卑怯な人

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2/14/2025, 2:31:20 PM

ぼんやりとした薄暗い空間で、自分ただ一人。まるで浮いているような感覚だった。ふと、段々と明るくなってゆくのに気づいた。朝がやってきたのだ。私は「今日は休日だ」と自分に言い聞かせながら、不動を望む意識を無理矢理覚醒させた。十二月に入り、十分なまでに冷え切っていた。今日は小雨、雨の日は決まって気が重くなる。

陰鬱な気分のまま、朝食の用意のためにキッチンへ向かった。たが、食欲も湧いておらず、気の沈んでいる私には、朝食を考えることすらもせず、食パン二枚と水一杯で済ませることにした。私は、決まって一階のリビングの奥のサンルームで朝食を取る。皆が想像するのは、大抵モダンでシンプルなサンルームだろうが、私の邸宅は時代錯誤も甚だしいダークオークの洋館であり、街からも少し離れた山の麓にある。そしてそのダークオークが醸し出す雰囲気は、私をより陰鬱な世界へと引き込んだ。

朝食が食べ終わり食器を洗う、といっても皿が一枚とコップが一個程度である。さっさと片付けてから、リビングへ行き、ソファに座り込んだ。今日も今日とて何も無い。物静かで意味の無い一日である。そして、その「無」そのものの様な一日を、作業の如く消費する日々が続いていた。

しかし、今日は少し変化があった。

家の門の呼鈴が押された。そして、押されたことにより、チャイムの音が家の中を駆け巡る。特に動揺することもなく、私は玄関の扉を開けた。どうやら荷物の配達だと。「何か荷物を送ってくれるような友人はいただろうか」を考えながらも、私は配達員に「ありがとう」と、形だけの感謝を伝え、扉を閉めた。

荷物の送り主は、久しく会っていない親からであった。
内容は手紙と、子供の頃、好き好んで食べていた菓子だった。「そんな事を未だに覚えていたのか」と、私は微笑した。そして、久々に感情を見つけた。

先程の「ありがとう」も然り、人との交流も少なくなっていた私に、言葉の感情なんて消え失せていた。取り繕った言葉で生活を送るのが日常と成り果てていた。子供の頃に、なにか嬉しいことがあると、満面の笑みで「ありがとう」と言っていたその言葉も、今ではこの有様である。私は言葉の感情を無くしてから、どれほどの時間を消費したのだろうか。少し、過去を惜しくも感じた。

だが、今の私の在り方が嫌いな訳ではない。ただ、子供の頃の言葉の感情が、少し恋しいのだ。自分に正直であり続けることが出来たあの日々は、お金や宝石よりも美しく、高価であった。

しかし、そんな事を思いながらも時は進む。先を急いでいるかの様に、慌てて走っている。そんな過ぎていく時間の中で私は、時間が過ぎれば、心からの「ありがとう」を、感情のある言葉を発する事は出来るのだろうかと考えた。が、時間は時に再生を促し、時に破壊をもたらす。そんな簡単に崩れ去ってしまいそうな質問を、私は静寂に問いかけた。


                 了

2/12/2025, 1:48:19 PM

もしも、未来の記憶が見られるのなら、貴方はどう思うだろうか。歓喜するだろうか?もしくは絶望...いや、予想どうりのつまらない未来だったりして。

しかし、その「記憶」は絶対的なのであろうか。私たちが進む道を変えることで、「記憶」に変化は起きるのだろうか。私はそう疑問に思った。

例えば、古代ギリシアの価値観では、人生は既に決まっており、偶然も一切無く、変えることは出来ない。しかし、唯一アポロン神の神託を授けられた時に限り、自身の人生を変える(選択)することが出来たという。

アポロン神の神託でも、有名なのはレオニダス一世の話だろう。彼はテルモピュライの戦いに出征する直前、アポロン神から神託を授かった。その内容は、

「お前が死ぬ」か「国が滅びるか」の二択であった。

その二択の中で、レオニダス一世は国の未来をとった。
レオニダス一世は自信がスパルタの王であるが故に、死なねばならないと、覚悟を決めたのである。そして、王は次の世代に国を、スパルタを託しテルモピュライの地で散った。

