風に乗って____
「夏 美しい日本語」
私は、光る画面に向かってその言葉を打った。それでも、私がほしい言葉はなかった。どんなサイトを見ても知っている言葉ばかり。そして、言葉や意味を読んでも理解しがたいものばかりだった。だんだんと言葉ではなく詩やことわざ、俳句が表示されるようになり、一度スマホを閉じる。
私が求めているのは「言葉」だ。文じゃない。詩じゃない。俳句じゃない。同じような言葉が無駄にたくさんある日本。でも、少しずつ違う。その感覚を味わえるのは日本語を知っているものだけ。日本人だけ。
その繊細な言葉をもっと知りたい。
美しいものをもっと見て読みたい。
もう一度スマホを開き、間違えて画像をタップした。すると、美しい夏の海の写真に、言葉が添えてあった。
「写真と言葉で残したい未来のこと」
思わずその写真を押すと関連コンテンツにはたくさんの写真と美しい日本語が添えてあった。
私が求めていたもの。
それは、美しい日本語。
でも、本当は美しさだったのかもしれない。
写真にも言葉にも一気に惹かれ、
私はその人の虜になってしまった。
古性のち
こしょうのち
フォトグラファー
美しいものは好きですか?言葉や文は好きですか?
ここいる皆さんは、好きな人が多いと思います。
ぜひ、この方を調べてください。本も出しているのでよかったら買ってみてもいいかもしれません。
この方のおかげで素敵な世界と日本語に出会えました。
流れ星に願いを____
小さい頃はよく、寝る前に出窓を開けて、
夜空の星を見上げながら手を重ねた。
「どうか、ママもパパも妹も大切な人たち、
全員明日も生きられますように」
「世界中の人たちに幸せが訪れますように」
「おやすみなさい」
そう言ってベットに入る。
今思うと馬鹿馬鹿しいけど、小3ぐらいまで
そんなことをしていた。
多分、不安だったんだ。
誰かが死んで、不幸になることが。
ルール____
わたしの自己ルール
一つ目
相手はどんな状況であり、どんな心情であり、どんな環境にいるのかを理解しなければ人を傷つける権利など得られない。相手の全てを理解できる人などこの世にいない。だから、わたしも人を傷つけることはできないし、しない。
二つ目
被害者だけを見ていれば上辺だけを見ているのと一緒。だから、視野を広げて加害者の気持ちにも寄り添わなければならない。だからと言って加害者の味方になるわけでも被害者の味方になるわけでもない。わたしは、どっちが悪いかとか、どっちの方が辛いかとか、そんなものを比べて公平な判断ができるほどの人間じゃない。ただ、辛い人の支えになれればいいと思っているだけ。
三つ目
一つ目のルールをわたしは無意識に破っているだろう。だから、その分人に優しくする。無意識に傷つけるのはもうしょうがないと以前割り切った。「このとき、もしかしたらわたしは相手を傷つけできたかもしれない」とあるかもわからない罪悪感に潰される。この三つ目のルールは自分のためにあるんだ。人に優しくする。それは、唯一わたしにとっての自己肯定感となる。
今日の心模様____
自分が嫌いなんてもんじゃない。
自分が気持ち悪い。