お金と時間をかけて見ようとした景色より、徹夜明けのシャワーで浴びる、やわらかな光が一番美しく見える
【やわらかな光】
鋭い眼差しの奥には、丸い瞳が揺れている。
怖くないよ。目は心の窓、ともいうからね。
【鋭い眼差し】
高く高く遠ざかる風船に、無性に不安になった
【高く高く】
子供のように、もう考える時間も貰えないし、金や惰性の事情を知らせないこともしないし、わからないことが罪のようにはならないし、子供である、というのは、それだけで大切にされていたのだと思う。
大切にされていた。なぜかも分からずに。だからはやく大人になりたいと言っていたのだと思う。
大人になった。慈しまれることはなく使いまわせる数のうちのひとりになった気がする。
しかし大人になったから、私が大切にしたいもののために言葉を選び、好きに歩いて近づくことも、嫌で離れることもできるのだ。
もう大切にしてもらわなくていい。
夢がひとつあった。あの頃の私にとって、素敵な大人と言えるような者になること。
叶っているかはわからない。失敗ばかりで誇れる功績も履歴も特技も思い出もなく、人に囲まれているわけでも、美しくなったわけでもないし、むしろ何かを失い色褪せた心が残っただけのような気もする。
大人になりたいと思ううちはまだ子供であるように、子どもに戻りたいと思っているなら大人になってしまったといえるのかもしれない。
あの子供の頃のように無力なゆえにまだ何の心配も要らない日常は羨ましく感じるときはある。
でも、戻りたいとは思わない。忘れたくないとは思う。あの頃の苦しさ、小さな世界と、大きな大人への目を、忘れずに、あの頃の私のような子供に、わからず屋と失望されない大人になりたい。
私はまだ大人になろうとする子供に過ぎないのかもしれないが、大人だと奢るよりずっといい。
【子供のように】
そろそろ放課後って時間が人生からなくなりそう、鬱だ
【放課後】