それを踏まえて私は、未来は転換期を迎えなければ変えることが出来ないと考えた。そして、未来の記憶を見ることは、自らの在り方を決定付ける恐ろしい行為そのものであるとも考えた。場合によっては、自らの死を直視することになるからだ。

だが、「未来に残す」には意義がある。例え自らが死ぬことになったとしても、先人は我々に何かを託した。ならば、私たちもそれに続こう。模索しながら、自らの一生を全うするのだ。

しかし、先人が残したものに比べれば、我々が残すものは微々たる量だろう。それは事実である。しかしながら、希望が無ければ進めない。何も残らない。

私たちは、一生彷徨い続けることになるかもしれない。転換期を見失い、挫折し、歩みを止めたくなるかもしれない。それでも私は、未来に私たちが、貴方が必要なのだと信じ続ける。

最後まで進み続けよう。未来を見続けよう。遠くで誰かが君を待っている。


                   了


2/11/2025, 12:49:23 PM



小学生の頃、年に一度か二度保健室の先生が授業をすることがあった。いつだったかは忘れたが、おそらく五か六年生の時だろう。突然、「ココロはどこにあるでしょう」と聞かれた。無論、教室にいるみんなは胸を指さした。しかし、先生は「不正解」と言った。正解は頭であると。確かに、余りに多くの人間の作用を司る器官であり、幼いながらも納得がいった。

そして、その言葉は、妙にココロに残った。

けれど、成長し成人に近づくと、その言葉に違和感を感じるようになっていった。例えば、悲しい時に私たちは胸がキュッとなり、感動した時には胸がジーンとしたり、ほんのり暖かみを帯びた様な感じになったりする。

そう、今まで言った全てに共通するのは「胸」なのである。だから「先生があの時言ったことは、少し違うのではないか?」と、考えることもあった。

ただ、人体というのは基本的には無駄が少ないものだ。ココロが動く時は、何かしらの命令が心臓や、その付近に送られるのだろう。何らかの理由があるのだろう。そうも考えた。

だが、私は医者でも博士でもなんでもない。自由気ままに考えるココロの旅人である。信じるのなら、私は「ココロは胸にある」と信じたい。信じてみたいのだ。

例え、理想を追い求め続ける大馬鹿者と罵られても構わない。私は、そんなココロが好きだから。

                
                  了

2/10/2025, 1:53:10 PM

ある、夜のこと

電車から降り、駅員に切符を回収してもらい、駅の外へ出た。年が明けて1月の中頃、雪が降っていた。しかしながら見慣れた景色に違いはない。家まであと2km程、こんな田舎に夜走るバスなんてある訳もなく、今年の役目を終え、ゆっくりと休んでいる田畑を横目に帰路に就いた。暖かな光を帯びた街路灯、誰かが歩いたのだろう、降り積もっても薄らと見える足跡、遠目に点々と見える民家、何度も見てきた景色である。

基本的には平坦な道であるため、30分弱で家に着く。家に帰って、直ぐに荷物を自室に置いてからリビングへ向かった。そこで親と少しばかり話をしながら夜ご飯を食べた。食後には、自分で紅茶を入れてゆっくりと自室で休むのが日課である。例に洩れず、この日も紅茶を入れた。私が愛飲しているのはフォートナム&メイソンのアールグレイクラシックで、入れ方についてはジョージ・オーウェルと気が合った。

机に座って息をつく。雪は弱まり、少しばかり夜空がこちらを覗いていた。その時、ふと子供の頃を思い出した。「流れ星に願い事を唱えると、その願いが叶う」という、在り来りなものだった。それでも当時は信じて、流れ星をずっと待っていた。そんな事を考えながら時間が過ぎ、紅茶も飲み切った。

