
レンは平然と見返し、
「別に付き合ってないけど、そう言うのを赤の他人のアンタにとやかく言われるのは違うと思う。シュウとのことは、ほっといて」
と言った。
「な……! 好きじゃないの、シュウくんのこと。あんなデブにさせておいて、無責任よ」
「シュウが自分でそうしたんだよ。シュウは後悔してないみたいだし、今の彼を認めてあげたら?」
「ひっど、アンタがそうやって自分を餌にして釣ったんだろ」
右手が振り上げられる。大きく。
平手がくる。でも、レンは動じない。まっすぐリーダー格の子を見つめたまま。
その様が、余計油に火を注ぐ。
ビッターン!派手な音が上がった。レンが頬を押さえてよろめくーーと、思いきや
「ってててて。効くなあ〜、酷いビンタ」
2人の間に入ってレンの代わりにビンタのクリティカルヒットを受けたのは、なんとシュウだった。
目に星を散らしてくらくらさせている。
「シュウ」
「シュウくんっ、なんでっ」
「あいたあ、〜〜マトモに入ったあ」
シュウはふくふくした手でムチムチのほっぺたを押さえながら、笑みを浮かべてみせた。
「ダメだよ、暴力は。振るうのも受けるのも傷つく」
イケメン発言。
かつての凛々しさは脂肪にかき消されたが、そこにいた親衛隊の胸をズッキユーン!と射抜いた。
呼び出されたレンを助けたという事実と共に、賞賛の波は広がり、体重が増える前よりもシンパを増やしたという。
学校一のモテ男に再君臨した。
#放課後
「秋恋4」
視線を感じ、顔を上げると、カーテンの合わせ目からこちらを覗く瞳があった。
ベッドに横たわって、私を見ていた。服部洋平、さっき頭が痛いので休ませてほしいと青い顔で保健室を訪れていた子だった。
「どうしたの。目が覚めた?」
ベッドに歩み寄り、白いカーテンを開ける。服部くんは、仰向けの額に手の甲を当てる格好で、眩しそうに目を細め、
「はい。今何時ですか」
と尋ねた。
「3時過ぎね。もうすぐ6時限目が終わるわ。具合はどう」
「頭の奥が疼く感じですね。寝不足が祟りました」
「勉強?」
「まさか。株のトレーディングを、少し」
私は驚いた。冗談かと思ったけど、それきり彼が黙るので、追及できなかった。
首だけこちらに向けて、じっと私を見ているので「なあに? 授業に戻る?」と訊いてみた。
「いいえ。ーー先生、中居先生、でしたか」
「うん」
「綺麗な声ですね。頭痛がするのに、全然気に障らない」
真顔でそんなことを言うからまた驚く。ーーまったく、最近の高校生は。
大人びちゃって。そう思いながら私は言った。
「褒めても何も出ないわよ、保健室の先生じゃ、内申にも関わらないし」
「そんなの興味ないです。少し、このままここにいていいですか」
手を額から離して、私に微笑む。
私はそこで、彼がとてもきれいな貌をしていることに気が付いた。
ことり、と心臓が鳴った。かすかに。
「……いいわよ。6時限目が終わるまでなら。ゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます。先生、悪いんですけど、カーテンをまた閉じてくれませんか」
「ん? ああ、まぶしかった?ごめん」
私は白の布に手を伸ばす。それを、いえ、と止めて、
「ここに座って、話、してください。……カーテンの中に、いて」
服部くんは目で私をそっと促した。
いま思えば初めからだ。最初の出会いから、私は服部くんの言いなり。
彼に恋したときから、ずっと。
#カーテン
「束の間の休息2」
「すまない、水無月さん、うちの娘はーー」
血相を変えて、俺は会社に駆け込んだ。
だいぶ、急いだ。でも、すっかり遅くなってしまった。
人気のない課に保育園の制服を着た深雪が、水無月といた。娘をデスクに着かせ、隣で相手をしていた水無月が振り向いた。
「柴田さん」
「あ、パパ、おかえり」
