暗がりの中で
双子の妹に呼ばれて、彼女の部屋へ入った。
なに、聞きたいことって。
あ、お姉ぇ、前からずっと気になってたんだけど。
なに。
あのね、日本のドラマとか映画でさ、偉い人が集まるシーンあるじゃん。政治家とか警察とか大っきな会社とかなんとか組織、とかの幹部の集まり。悪巧みの。あの時いつもさ、暗い部屋なんだよね。なんで?リアルだったら、普通に部屋の照明つけてると思うんだけど。
それはね、
わたしはコホン、と喉を整えて、
いろんな理由があるけど、1番は役者の力不足、かな。監督もね、本当はわかってるの。あの演出は古臭いって。でも役者の演技力がなさすぎるから、仕方なく暗がりで補ってるの。だからあんまり、監督のこと悪く思わないでね。
なるほど、そういうことだったんだ。お姉ぇはやっぱりものしりだなあ。
いえいえ。ところで話変わるけどさ。
なに?
なんでこの部屋、暗いの?電気つけなよ。
わたしはスイッチに手を伸ばした。
待って待って。
なに?
ふふふ。じゃーん。
そ、それは。花咲き堂の……。
し、静かに。
妹が人差し指を立てて口に当てた。
そう、特製栗まんじゅうよ。
いったいどうして。
ふふふ。わたしのあくなき探求心が、戸棚の奥の奥へといざなったのだ。はいっ。
妹がひとつ差し出した。
フフッ、妹よ、おぬしも悪よのぅ。
いえいえ、それほどでも。
暗がりで見えづらいはずなのに、ツヤツヤと神々しく輝いているのがわかる。受け取った瞬間、普通の饅頭よりもずっしりと重く感じた。粒の大きい栗のせいだ。甘味が強くホクホクしている丹波栗。手に取った時の柔らかい感触と、香ばしい香りがたまらない。
ふたり、目で合図し、せーので頬張った。
んん~、美味しい。ね、お姉ぇ。
うん。美味しい。
あっという間にふたりとも完食。
こうして陰謀はひっそりと闇に消えた。
翌朝。
ママもね、小学生の時は算数が1番得意だったの。じゃあここで問題ね。夜には3つ、でも朝にはひとつになっていました。消えたのはいくつでしょう。
……ふ、ふたつ。
震えていたのに、2つの声は完璧に重なった。
正解。じゃあ本題ね。
ママの瞳に鬼が宿った。妖気をまとった声が低く響いた。
そのふたつは、いったいどこへ消えたのでしょう。これは算数じゃなくて、道徳の授業かしら。
えっと……。ここです。
お互いを見合ってから、お互いのお腹を指差した。
紅茶の香り
来週の日曜日、紅茶のパウンドケーキを作ります。
ポテトチップを頬張っていた僕に向かって、彼女が高らかに宣言した。
どうしたの、突然。
昨日、お兄ちゃんの奥さんが作ったの食べた。すごく美味しかった。やっぱり、ああいうオシャレなスイーツを作れるのが大人だと思うのよね。
ふむ。
ということで、日曜日、必ずうちに来るように。
はあ。あの、ケーキ、作ったことあるの?
彼女はフフッと遠くを見て笑った。
このケーキは、私にとっては小さなケーキだが、人類にとっては大きなケーキになるであろう。
よくわからんけど、行きますよ。来週。
さて来週か。1週間あるな。それじゃ……。
そして日曜日。
お呼ばれした僕は、ケーキ作りを手伝おうとキッチンに入ったが、座っててと言われて追い出された。大人しくテレビを見て待つ。
お客様、お待たせしました。
彼女が明るい声で皿を運んできた。
ええっと……。これ、ケーキ、だよね。
皿の上には、正解の形がわからない何かが載っていた。
まあまあ、見た目はね、アレなんだけど。大事なのは味だから。ほれ、食べて食べて。
僕は促されるままに口に運んだ。
どう?
うん。紅茶のパウンドケーキだね。
わかってるよ。そうじゃなくて。美味しい?
