過ぎた日を思う
最近昔のアニメのリメイクとかめちゃくちゃ多いじゃないですか。最初は好意的に捉えていたけども、ちょっとあまりにも次から次へと出てくるから「どんだけ昔のモノ擦んだよ」とか「そんなに新しいモノ生み出せなくなってきてんのか?」とか純粋に楽しめなくなっている自分がいた。
学生時代の友人と久し振りに会う時もそう。
何回も同じ思い出話を擦り続けて「これ意味ある?」「この時間になんの生産性も無くないか?」と遊ぶ意義すら見出せなくなってきた。
けど、今がしんどい時。
初めて思い出は意味を成すのではないかと。
楽しかった思い出にはあの頃のワクワクした気持ちも付随してくる。そうやって今を乗り越える。
昔の自分から今の自分へのエールになる。
アニメに話を戻すと若い世代の子らにとってはこれが初めてになるわけで。世代を超えて共通の話題が出来るのは嬉しい。
あとは話題になった当時、手を出しそびれていてこの機会に触れたいとかね。
視野を拡げると見えてくる世界は変わる。
昔見た時は気付かなかった視点や解釈が加わる。
同世代だった主人公目線からその親や大人たちに共感したり、これまでの自分の人生を経て当時とは違った感想を抱けるかもしれない。
それを通して自分の変化やら積み重なってきた日々にまた想いを馳せる。
過ぎたと思っていた日々は何度でも趣向を変えて自分を楽しませてくれる。
星座か…。
ふむ、私は射手座である。
よく考えたら射手座のことはよく知らない。
「なんか、弓射ってそうだよなー」くらい。
どちらかと言うと「胴体馬」の方がインパクトありそうだけど。
あれ…?
ケンタウロス座はケンタウロス座で別にあるんだっけ…?
射手座って純粋に弓の部分だけでした…?
そのくらいうろ覚え。
これを良い機会と射手座について調べても良さそうなものだけど、そこまでの熱意と関心もないんだよなー。
今日もこれからも今まで通りの距離感のまま「射手座」とは付き合っていく。