ぴょんと椅子から降りて、深雪が駆け寄り、俺の胸に飛び込んだ。
「深雪、ごめん。遅くなって」
俺は深雪をギュッと抱きしめた。どっと安堵が押し寄せる。そして、
「水無月、ありがとう本当に助かった。この通り」
深雪を抱きしめたまま深々と頭を下げる。
「いいんですよ、電話もらったときは驚きましたけど、柴田さんがあらかじめ保育園に連絡してくれていたお陰で、私が行っても引き渡してくれましたし」
ねー、深雪ちゃん、と水無月が笑う。
ねー、雫ちゃん。と深雪が笑顔で返す。
「雫?」
「おねーちゃんの名前だよ、パパ知らないの?お友達でしょう」
「あ、そうなのか」
初めて知った。目を見開いて水無月を見ると、ふふと、微笑んだ。
しずくーー。雫さんていうのか。
静岡に出張に出かけた。日帰りの予定が大幅に狂い、夜まで足止めを食らった。
保育園の閉園時間まで間に合わない。深雪を迎えに行けない。どうするーー、プチパニックになった俺の頭に咄嗟に浮かんだのが部下の水無月だった。
電話して泣きついた。すみません、どうしても頼る相手がいない。娘を保育園に迎えに行って、俺が戻るまで面倒を見てくれないか、頼みますと。
深雪はご飯も食べさせてもらっていた。うとうとし始めた深雪を抱き上げて、俺は会社を出た。もうとっぷり夜も暮れた。
「本当に助かったよ、今夜は。後できっちり礼はしますから」
「それは別にいいですよ。それより柴田さん、ご飯食べました?あんなに急いで、まだ食べてないんじゃないですか」
水無月はそう言って、コンビニの袋を差し出した。
「パパは、しゃけが好きなのって。お家でおにぎり作るとき、しゃけばっかなのって、深雪ちゃん言ってましたよ」
袋の中身はおにぎりだった。かさりと袋が鳴る。
「水無月」
「だから深雪ちゃんも、しゃけおにぎりが好きなのって教えてくれました。子ども心に、私に迷惑かけてるって気にしたんでしょうね。パパ、ほんとはいつもちゃんと保育園の終わる時間には迎えにくるんだよ。その後、晩ごはん作ってお風呂にいっしょに入るの。で寝る時絵本読んでくれる、いいパパなんだよって言ってました」
彼女の声音は優しく俺を包んだ。腕の中の深雪の重みが、体温が、俺を慰撫する。
水無月は俺の手が塞がっているので、袋を持ったまま歩き出した。
「読み聞かせはね、パパあんまし上手くないの。疲れてるのか、読んでる途中でパパ寝ちゃうのが多いんだって言ってました。だから深雪、終わりまで知らないお話多いんだって。でも、とってもいいパパなんだよって。おねえちゃん、パパ遅くなっても怒らないでくれる?って、何度も何度も」
それを聞くと、もうダメだった。俺の涙腺は決壊した。
夜道、会社の同僚ーー年下の部下の女の人の前で、声を殺して泣いた。生まれて初めて。
妻が浮気して離婚になって、うちを出て行った時も泣かなかったのになーー
深雪はスヤスヤ寝息を立てている。水無月はコンビニの袋を片手に、星を見上げ俺を直視しないようにしてくれた。
涙の理由も、訊ねることなく。
優しさが身に染みた。そう思うと、俺は更に泣けてしまうのだ。
#涙の理由
「通り雨3」
夜に急に降り出した雨は、降りやむどころか、雨脚を強めていったーー
「止みませんね」
「止まないな」
晩御飯を頂きに藪さんのマンションに立ち寄った日だった。
今夜はアンコウ鍋と肉じゃが、アジフライというごった煮メニュー。あたしは遠慮も忘れてありついた。
なんでこんなにこの人の作るご飯は美味しいんだ? うちの母親より、料理上手な上司っていったい。。。。
と思っていた矢先の雨だった。
藪さんは携帯で天気ニュースをチェックして、「これは止みそうにないな、朝まで」と言った。
「傘、貸してもらえれば、歩いて帰りますけど」
「いやそれが、線状降水帯が急発達して、ゲリラ豪雨並みの被害が出る区域があるらしい。電車、止まるかも」