ええっと。紅茶の香りがすごいね。深煎りというか、芳醇というか、濃厚というか……。量、入れすぎというか。自分で食べてない?食べてみて。
彼女も一口食べた。
うっ。いや、でもさ、これぐらいが大人の味なわけ。この渋みがさ。ほら、このアッサムの香りがさ。
何かを決して認めようとしない彼女。もう一口食べて、何かを必死に主張していた。
こんなこともあろうかと。
言いながら僕は、テーブルに瓶を出した。
なにそれ。
ドライフルーツです。レーズン、ラズベリー、イチヂク、クルミ、アーモンドをラム酒に漬けてみました。1週間。
話しながら、箸で摘んで彼女のパウンドケーキに添えていった。
うわ、香りが。甘い香りがすごい。っていうか、凄すぎない?せっかくの私のパウンドケーキの香りが、消えちゃうよ。
まあまあ、そう言わずに食べてみよう。
ふたりでケーキとフルーツの両方を食べてみた。
あら。なんというか、いい感じね。ラム酒の香りで紅茶の香りがマイルドになった感じ。ちょうどいい感じ。
そうだね。
香りがケンカしてない。例えるなら……。ごめん、思いつかない。バトンタッチ。
例えるなら、紅茶の濃厚な香りの旋律にラム酒の香りが重なり合い、まるで紅茶庭園の中を散歩しているような、優雅な午後のひととき。
おお、いいじゃん。
笑いながら彼女は、アーモンドをカリカリ食べた。
っていうかさ、こんなこともあろうかとってなにさ。
まあまあ。怒らない怒らない。優雅な午後のひととき。
そうだった。優雅にね。大人だから。
愛言葉
距離と時間。重なる感覚が増えてきた。そういう実感がある。おそらく相手も。
想いはこちらから告げよう。男らしく。そう決めていた。
並んで駅へ向かう。
秋晴れの夕方の街。少しひんやりとした空気が愁いを誘う。途中にある、公園の中に入っていった。赤と黄色に染まった木々が風に揺れ、落ち葉が舞っていた。季節は確実に次に進んでいる。
僕らも……。
小さな噴水の前で、僕は彼女の手を取って引き止めた。訝ってこちらを見た彼女に、僕はキスした。
目を丸くして固まる彼女。僕も同じように固まっていた。1秒、いや10秒?それさえもわからない。
鼓動が胸を叩く。暴れる振動が、脳機能を再開させた。
勇気を出して口を開いた。
『と、時は動き出す』。
そう言ってジョジョ好きの彼女の手を引いて再び歩きだした。
く、口から心臓が飛び出そうだ。僕の顔からはいま、確実に火が出ている。
ねぇねぇ。今のどっち?
どっちとは?
ディオ?承太郎?
ディ、ディオ。
へえ。そうなんだ。
で?
で?っとは?
答えは?
その前にさ、今のは私に告白したってことでいいのかな?
うん。
ややこしい。やり方が。
うっ。
しかもちょっと噛んでたし。
うっ。
恐る恐る振り向いてみた。
『やれやれだぜ』
秋の黄昏の中、満面の笑みを浮かべて彼女が答えた。
友達
放課後。音楽室の机でぐったり眠っていた。期末試験の一夜づけのせい。防音対策がしてあって、野球部の雄叫びに邪魔されずに1時間ほど眠れた。
目を覚ました。軽くストレッチしたあと、ケースからギターを取り出す。たった一晩触れなかっただけなのに、やけに愛おしく感じた。
あてもなく音を鳴らす。眠っていた指もしだいに目を覚ましていく。さて、今日は、何を弾いてみようか。
E♭マイナーで始め、Dドリアンで転調。
「so what」。オリジナルとは違う雰囲気だけど、まあいっか。何気なく続けた。
響く金属音がした。指を止めずに振り返ると、スティックがライドシンバルを鳴らしていた。静かな安定したリズム。
視線に気づいたはずだが、彼は僕に目もくれずにスティックを弾かせた。スネアがビートアクセントを築く。
試し試しに始めたコードが、次第に確かな輪郭を見せ始めた。ブルージーとメランコリック。こちらが好き勝手に転調しても、彼のドラムは離れずについてくる。いや、時にはこちらを追い越そうとさえしてくる。
負けじと僕も、穏やかなメロディの中に、指先から意地を詰め込んでいった。
静かなエンディング。決して上質な、お手本のような出来栄えではなかったと思う。どちらかというと、聞くに堪えない荒い演奏だったかもしれない。
でも止まらなかった。僕も。彼も。
何を言おうか考えていると、彼は財布とスマホを手に無言で音楽室を出ていった。
おいおい、なんか言えよ。元々口数の少ないやつだけど……。
まあ、いっか。
さっきの感覚を思い出しながら、また指先を躍らせた。
行かないで
あお向けで手を繋ぐ。穏やかな光の中、流れに身を任せて、ふたり、水面に浮かんでいた。
流れの先に、ふたりの間を遮る障害物が現れた。小さな岩山の頭が、ふたりの肩口から割って入り、哀れ、繋いでいた手が離れてしまった。無情な別れ。
行かないで。 遮る岩山に身をこすりつけ、1秒でも早く、と手を伸ばす。
邪魔者を通り過ぎて、またふたりの手が繋がれたところで、わぁーっと歓声があがる。
カワイイ。なんてカワイイの。
日本には2024年現在、3頭のラッコがいる。いずれも高齢なので、繁殖は難しいらしい。もしかすると、日本での最後の3頭になるかもしれない。
水族館の目的のひとつに、種の保存がある。ラッコは絶滅危惧種に指定されている。水族館もなんとか頑張って、保存の方法を探ってはいるが……。
動物によっては、飼育下での繁殖が難しくなる種類があるらしい。ラッコはまさにその代表。じゃあ水族館に連れてこないで、野生のままにしておいたほうが良いのでは?という矛盾も思い浮かぶ。
ただ、数が減少している理由のひとつは乱獲だ。毛皮のためだ。僕は冷たい人間なので、自然の流れで絶滅したなら、それもやむなし、と思っているが、人間が原因なら話は別だ。人間の傲慢を動物に押し付けてはならない。
水族館の努力を応援したい。
どこの水面でもいい。手を繋いで浮かぶ、あの愛らしい姿。なんとかして続いてほしいな。