「声が枯れるまで」
マイクを構えて、喉を震わせて、声を出す。特に取り柄のない平凡な歌声が、自分の喉から出る。後ろにはベースにドラム、キーボードが歪な音を奏でている。ライトが僕を照らす。自分だけが光の中で、自由でいるみたいな錯覚に囚われて、一瞬で現実へと連れ戻される。光の向こう、暗闇には、10人くらいの観客が見えた。といっても、内3人は友人、2人はスタッフで、実質ファンは5人くらいだった。
歌うことは好きだった。バンドも楽しかった。だが、突きつけられる現実。減り続ける貯金。
僕は、売れないアーティストだった。
『将来の夢』中学2年生、夏課題作文テーマ。
なんでも、将来を見据えて高校進学を目指さなければならないと、この時期から将来について考えさせられるようだった。夏課題には、この作文以外にも、気になる職業・高校調べ学習プリントなんてのもついてきた。もちろん、各教科別の課題も他にあるわけで、夏休みは勉強詰めになることがほぼ確定していた。そんな風に沈んでいる僕とは裏腹に、元気な声で声をかけられた。
「ねーねー、祐ちゃんカラオケ行こー?今日から夏休みなんだし!」
「んーまぁ、いいけど」
「やったぁ!!祐ちゃんと初カラオケだー!じゃあ今日の5時からね!現地集合!絶対きてね!」
ばいばーい!と華ちゃんは嬉しそうに元気よく去っていく。カラオケなんて普段なら絶対に行かないのだけど、1年前から行く行く詐欺をしていたのと、幼稚園からの幼なじみで気の許せる仲であるというのがあって、今日は行くことにした。
家に帰って適当な服を着てカラオケに向かう。着いたらもう華ちゃんはいて、受付は済ませておいたから早く入ろうと言われた。
僕がカラオケを執拗に嫌うのは、純粋に人前で歌うことに抵抗があるからだ。昔歌ったときに両親に「お前は音痴だ」とハッキリと言われてしまったことが今でもトラウマになっている。
言われた番号の個室に着いて、席に座る。何もかもが初めてなので落ち着かない。華ちゃんが歌い出した。最近流行りの曲を華麗に歌いこなしていた。僕の番が回ってくる。僕も無難な最近流行っている曲を入れた。
「え、上手いじゃん!」
華ちゃんはそんな反応をした。嘘をつけ。僕の歌がうまいはずがない。華ちゃんは上手い上手いと連呼している。確かに、音痴と言われて、僕が何もしなかった訳では無い。練習が実ったということだろうか。少しだけ自信が湧いてきた。
「ねぇ夏課題に作文でたじゃん。何書くの?」
帰り道、華ちゃんは唐突に聞いてきた。
「え、まだ決まってないよ。将来の夢なんてないし」
「私はね、実はアイドル目指してるんだー!」
にひひっとこちらを向いて彼女は笑う。
「アイドルって簡単になれないんだよ。オーディションとか受けないとだし、なれても色々大変で」
「知ってるよ!」突然の大声にビクリとした。
「知ってる。私本気だよ。ちゃんと調べてる。」
「…そっか。」
僕が小言を言ってしまった。良くない癖だ。
「ねぇ、夢ないなら歌手になろうよ。」
「え?歌手?」
「うん。祐ちゃんなら絶対できるって!」
そんなに上手かったのだろうか。
「いや、無理だよ。」
彼女は本当にアイドルを目指すつもりらしく、この夏休みにオーディションに参加。結果はなんと合格。
「ねぇねぇすごくない!?」と、キラキラした目で合格通知を見せてきた。
少しだけ、僕にもできるかなと自信をもてた。
勇気を出して、作文には歌手になりたいと書いた。華ちゃんはすごく嬉しそうな顔をしてこう言った。
「祐ちゃんの歌絶対聞きに行くから!」
華ちゃんは中学卒業で疎遠になったけど、しばらくしてアイドルとして有名になった。大手アイドルグループに所属し、大きな舞台にも立つようになった。それと同時に、華ちゃんは切羽詰まっているように見えた。笑顔だけど、どこか不安が見える表情。僕は陰ながら心配していた。すると、つい一昨日、無期限の活動休止が発表された。理由は書かれていない。
華ちゃん、僕はあの作文に、歌手になりたいと書いた後に、こう書いたんだよ。
「人を応援する曲を歌いたい」
僕は君を応援したいと思ったんだ。
売れていなくても、華ちゃんに届いているかもしれない。そう信じて、僕は君を応援し続ける。
「次の曲で最後となります。」
ほとんど居ない観客に向かって言う。
「大切な人にエールを送る曲を作りました。聞いてください。『華』」
この曲は、1番大切だから。ライブのトリを飾る曲。声も掠れているけれど、そんな声を振り絞って、声が枯れるまで歌った。君に届くことを願って歌った。