その頃には雪は降り止み、満天の星が見える程に天気は良くなった。そして風呂も済ませて眠りにつこうとした時、また流れ星のことを思い出した。成長した今、童心を忘れ、悩む事か多くなった。ならば、再度童心を取り戻すのも悪くない。そう思った私は、夜空に広がる数多の星に願いを込めた。なんの変哲も無い、綺麗な夜空だった。何も変わらないだろうと思ったが、それと同時に満足感も感じていた。そして、段々と瞼が重くなっていく。

また、一日が終わる。明日はどんな日になるだろう。
そんな期待と不安を胸に、自分は眠りについた。


                   了


2/9/2025, 1:06:18 PM

君の背中を、ずっと追い続けていた。
最初は、ごく普通の友人としての関係からだった。
私は、大して頭は良くないくせに、疑問ばっかりは浮かぶ人間だった。それに対して君は、聡明叡智で優しかった。そんな、対極に位置する様な私と君だが、思いの外、そういった所があるからこそ、上手くいったりするのだろう。だから私は、君に数多の質問をした。そして
優しい君は嫌な顔一つせず、私の質問に答えてくれた。


だからか、いつしか私は君に憧れて、君のようになりたいと思うようになった。君は私の理想像となった。そして、いつからか私は君を私淑するようにもなった。そして、そこから私には道ができた。その道を全力で進み続けることができた。あれもこれも、君という師がいたからだ。


けれど、現実とは無情である。時間が流れ、大学生になろうとしていた時期に、今まで進み続けていた足が止まったのだ。それは、夕刻、人伝に君の訃報を知ったからだ。私の足は自我を持ったかのように、頑なに進もうとしなくなった。


頭が真っ白になった。
その時、私は自暴自棄にもならず、咽び泣くでもなく、
只々、呆然と立ち尽くしていた。


先ずは、私の頭が理解を拒んだ。
その次に、胃が締め付けられる感覚がした。
とても、夕飯を食べられる様な状況ではなかった。
文字通り、心に穴が空いた様な感じがした。
そんな中でも、私は「人間って、いざ本当に辛くなると泣かなくなるものなのか」と客観的な考えをしている自分が嫌いになりそうだった。


そして、通夜に参列した時。私は久々に君...いや、君の亡骸を見た。その時、君の死を知ってから私は初めて泣いた。それと同時に、胸の底から込み上げてくる吐き気が、私を襲った。どうやら私は、どうしても君の死を受け入れたくなかったらしい。


君という目標が無くなった時、私は混乱の渦中に放り込まれた。家に帰ったら、君の後を追おうかとも思った。だが、私は生きている以上、「死」そのものに恐怖を感じる。前にも後ろにも進めない。辺りも黒く澱んでゆく。そんな中でも、通夜はお構い無しに進んでゆく。


そして翌日、告別式も終わり、出棺の時。君は霊柩車に乗り、火葬場へと向かった。忘れもしない、私が乗った車は君の一つ後ろだった。火葬場へ着き、最後の対面をする中で、ふと思ったことがあった。長い間、私は君を師の様に慕っていた。だからこそ、少しばかり君を知っているつもりである。比喩的に言うのであれば、私の心の中にはもう1人の君がいて、その君はまだ生きている。


「ならば、その君に質問をしたらどうなるのだ」


その時、黒く何も見えない中で一つの光が、私の遥か前で輝き始めた。それが私にとっての希望の目覚めであった。その後、火葬も終えて骨と化した君を骨壷に収めている時であっても、私はその光に目掛け走り続けていた。

「彼が残してくれたものを二度と無くすものか」


例え、どんなに暗くとも、辛くとも、苦しくとも、その時の私にとっては光があるだけで乗り越えられた。


だからこそ、今の私がいる。君と永遠の別れを告げてから気づけば30年を越えていた。心の中の君は、私が社会人になってから役目を終えた様に、どこかへ旅立った。
決して無くしてなどいない。むしろ、私が君を引き留めていたのだろう。ようやく、君は新たな旅に出た。君は、私に何かを託すように笑顔で去っていった。



                 了



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