突然君が訪問してくることを望む人がたくさん
いると思うか?
来て欲しいと心から思う人はいるのか?
そんな事考えるだけ無駄だと思う。
あなたが考えていることなんて分からないし、
私が考えていることなんてあなたは分からない。
だったら、望むよりも、欲しいと思うよりも
自分から動いた方がいいんじゃないか?
子供の頃の雨って嫌だった記憶がある。
外で遊べないし、友達の家にも行けない。
毎日晴れろって思ってた。
でも、今大人に近ずいて行く度に思う。
雨の日が時々あると助かることがある。
雨の日と自分を照らし合わせる時がある。
照らし合わせるとびっくり、自分とそっくりなのだ。
雨の日は心の中が整理されて次の日へと背中を押してくれるのだ。
雨に佇むのは悪いことじゃない。
むしろ、明日を生きやすくしてくれる。
私の日記帳は生きた証である。
しかし、それは現存せず目に見えないものである。
いつ日記が書かれているのだろうか。
私いわく、寝ている時に書いているのだろう。
寝ている時は自分自身何をしているか分からないのだから。
鏡に映る君と向かい合わせ。
海に映る君と向かい合わせ。
ガラスに映る君と向かい合わせ。
映し出しているいるのは私じゃない私だ。
でも、そいつは私と同じ表情をする。
私と同じ動作をする。
不思議なものだ。私の存在が揺らぐようだ。
人は失敗したくてしている訳じゃない。
成功したくてやった結果失敗しているだけだ。
それでも責められて、凹んでしまうよな。
言われのない悪口、陰口が私たちの周りを走り回る。
本当にわずらわしくて、うざったいよな。
他人に相談したとしても解決しない時や、逆に傷口に塩を塗られることもある。
やっぱり、自分で解決するしかないのかと思ってしまう。でも、1人でも悩んでも仕方ないよなって自分でも分かってる。そういうのをひっくるめて、
やるせない気持ちだと私は思う。
そう、どうすることもできず、ただ1人で悩んでいることがやるせないという意味なのかも知れない。