ライブは終わった。
「お疲れ様でしたー」舞台裏で、バンドメンバーと少ないスタッフに挨拶をする。
バンドメンバーたちは、「打ち上げいくか」などと話しているが、僕はその誘いを断った。華ちゃんの休止で精神的に余裕がなかった。売れていなくても、バンドを続けてきたのは、華ちゃんがアイドルを続けていたからだった。
「祐さん、会いたいって人が」
時々コアなファンがライブ終わりに会いに来る。僕は今日もそれだと思って気を引き締めた。
「来てくれてありが」そこで言葉が詰まった。
そこに居たのは、マスクと帽子をつけた女性。目元だけしか見えないが、僕はとても見覚えがあった。
「久しぶり。祐ちゃんの声が聞こえたから、来てみた。歌手、なってたんだね。ライブお疲れ様。」
その女性はふふっと笑う。
僕は無意識に、目から涙がこぼれた。
僕の歌は、ちゃんと君に届いた。
「始まりはいつも」
始まりは、いつも君。
僕はその日も、殴られ蹴られ、家から閉め出された。
3月の寒い夜だった。家の前で体操座りをして、開けてもられるのを待つ。寒くて震えてきた。僕は目を瞑って、必死に寒さに耐えていた。
どれくらい経っただろうか。肩をトントンと叩かれた。顔を上げると、知らない少年が僕を見つめていた。僕は驚いて勢いよく身を引く。その行動に相手もビクリとする。
「何してんの?」
少年が怪訝な顔で聞いてから、僕の身体を見た。痣だらけの腕。少年は何かを察したようで、眉根を寄せた。
「ねぇ今暇?」
「え?」
「ちょっと来て!」
「わっ」
少年は僕の手を引いて、どこかに向かって走って行く。ひとつの家の前で90度に曲がったと思ったら、減速せずに玄関へと飛び込んだ。
「母さーん!」
少年が呼ぶ。少年の母親らしき人が現れた。おばさんは、どうしたのと言いかけて僕に視線を止めた。血相を変えて、「とりあえず中に入りなさい」と言って、家にあげてくれた。
おばさんに根掘り葉掘り聞かれて、全てをうちあけた。僕にとってはあったことを話しているだけで、特別なことなんて何も無かった。だけどおばさんは、それは虐待というのだと教えてくれた。僕は、
「でも、お母さんは悪くない、全部僕が悪いんだ。」
そう言ったけど、おばさんは悲しそうな顔をするだけだった。
警察が来て、あっという間に僕の家は崩壊した。それが、僕にとっては嫌だった。
どうして。助けなんて求めていなかったのに。
そう思った。でも僕が本気でおばさんを止めなかったのは、どこかおかしいことに気づいている自分が居たからなのかもしれない。
僕はその少年の家に引き取られることになった。彼は最近越してきた、転校生だそうだ。もっとも、僕は学校に行っていないので、関係の無い話だが。
「なー、今度の始業式から学校行くんだけど、一緒に行かね?」
彼は自然に振ってきた。
僕は学校に行くことを親に止められていた。お前は体が弱いから。学校なんて行かなくてもいい所だから。色々な理由をつけて休まされた。今考えてみれば、痣を見られたらまずいからだったんだろう。
僕は悩んだ。何分か経った頃、やっと口を開いた。
「行ってみようかな。」
「おー、じゃあ決まりな〜」
案外軽い返事をされた。これも彼の優しさなのだろうか。
登校日。彼について行った。学校に着くなり保健室に通されて、よく来たねとか、えらいねとか、よく分からないけどたくさん褒められた。きっと警察沙汰になったことで、僕の素性を知っているのだろう。学校なのだから、報告でもされているのかもしれない。保健室の先生は教室に案内してくれた。ドアの前に着くと、ちょうど転校生の挨拶をしているところだった。教室自体久しぶりに見たし、この学校の教室は初めて見た。注目を集めたくなくて後ろのドアから入ったのに、物音でみんなに気づかれてしまった。入学してから一度も来ていなかったせいで転校生よりも注目を集める。嫌な顔をすると思って少年を見たが、少年は面白そうにこちらを見てニヤニヤしていた。
外の世界と断絶された小さな世界で生きていた僕は、少年にたくさんのことを教えてもらった。人との関わり方、話し方、友達の作り方、本当に色んなことを教えてもらった。だんだんと人と話すことの楽しさを覚えた。始めは細すぎた腕も、おばさんの料理を食べていたら健康的な肉付きのある腕に変わった。痣も時間経過とともに確実に薄くなっている。
ある日、体育の授業で体力測定があった。50メートル走7.3秒、持久走1500メートル5分37秒。彼は僕の結果を見て驚いていた。