しかめ面で画面を見たまま言う。
えー……それは、困る。
あたしは黙った。窓の外からざあざあとバケツをひっくり返したような音がしている。
藪さんは何かを吹っ切るみたいに携帯から顔を上げた。あたしを見、
「泊まっていくか、花畑さえよかったら」
そう言った。
泊まり。さすがに、ぎくっと反応してしまう。
「いや、気持ちはわかるが、部下を危険な状態で帰すのも気が引けるんでな」
困った様子で頭の後ろに手をやる。
「有難いお申し出、ですが、藪さんこそいいんですか、あたしなんか泊めて。彼女さんとか、……」
「お前さあ、何度もうちに来てて分かってンだろ。いねえよ、そんなの。ここ数年ご無沙汰だ」
かぶりを振ってため息を吐く。
「はあ」
「お前こそ、彼氏とか、気い悪くしないか。こんな誘いしといてなんだけど」
「? 彼氏なんていませんよ。それこそ、ここ数年」
「……そ、そうか」
「……」
藪さんもあたしも無言。
ああ……どうしよう。
この人のうちに、泊まるーーそれって、ただ雨宿りっていう意味の「泊まる」なのか、それとももっと複雑な意味合いが込められているのか。恋愛から遠ざかって久しいから、もう全然わかんないよーー
ただ一つ言えるのは。
ぜんぜん、イヤじゃないってこと。一晩薮さんのうちにお世話になるってことを、あたし、全く嫌がってない。
ううん。むしろ、ーー
雨音がざああっと更に強まる。誰かにとっては不穏な音なのかもしれない。でも、今の私にとってそれは、心躍る何かの前触れのようなドキドキを引き連れて心臓のある方の胸を叩いた。
#ココロオドル
「やぶと花畑5」
「……ん、俺、寝てた?」
目が覚めると、彼女の顔があった。
優しい目をして俺を見下ろしている。膝枕で寝ていたみたいだ。いつのまに。
俺は身を起こした。衣服の乱れを整えてベッドから腰を上げる。
「疲れてるわ、忙しいの?」
「うん、選挙がもう少しであるから、準備に追われてる。ーーしまった、会議があったんだ」
忘れてた。他の連中が探しているに違いない。
「無理しないでね、倒れたら元も子もないわ」
「倒れたらここに運ばれるだろ?そうすれば君に会える」
「ま」
嬉しそうに頬を染める彼女の頬に手を添えて、俺はキスを刻んだ。長めのキスになる。
清潔な白いカーテンに視界は遮られている。
「しばらく会えないわね、つまらないわ」
少し拗ねた風に彼女は呟く。
「ここに来ればいつでも会える、またベッドで横になりたい時に借りに来るよ」
束の間の休息が得られるのは、校内でここだけ。
「ん、」
もう一度キスを交わしてから。俺はカーテンを開けて部屋を出ていく。
彼女が心配そうに「無理しないでね」と囁いた。
「ーーあー! どこ行ってたんですか会長!探しましたよ、会議始まります、早く早く!」
保健室を出たところですぐ、執行部の後輩に捕まる。
「って、会長どこか身体の具合、悪いんですか」
保健室と書かれたプレートを見上げながら尋ねる。
「ああ、いや、ちょっと絆創膏貰いに来ただけ
だよ、悪かった、すぐ行くよ」
「あ、服部くんこれ忘れてるわよ」
行きかけたところを呼び止められる。見ると中居先生が戸口で絆創膏をひらひら振っていた。
「ありがとうございます」
何食わぬ顔でそれを受け取り、俺は生徒会室に向かう。
後輩は、チラチラ背後に目をやりながらついてきた。
「養教の中居先生、きっれーだなア相変わらず。30前でしたっけ?彼氏とかいるんすかね」
「さぁな」
俺はそらとぼける。
「珍しく白衣の前、はだけてましたねえ。白衣の下、ワンピでしたね、エロいっすね、ワンピに白衣って」
思春期爆発で後輩はぐふふと嗤う。
「何言ってんだバカ」
彼氏はいるよと内心言ってやる。
中居先生の膝枕を独占できるのは生徒会長の俺だけだ。
#束の間の休息