あなたとわたし
揺るがない北極星と漂う変光星。
嵐を射抜く灯台の光と冬空の下のマッチの火。
寂寥の砂漠の中のオアシスと砂利道の水たまり。
心奪う峰々の稜線と砂場の崩れかけの山。
朝日を迎える小鳥の歌声と無秩序な虫けらの羽音。
ルーブル美術館と田舎の学校の文化祭。
帝国ホテルのインペリアルパンケーキ いちご添えと88円のジャムパン 値下げ品。
血統書付きのロシアンブルーとやさぐれた野良猫。
……ぐらい、君と僕は世界が違う。それはわかってる。でも、好きだ。付き合ってください。
……えっと。言い過ぎでは?そんなに差はないと思うけど。
いや、ある。君は素晴らしい人です。
ありがとう。
で、返事は?
……はい。いいですよ。
ホント?ホントに?やったあ。
でも、ひとつお願いが。
なに?
さっきも言ったけど、そんな差はないから。そこだけは考えを変えてね。
例えるなら?
例えるなら?えっと……。自分の尻尾を追いかける猫とベロをしまい忘れた猫。
どっちがどっち?
だからさ、どっちも変わらないってこと。気にし過ぎ。
ううむ。尻尾を追いかけるのとベロのしまい忘れ……。いったいどっちがだめなのか……。
いやいや、だからさ、そんなふうに考えないで。わたしたち、どっちが上でも下でもないからね。完全にイーブン。
いや、しかし。
もう。いいから。ラーメン屋さん、閉まっちゃうよ。早く行こ。
柔らかい雨
最近、橋の側にお地蔵様が建てられた。膝下ぐらいの高さのお地蔵様。表面がツルツルしている。石の種類というよりは、研磨具合が理由だろう。表情はにっこり。かわいい。
誰が建てたのかはしらない。町で建てたのか、神社なのか、近所の小金持ちなのか。まあ誰でもいい。たぶん、川の事故がないように、との安全祈願だろう。ありがたや、ありがたや。
お地蔵様に手を合わせてはいけない、という話を聞いた記憶があるので、手は合わせずに軽く会釈して通り過ぎる。
ある日。 スーパーで買い物した帰り道。
お菓子だらけのビニール袋を手にぶら下げ、のんびり歩き出すと、雨が降り出してきた。と言っても細かい雨。シャワーミストみたいな柔らかい雨。空は青々と晴れている。傘の出番はないな。
橋の近くまできた。
お地蔵様に屋根は無いので、雨は直接当たっている。
おお。
思わず声が出た。
ツルツルの表面のツルツルおでこ。雨の雫に陽の光が反射して光っている。
ありがたや、ありがたや。
手を合わせる代わりに、ハンカチでおでこを拭いてあげた。
にっこり。
こちらもにっこり。
一筋の光
好きな映画を聞いた。
父「タイタニック」
母「ロミオとジュリエット」
姉「世界の中心で、愛をさけぶ」
姉2「ブルーバレンタイン」
足に100トンの重りが繋がれたような気分だったが、なんとか家を出た。
学校で。お弁当を広げながら。
友人「ノッティングヒルの恋人」
友人2「プライドと偏見」
友人3「ラブ・アクチュアリー」
わたしはそっと目を閉じ、静かに呼吸した。
3人が顔を見合わせる。
ど、どうしたの?
ゆっくりとまぶたを開け、わたしは彼女たちに語り始めた。
やっぱりさ、友達の言葉は、至宝の価値があるわね。不滅の光芒。日輪の輝き。暗黒世界の一筋の光。
3人が再び顔を見合わせる。
だからさ、どうしたの。大丈夫?
