笑っていてほしいと願うのはぼくのエゴだ。
本当に、勝手な話だ。願いながら、濡れたグチャグチャの笑顔しか浮かべられないのはぼくのほう。自分にできもしないことを、きみに願っている。
ごめんね、自分勝手で。ぼくの知らないどこかで、それでも幸せでいてほしいと願っているんだ。
どうか、どうか。きみよ。幸せでいて。いつか再び出会う君が、笑顔でありますように。
テーマ「別れ際に」
気になっている人に、デートに誘われた。喜び勇んで服を選び、化粧を施し、自宅を出たのが10分前。そして今。
『ごめん。親戚に不幸があったみたいで、行けなくなった。ギリギリの連絡になって本当にごめん』
スマホの通知音とともに来たメッセージが、これ。
約束の時間までは、まだ30分以上あるし、事情が事情だ。責めることはできないし、そもそも彼は何も悪くはない。お悔やみ申し上げます、気にしないでねのメッセージだけ送って、小さく溜め息。がっかりするのも、この徒労感も、勝手に己が感じているだけ。けれども、どうにもやるせない。だって、10分前まではあんなに晴れやかな気持ちでいたのに。あーあ。心のなかで盛大に投げやりな声を上げるのと、空から大粒の水が降り注ぐのは、ほぼ同時だった。
急に空が陰りだしたな、とは思っていたけれど。空まで心にリンクしなくても、と思わなくもない。気合の入ったメイクも、服も、瞬く間に通りすがりの大雨が台無しにしていく。まあそもそも、ぜんぶ必要は無くなってしまったわけだけど。
ここまで何もかも空回りだと、一周回って面白い。はは、と乾いた笑いまで出てきてしまう。こんな状態で出かけたって仕方ない。来た道を戻ろうと踵を返した。すると、今度は突然眩しい光が視界を遮った。……晴れている。なんだか逆に悔しい気持ちになってくる。空を睨みつけるように見上げていると、スマホがブブ、と小さく振動した。液晶に目を向けると、そこには彼からのメッセージの通知。
『埋め合わせは必ずするから。最近できたカフェ、多分君の好みだと思う。次の休み、予定が大丈夫だったら行かない?』
分かりやすく心にかかった雲がスゥっと晴れてゆくのを感じた。我ながら、現金すぎる。
やっぱり今日の空は私の心の写し鏡だな、と一人納得しながら再度自宅へ足を進めた。
心は快晴になったけれど、濡れた地面は急には乾かないので。
テーマ「通り雨」
家から程近い場所に、楓の木が植えられている。形が可愛いから、と葉を押し花にしたのは二ヶ月ほど前のこと。押し花は栞として使っている。読みかけの本をパラリと開くと現れる小さな手のような形の楓の葉に心が癒やされるので、気に入っている。
押し花として手元に残った楓の葉っぱは、艶々の緑色だ。紅色のイメージが強いけれど、瑞々しい緑もこの葉にはよく似合う。そういえば、近頃はあの楓の木に会っていない。気付くと、なんだか会いたい、だなんて思ってしまった。植物相手におかしな話だ。まあでも、せっかく思い立ったのだし。時刻は16時。まだ、出歩いても問題はないだろう。そっとソファから腰を上げて、カーディガンを羽織って外に出た。
そうして久しぶりに会った楓の木は、すっかり赤々と色づいていた。こうして見てみると、やっぱり紅葉は綺麗だなぁ、なんて。どうにも優柔不断なことを思ってしまう。もちろん緑も好きだけれど、紅も綺麗なんだから、仕方がない。しかしみんな見事に秋のコーディネートを取り入れて、お洒落さんになってしまったものだ。我が家の楓ちゃんは人間のエゴによって、緑の衣しか着れなくなってしまったというのに。そう思うと、あの栞がより一層愛おしく思えてくるのだから、まったく救いがない。
まあそんなものだ、人間なんて。なんて。都合の良いことを考えながら、帰路についた。浮気はここまでにしておこう。我が家に帰れば、衣替えに失敗した秋に、出会えるのだし。
テーマ「秋🍁」
昨日は小雨が降っていた。今日は、晴れ。出不精が祟って、あまり外には出ないけれど。小雨に打たれた葉っぱが小刻みに揺れるさまだとか、翌朝まだ乾ききっていない地面が光を反射してキラキラと輝くさまだとか。ちゃぁんと、知っている。
あまり大きくない部屋の中。一つだけある小窓から今日も私は。世界の切端を覗き見ている。
テーマ「窓から見える景色」
やあ。いい夜だ。オレが誰か、だって? オレはそうだな、まあ、定義上「悪魔」ということにでもしておこう。ちょいとばかりオレと話でもどうだい? どうにも退屈で仕方ないんだ。退屈はよくない。退屈は人を殺す。人じゃなく悪魔だろうって? はは、つまらない揚げ足取りだ。楽しく行こうぜ?
オマエはさ、心って何だと思う? そう、心。悪魔らしい質問だろ? 教えてくれよ、オマエの思う心を。
……フムフム、体を動かすための動力。これはまたつまらない返答だな! いやいや、馬鹿にしちゃあいないさ。実に人間らしいよ。ウン。
まあ間違ってはいないのかもな。動力。動力は大切だ。ただまあ、齟齬があるとするならば。心は別に、大切ではないかもな。なんで? って顔だ。オマエは丁寧に育成されたんだな。そういう顔だ。
たとえばさ。オマエは今此処に生きているわけだ。でもそれは、本当にそうなのか? ……はは、意味不明って顔だ。オマエは本当に顔に出る性格だな。そういうやつは、大好きだ。考えてみろよ。オマエが生きている証明はどうする。今、心臓が動いているから生きている? それはオマエがそうだと認識しているからに過ぎないだろう。その認識は本当に正しいのか? オマエは、正しくオマエか?
……そう不安そうな顔をするなよ。オレの言うことを真に受けるもんじゃないぜ? なんせ、オレだって存在しているのかどうかも怪しいもんさ。オレがオマエの見る幻覚ではない、なんてこと、オレにもオマエにも証明できはしないのさ。なあ、そんなもんだぜ。深く考えるなよ。
オレもオマエも、存在するのかも怪しいモノ同士。楽しくやろうぜ。悪魔も人間も。すべては区別するための記号なのさ。名前にも形にも意味は無い。オマエのその心だって、オマエという記号のひとつでしかないんだ。そのオマエですらあやふやだ。悩んだもん負けだ。だから、ほら。退屈しのぎは多いほどいいんだ。オマエもこっちに来いよ。
目が覚める。……ああ、寝ていたようだ。夢を見た。悪魔が囁きかける、そんな夢。
ゆっくり体を起こす。辺りを見渡し、そして、心に一抹の不安。……これは現実だろうか。それとも、ユメ? そもそも夢と現実を認識しているこの自我は。
悪魔の笑い声が、どこからか聞こえた気がした。
テーマ「形の無いもの」