「懐かしく思うこと」
最近、YouTubeで私が子供の時のEテレの映像が流れてくる。それを見ていると、こんな人いたな、これあった覚えてる!とよく思う。この前は、その感情が高ぶってしまったのか遂には"あの時の人"が今何をしているのかを3日間ぐらいかけて検索しまくり、私もあの人も成長したんだなと誰かわからない目線でしみじみとしていた。
他にも実家の引き出しから小中学生のものが出てくると、当時はさらっと読んでいたものを倍以上の時間をかけてゆっくり見るようになった。懐かしい、こんなことしていたな、の感情が止まらない。早く大人になりたいと思っていたあの頃だったけど、子供に戻りたいという感情でいっぱいになりなんだか寂しくなるというのがルーティンとなっている。
「もう一つの物語」
ドラマや映画の中で主人公目線、友達目線など
多くの目線から楽しめる作品がある。
こっちからは見えなかった裏側、どんな出来事があったのか普段見れないものを見ている感じがして好きだ。
「暗がりの中で」
暗がり、、暗闇じゃないんだ、、、
なんか書くことが思いつかないのでここまでで。
「紅茶の香り」
紅茶は、香りは独特なのに飲んだら普段飲むお茶に近い味がする。個人の感想だけど。
普段紅茶は飲まない。どんな時に飲んでいたかと聞かれると中学高校の調理自習でお菓子を作った時ぐらい。
いつも飲まないのは特に理由はない。強いて言うなら、作るのに時間や手間がかかる。紅茶に合うものを普段から食べないことぐらい。
自動販売機で売っている〇〇紅茶というのも飲まない。飲むのに少し勇気がいる。150円使って、味がタイプじゃないくらいなら水やジュースを飲む方がお金が無駄にならないな、、という思考になるからだ。
あ、いつの間にか紅茶全般について書いてた。
「愛言葉」
愛を伝えるような相手がいない
愛を伝えるキャラじゃない(という言い訳をするけど、本当は恥ずかしいだけ)
親に伝えようにも、学生時代の反抗期がまだなお続いている、、というか反抗期をきっかけに色々な嫌なことが見えて関わりたくなくなった。
多くの人が愛の言葉を伝える場面といえば結婚式だと思う。親への、育ててくれた感謝や結婚相手への言葉などを伝えるのが定番化されている。しかし私はそういうことはしたくない。理由は最初に述べたことである。
じゃあ私は何を伝えようかと考えて、出した結論は
友達への言葉 70%
結婚相手への言葉 20%
親への言葉 10%
さすがにやりすぎな例であり、常識的に(?)変であることは分かっているし、結婚式をするとなったら本当にここまま言うつもりはない。でも現時点ではこんな感じがいい!という、定番に反抗したい気持ちだ。