「鋭い眼差し」
人からの眼差しは怖い
その人にとってはぼーっと私を見ていても、私から見ると睨まれているように見えることもある。私と仲良いと思っていた子がそういう目をしているとなおさら怖い。嫌われているのかな、何か気を触ることを言ったかなと何度も考える。私が話しづらいなと思っていた子なら、どうぞ嫌ってくださいという目で私も見る。
人との距離感をはかる方法として、眼差しは私にとって大事なものの一つだ。
「高く高く」
高度が高い場所
値段が高いもの
どちらも人間にとって恐怖なもの
低く低く…
もっと低くあってほしい
「子供のように」
無邪気になりたい。大人の顔色を伺ったり、事情を察知したり、言葉遣いなんて気にせずに、思ったことをズバズバ言えるあの頃に戻りたい。意外と子供の言うことって大人に効くよね。よく聞く話でいうと態度の悪い大人に対して子供がズバッと言ったり、行動で示したり。
今は、いつの間にか形成された固定概念に囚われている気がする。これが当たり前、これはしてはいけない。気を遣い過ぎてもう疲れた。
子供って法律的には20年しかないのに対して、なんで大人は80年もあるんだろう。と言いつつ、子供が子供であれるのは実際中学生ぐらいまで。周りに気を遣う時間は人生内で多くあれっていうことなのかな。
なんかこの話題ならいつもより多く語れる気がする笑
なんだろう、自分の中の疑問が溢れ出るのかな
「放課後」
学校に通ってた頃は放課後のあの雰囲気が好きだった。時間がゆっくり流れている感じ。隣のクラスの友達に会いに行くとその友達と話していた子たち(ほぼいつメン)と時間を気にせずにたわいもない話をして「もう夜だねー帰ろう」なんて言いながら帰っていたのが懐かしい。今となっては、すぐに家に帰りたい一心で早歩きで帰っている。そうだよね、放課後なんて小中高しかないよね。大学は放課後と言っていいような放課後はない。空き授業の延長線上だから、あの独特の雰囲気が感じられない。社会人が高校生に戻りたいというのはそういう体験を噛み締めたいということなんだろうか。はあ、書きながら私も高校生に戻りたくなってきた。
「カーテン」
私の部屋のカーテンは光漏れしやすい薄さ?色?だ。だから夏になると網戸に光を求めて蚊が大量に張り付いてくる。どのくらいかと言われたら片面網戸の70%ほどだ。特に今年は対策をたくさんしたが意味がないほどカーテンの光漏れがすごかった。防虫スプレーを網戸と室内にかけ、網戸に防虫用のものを貼り付け、蚊取り線香の現代版(消臭剤みたいな無臭なもの。伝われ)を用意したにもかかわらず、イライラするほど来た。
カーテンを変えるとこういう対策もしなくて済むのは分かってはいるが、お金やカーテンが夏以外には無害なことを考えると買い換えるのも面倒だ。はあ、どうすればいいものやら。