『鐘の音』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「鐘の音」
鐘の音と共に開く扉
最期の審判が下る
天も地も神様の赴くままに
お寺の鐘の音は
聞く人に安らぎを与えてくれるらしい
④鐘の音
綺麗ね
私が言うと
うん
と消えそうな声で答えた
2度目で結婚式はあげられなかったけれど
今、私は充分幸せだよ
丁度その時
鐘の音が響いた
神の祝福のようだった
ありがとう
『鐘の音』
疲れて動けません。
心なしか鐘の音がします。天使のお迎えかしら。
お空に帰る時って、こんな感じなのかも。
疲れて動けません。本当に。
〖 鐘の音 〗
嗚呼、鐘の音がする。
寝起きの頭に響く。
五月蝿い。
だが、私はこの鐘のことが好きだ。
何故なら、大嫌いな今日の終わりを、
知らせてくれるから。
鐘の音
幸せ
教会
鐘の音
良い音色
幸せの音色
ずっと
聴いていたい
なな🐶
2024年8月5日1893
鐘の音が鳴る。それはたいそう美しい音色で。
あなたにとっては祝福の音色として
私にとっては呪いの音色として
鐘の音が聴こえてきた
単純かな、
真っ白な鳩が2羽飛び交い、
リーンゴーンリーンゴーンと
結婚式の音に聞こえる
ああ、この異世界の世界も素晴らしいものだな
こんな世界にも慣れてしまうなんて
鐘の音が鳴った
帰らなきゃいけない
でも家に帰りたくない
私は親が嫌いだ、大嫌い
私の愚痴を目の前で言わないで、普通に生まれてきて欲しかったなんて言わないで、病気にならないで欲しかったなんて言わないで、やめてよ
鐘の音は幸せを呼ぶという。
静かな海辺にその鐘はあった。
毎日観光客がこぞって鐘を鳴らす。
いつも見るその光景、私は呆れていた。
「幸せなんて 願ったって来ない。」
何度も願っても来てくれなかった。
私が証明だった。
兄を亡くして5年。
そして
私の大切な人が今年 病に倒れた。
辛く残酷な世界にいる今。
鐘は自体が元凶だとは知らずに
今日も音を響かせている。
甲子園のボールが田んぼに飛ぶ飛ぶ。うめくねぇと言って、ボールをダンボールに集めたら、二箱分になった。夜になったら、ボールが光ってドラゴンになった。怖くなって、走って郵便局に発送したんだ。夜光って、郵便局も人らもとんでもねってたまげていた。ぼくはこの鐘が鳴のような長い息してくれよ。邪念のような球人を喰らわせるという。今日も、鐘がらなると、動いたら死んでしまうような気がする。
。
【鐘の音】私の心の中で鐘の音が鳴っている
この選択に祝福を!!。たとえそれがどんなに困難で
あっても、たとえそれがどんなに人からみても
バカバカしいことであっても、たとえそれがどんなに
遠ーい遠ーい夢であったとしても、それが私の
やりたいことなんだと、はっきりいえる。
あの鐘を鳴らすのは私だ。もっと響け!
そして、届け!!。そして、行くのだ!、私よ!
3年後のpure
鐘の音が聞こえる
私は時計塔の下にいた。ここからは海が見える
真っ青な何の穢れも知らない、真っ青な海
鳴っても意味が無いのに鳴っている鐘の音
私は時計塔を登って歯車を壊した。
「意味が無いから」
ー終わりー
「鐘の音」
108の
闇夜に響く
除夜の鐘
これは、警鐘これ以上、彼を見てはイケナイでも彼は、とても綺麗な立ち姿に観客の誰もが目を奪われ。ナチュラルクリーミーな髪の色、ミディアムヘアのくせ毛。
引き絞られる矢が装填され引き絞られる弦は、まるで的の方が矢を引張てるみたいにど真ん中突き刺さる。
歓声と響めきそして古来より同じ音が響き渡る。
ターーーン。あたー~りー〜、そして見惚れる。放った彼に私の心も射抜かれる。
ツバメ
鐘の音を僕は覚えていた。
除夜の鐘108回の音
来年も一緒に聞こうね!
君との約束……
ごめんなさい
鐘の音
大晦日に成田山に鳴り響く記憶の音
小さい頃に毎年大晦日は門前仲町駅の成田山に家族で行く参拝待ちしていると0時になり鳴り響く鐘の音回りの知らない人たちと交わす『明けましておめでとう』
今日が最後の日だから。
よく聞こうと思った。
卒業前の、最後のチャイム。
お寺の鐘のゴーン……という音が好きだ。始めは少し甲高く大きな音で、段々低くお腹に響くような音になり、最後は余韻がゆらゆら揺らめきながら響いていく。深みがあり、暖かく包み込んでくれるような、気持ちが穏やかになる音。
時々、鐘つき堂が設置されている寺がある。私は勇気がなくてついたことはないが、時折鐘をつく人を見かけた。人が鳴らす鐘の音は千差万別で面白い。そして鐘の音を聞くと神妙な、浄化されたような気持ちになる。鐘の音は不思議な力を持っているのだろう。わたしも今度鐘つき堂を見つけたらついてみようか。
鐘の音(2023.8.5)
「鐘の音」と一口に言っても、教会にあるような西洋の鐘と、日本の寺院にあるような和風の鐘がある。一般論ではあるが、西洋の鐘には祝福のような意味合いが、和の鐘にはしみじみとした感傷がこもっているような気がする。どちらも同じ「鐘」で、宗教施設にあるものではあるが、それぞれの鐘の音にあそこまで感じ方の違いがあるのは、西洋と日本の宗教観の違いによるものなのか、どうなのか。
鐘の音というテーマに何も思いつかないものの独り言である。