「お前足早くね!?一緒に陸上入ろうぜ!」と誘ってくれた。僕は部活が決まっていなかったし、彼が喜んでいたから入ろうと思った。
彼とは毎日ランニングや走り込みなどをしてトレーニングした。彼が「俺らで優勝目指そう」と笑うから、僕は彼のために頑張れた。
僕らは初めての大会で県大会出場。結果は10位と11位。悔しかった。
僕らの記録はぐんぐん伸びた。2回目の大会も県大会出場。結果は8位と7位。僕は嬉しさと悔しさが混在した、複雑な気持ちを味わった。
「なぁ、お前、陸上すき?」
ある時、彼に言われた。僕は長考した。彼に言われて入ったことで、いつも彼のためという気持ちがどこかにあったのだ。しかし、今振り返ってみると、純粋に陸上に打ち込む自分がいた。
「好きだよ。」
それは初めて僕が表現した自分の気持ち。
彼はすごく嬉しそうな表情を浮かべて、そっか。とだけ言った。
僕の人生を変えたのは君だ。
君に出会えて、心の底から良かったと思う。
ありがとう、僕の人生に価値をくれて。
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毎日毎日、今日こそは短いものを書こうと思うのですが、いつもこんなに長くなってしまいます。小説執筆楽しすぎます。
恋愛ものばかり書いていたので、たまには友情を書こうと思いました。あと珍しくハッピーエンドです。
「すれ違い」
彼と同棲して1年、彼の私への愛は薄れていった。以前とは明らかに違う態度の彼に、私はもう愛されていないのだと感じる。
ある日、彼は婚約指輪を忘れていった。彼は夜遅くに上機嫌で帰ってきて、家にある指輪を見てから、
「あぁ、忘れてた」
それだけ言った。嘘くさくて、悲しかった。彼はきっと、他の女ができたのだ。きっとその女と上手くいって、私はやがて振られる。彼に振られる想像をするだけで胸が苦しかった。私から振ろう。そう決心した。その方がきっと苦しまずに済む。私と別れた後の彼が何をしていても、気にしないで済む。
きっと。
彼女と同棲して1年、彼女とは上手くいっている。同棲したての頃は、気を使ってしまって、正直家での居心地が悪かった。しかし、最近ではだいぶ素で過ごせるようになった。素を出しても、会社で帰りが遅くなっても、嫌な顔ひとつしない彼女に惚れていくばかりだ。
彼女の待つ家が待ち遠しい。今日は婚約指輪を忘れてきてしまったせいで、左手が落ち着かなかった。もし彼女に知られてしまって悲しませたくないと思い、彼女に連絡することはやめておいた。彼女が指輪を見つけていないことを願う。
玄関を開ける。彼女が出迎えてくれて、思わず笑顔で彼女に抱きついてしまった。彼女も抱きしめてくれる。その行動で愛を感じる。机に置いてある婚約指輪を発見した。こんな所に忘れてきてしまったんだ、彼女も見てしまっただろう。ただ、もしかしたら見ていないことを祈って、最低限のリアクションで指に戻した。
夕飯を食べて、テレビを見ていた。彼女に突然、テレビを切られる。驚いて、
「どうしたんだ?」
と問いかける。
「ずっと、言おうと思ってたの。私たち、別れましょう。」
あまりに急なことだった。理解に時間がかかった。その後に悲しみが押し寄せてきて、俺は何も言えなくなった。
「あなたの事が嫌になりました。私はあなたを愛していません。」
彼女は涙ながらに続けた。そうか、泣くほど我慢していたんだ。俺は彼女が好きだった。だからこそ、彼女の気持ちを尊重したかった。
「分かった。」
震える声でそう言った。涙は流さなかった。彼女が泣くほど耐えたのに、俺が泣くのは筋違いだと思った。全て俺が悪いんだ。
彼と同棲して1年。彼が他の人を好きになったので、私は邪魔だと思い、別れました。
彼女と同棲して1年。俺に愛想を尽かせた彼女に別れを告げられ、別れました。
「秋晴れ」
一昨年の秋、母が死にました。
病死でした。うちは母子家庭であり、女手一つで育ててくれた母は私の唯一の家族でした。母が死に、私は立ち直ることができずにいました。それからは、母の墓に通う日々でした。毎日のように通い、1ヶ月が過ぎた頃でしょうか。隣の墓にお参りをする女性の姿がありました。彼女は墓参りをさっさと済ませると、帰り道とは逆方向、森のある方へと歩き出しました。多くの墓の間を縫って、彼女の姿は遠くなっていきます。不審に思った私は、まさか墓荒らしなどではないだろうかと後を追いました。彼女は一切の迷いなく歩を進め、数多の墓を素通りし、その奥にある森へと姿を消しました。不審を通り越して不気味に思えた私は、何も見なかったことにして帰ることもできましたが、私の中に沸き立つ好奇心に抗うことができず、森へと足を踏み入れました。