怪訝な表情を向ける3人に向かって、わたしは大きく口を開いた。
だってさ、だってさ、うちの人たちみんな、最終的に結ばれない映画ばっかり言うんだよ。ホントもう、絶望だよ。日本は破滅寸前だったよ。……今日、告白しようと思ってたのに。
ああ、そういうこと。
でも3人はさすが、わたしの親友だね。ちゃんとわかってる。ハッピーエンドの映画だもんね。
いや、たまたまだけど……。
よ~し、勇気が出てきた。行ってくるね。
え、今?ちょ、ちょっと。
わたしは立ち上がって、先輩のクラスに向かっていった。
……止めたほうが良かったかな。
イヤイヤ、あの子、ああなったらもう無理よ。
しょうがない、撃沈したら今日はカラオケ行こう。わたしたちのおごりで。
ひとりが微笑みながらいうと、ふたりも笑顔で答えた。
ま、しょうがないね、わたしたち、不滅の光芒だから。
日輪の輝きだし。
暗黒世界の一筋の光だしね。
哀愁を誘う
急須でお茶を淹れたあと、宅急便が来たので玄関に向かった。
居間に戻ってテーブルの上を見て、なんとなく違和感があった。あちこち目を凝らして違和感の主を探してみると……。
湯呑みだった。ヒビが入っている。だが、今、できたヒビじゃない。古い線だ。
おそらく前から入っていたけど、気にしなかっただけなんだろう。数本、同じような古い線があった。
この湯呑みは昔、姉が修学旅行か何かの時に作った、手づくりのお土産だ。意外にも大きさも口当たりもよく、子どもの頃からずっと使っている。壊れもせず、割れもせず、よくもまあ長持ちしてくれたものだ。
ただ、ヒビに意識が向いた以上、流石に処分かなと思って、いつもとは別の棚の上に置いておいた。なんとなく、すぐに捨てる気にもならず。
思い返すと、高校受験、大学受験の勉強中、いつも机の上にあった。迷路のような数式と向き合う合間、チョコレートとお茶の出口に逃げ込んだ時間が懐かしい。
1週間ほど、置きっぱなしのままだった。使うわけにもいかず、捨てるのも忍ばれて。だが、ずっとそのままにする前にもいかない。意を決して……。
っとその前に、念のためネットで調べてみた。
湯呑みに入った線は、「貫入」と呼ばれる現象らしい。温度の変化で素地と釉薬の収縮率の違いで起こる現象、とのこと。
そして、「貫入」は見た目にはひび割れに見えるが、器の強度に大きな影響はなく、使用に問題はない。
さらに、「貫入」は、中国や日本では、美しさとして見られることもある。
なるほど。ということは……。
今まで通り使える、ということだ。
もう処分されるのかと、哀愁ただよう姿で鎮座する湯呑みを手に取り、流しで丁寧に洗った。
心配するなよ。ちょっと置いておいただけ。置いておいただけだから。
ピカピカになった湯呑みを、水切りカゴにそっとおいた。
鏡の中の自分
新しいスーツを着て新しい車に乗って出かけた。秋晴れのドライブ。木々も道もゴミ箱さえもピカピカ光って見える。
仕事も上向き。一昨日は初めてのコースだが、バーディを3つも取れた。それも、思いを寄せるあの人の前で。
絶好調。今の僕は絶好調なのだ。
そんな絶好調男が帰宅し、手を洗い、うがいをし、顔を洗ったあとのこと。
あれ?あれれ?僕、こんな顔だっけ?
なんだかひどく疲れているように見える。絶好調男のはずなのに。
おい、どうした。なんでそんなにやつれてる?
鏡に向かってそっとつぶやく。
《すまない。少し体調が悪い》
鏡の僕が答えた。
どうした。何かあったのか?
《いや、特段、何かあったというわけじゃない。こういうことはたまにある。いつものことだ》
そうか。気をつけろよ。ん?
顔にシミができたように見えて近づいて見た。けどそれは僕のシミじゃなくて鏡の汚れだった。
ちょっと待ってて。
僕は棚からスプレーの洗剤を出し、鏡面全体に吹きかけた。2、3分待ってから水で流し、タオルで拭き始めた。
ごめんな。
《どうした、突然》
僕、自分が調子がいいと、自分のことばっかりになって周りが見えなくなる時があるんだ。それじゃだめだよな。掃除、忘れてたよ。
鏡の僕はフッと笑った。
《気にするな。人間ってなぁ、そういうもんだ。でもな、ノッてる時こそ、周りに気を使えるのが本当の意味での絶好調男だ。自分で気づいただけでも大したもんだ。成長したな》
そ、そうかな。へへっ。
隅から隅まで丁寧に、 一点の曇りもなく綺麗に磨き上げた。
恐る恐る、鏡の自分をのぞいてみる。そこには……。
おお、絶好調男。調子良さそうだな。
《お前もな》
向かい合って笑い合う、ふたりの僕。
今日はもう寝るよ。じゃあ。おやすみ。
《おやすみ。風邪ひくなよ》
お前もな。