休日の午後
テレビをだらだら眺めていたら、キッチンからお菓子食べる?と声をかけられた。
思わずキッチンへ駆け寄ると、紅茶とそれに合わせたお菓子が添えられていた。
お湯で蒸されたダージリンの香りと、焼きたてのスコーンのバターの香りが鼻腔をくすぐる。
ぶっちゃけ紅茶の種類なんて違いはわからないけど、アフタヌーンティーはいつだって幸せを運んでくるのだ。
愛の言葉ってどこか上っ面の言葉でしかないよな、とお題に真っ向から反抗している。
愛に準じて、愛に酔ううららかな乙女たちは想い人のことを想って論じるのだろうが、おあいにく私たちは愛をも知らぬ恋に無縁の者なのだ。
だから愛の言葉に陶酔するとこもないし、酔う者たちを疎ましく思う。
それもまた、愛に酔わぬものの生き方として、愛して欲しいものだ。
友達って、難しい。
やっぱり学校の頃の友達が未だに残っているけど、遠方に住んだりライフステージが変わると途端に会わなくなるし、疎遠になっちゃう。
きっとそれを繋ぎ止めるための年賀状とかだったんだろうけど、昨今それも流行らない。
ネットがあれば新しい友達もできるだろうと思ったけど、転勤して10数年まともに友達はできていない。
そう考えると、私はこれからの友達のあり方を疎んでいる。
いかないで。
引き止めたって何かが変わるわけじゃない。
だけど、わがままくらい言わせてよ。
変わりゆく世界。別れも経験のうちとかいうけども。
それでも気持ちが落ち着かない。
わたしはだって、キミのことが
こんなに大切だったから。
いかないで。
世界の果て、銀河の果てまでも続いている空。
青いけれど、青じゃない。それは地表からは視認できないほどの「無」の空間。
果てはあるのだろうか。それすらも我々にはそれを確認する術すらも持ち合わせていない。
果てに想像の世界を見出し、
思いを馳せることしかできないのだ。