森の中は薄暗く鬱蒼としていて、妙に静寂が際立ちました。森へ入るのを躊躇っていたために、彼女の姿を見失ってしまいました。湿った地面を踏み締め、彼女を探すために辺りを見回していると、一際明るい所がありました。見るとそこだけ木々が生えておらず、林冠が割れ、陽光が降り注いでいるようでした。私はその場所に近づき、息をのみました。
そこは一面、コスモスの花に彩られていました。陽の光に輝くコスモスの花々に、天国に来たような錯覚を起こしました。コスモスの海の真ん中で、天使が舞っていました。その天使は、こちらを向いて目を見開き、こう言いました。
「どなたですか?」
そこで私は正気を取り戻しました。いつの間にか私は彼女を凝視していたようでした。私は慌てて目を逸らし、
「あぁ、いや、森に向かうところが見えたものですから。」
たどたどしく返事をしました。それから、
「こんな綺麗な場所があったんですね。」
と、付け加えました。
彼女は頬を薄紅色に染め、優しい笑顔を浮かべました。
「そうでしょう?私が先約ですよ?」
彼女はくすすっと笑い、冗談です。と付け足しました。冗談を言う彼女を見て、話しやすい人で良かったと思いました。下の墓からついてきたのです。気味悪がられてもおかしくなかったでしょう。
それから私たちは、コスモスの花に囲まれて色々な話をしました。他愛のない話から始まり、次第に打ち解けて気が抜けた私は、身の上話までしていました。彼女は、赤の他人の話を親身になって聞いてくれました。日が傾き始め、当たりが暗くなりだした頃、彼女は立ち上がってこう言いました。
「明日もいらっしゃいますか?」
私が、「ええ」と答えると、彼女はにこりと笑って、
「ではまた明日。」
と、頭を下げて去っていきました。
翌日、彼女は約束通りやって来ました。二人で並んで墓参りをし、コスモスの海で談笑をする。そんな日々が日課となっていきました。
2週間ほど経った頃でしょうか、その日は彼女がいつもより早い時刻に立ち上がりました。
「今日はもう行かれるのですか?」
私は尋ねました。
「はい。それと、言っておかなければならないことがあります。」
彼女は続けます。
「明日からは来られません。」
すみません。と彼女はどこか悲しげな笑顔をつくりました。逆光で暗く見える彼女の背景には、秋晴れの空が眩しく輝いていました。
それから、本当に彼女は来なくなりました。私は彼女の名前を聞かなかったことを強く後悔しました。毎日、墓に来ては母のことばかり考えていたのに、墓にいても何をしていても彼女のことばかりを考えるようになりました。そうなってから、私は彼女に救われていたことに気づきました。墓参りの頻度は次第に減っていきました。精神的なものにより断念していた社会復帰も、果たすことができました。ですが、私の頭の片隅にはいつも彼女がいました。「もう一度会いたい。」そればかりがあるのでした。
やがて2年の月日が流れました。ある日、遠い親戚から突然の連絡があり、「もういい歳なのだから嫁を迎えなさい。」と、縁談をもちかけられました。
お見合い当日、私は適当に断るつもりで挑みました。ですが顔を合わせた瞬間、私は全身が固まりました。辺りの空間が一瞬にしてスローモーションになり、私の目は彼女に釘付けでした。そのお見合い相手というのが、墓で出会ったあの女性でした。この驚きは、彼女も同じく感じたようで、お互い目を見開き見つめ合うという異様な状況を作りあげたのでした。
先に動いたのは彼女でした。彼女は自分の父親の方を向き、
「お父さん、私この方とお付き合い致します。」
と言い放ちました。父上は驚いておられるようでした。
その後は、2人でお話をしました。今度はお互いに名乗り、彼女の身の上話も聞きました。
「またお会いできて嬉しいです。」
「私もです。」
庭では秋晴れの空の下、コスモスの花が揺れていました。
「忘れたくても忘れられない」
2本立った歯ブラシを、1本捨てる。
ピンクと白、ペアで買ったグラスは、
ピンクの方を棚の奥へと追いやる。
そうやって少しずつ少しずつ、
君の痕跡を消していく。
それでも消えない君の匂いが、
君との記憶を忘れさせてくれない。
たくさんのものを捨てたのに、
この部屋はいつまでも君を覚えている。
忘れたくても忘れられない
君との幸せな思い出。
目から止めどなく、涙が溢れ出る。
君がいないのに、
俺はこの世界を生きていかなくてはならない