『視線の先には』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「視線の先には」
私は前を見る、周りを見る、何もない。
視線の先には何もなくて、 分からなくて、それが怖くて、後ろを向いてしまう。
でも行かなければいけない。
視線の先には何があるか、分からない。
未来、自分にしか作れない。
子が赤ちゃんだった日、アパートの窓から庭を眺めて、「風で葉っぱがそよそよーって揺れてるねえ、きれいだねえ」と話しかけた
その日、子は生まれて初めてしゃべった 「はっぱ」としゃべった
確かにいっしょに葉っぱを眺めていたのだ、わたしと子の視線の先はおなじあたりに注がれていたのだ
そうわかったとたん、あんまりにも嬉しくて、ふしぎで、まるごときれいな思い出になった
そうしてかわりに、うでの中にいる子に、「今すぐには通じなくても良い」とも、「きっと通じている」ともいえない、ふしぎな感覚で話しかけていた毎日のことは、遠ざかっていった
視線の先には
(本稿を下書きとして保管)
2024.7.19 藍
題名 視線の先には
僕には特技がある
人の視線を見ると相手が考えていることが分かる
いいだろ
でも僕のクラスには全然考えていることが分からない
奴がいる
俺は自分自身相手の視線を見て誠心誠意対応しようと
するがそいつだけは分からない
だから俺はいつも空回りして怒られている
でもある時ひとつだけ考えていることが見えた時が
あったそれは人が嫌いと言うことだ
あいつは人が嫌いなんだとわかった
あいつはなぜ人が嫌いになったんだろうと考えると
何も分からなくなる
俺はもう一度人について考えて見た
人の事を下に見たり人に指導者ずらして怒ったり
人には愚かな面がたくさんあった
俺はこれからあいつと人を殲滅する作戦を立てようと
思う俺はしんそこ人が嫌いになった
俺は自殺した
自分の愚かさに気づいてしまったから…
視線の先には
視線の先には 𓃠
そのこは、暑い夏の1日のはじまり。
さっきから店前の自動販売機のよこでこっち向きにお行儀よく座っている。
目があった。
暑いから中にいれてくれとひと鳴き。
別に飲食店でもないし顔なじみの野良ちゃんはこの商店街では人気者の地域 𓃠
数店舗餌場があり、うちもそのひとつ。
うちでは、ノラちゃんであるが
正式な名はまだない。
別のところではシマとかトラとかサバとかも呼ばれているらしい、どれでも愛想よく返事をするのは、野良猫家業の手練れか?
以前、あまりに愛想が良いので飼い猫にしようとしたこ婦人がおり、まだ若猫だったノラちゃんを家に招き入れたのだが脱走、そんなことを他にも繰り返し
「飼い主はオイラが決める!」
「首輪をつけるな!」
「閉じ込めるな!」でいまのポジションにおさまったのである。
ノラちゃんが入れるように自動ドアを開けてやる。自分では入らない開けてやるとスルリと侵入だ。ひとしきり挨拶のように世間話でもしているように鳴き、カリカリを出してやるとチュールをよこせという顔をして水を飲む。
「今は、朝だからチュールはないよ」と言うと
「しかたねーな」とひと鳴きしカリカリを食べて、店内をウロウロし結局いつもの場所で朝寝二度寝につく。客が来ても素知らぬふり声をかけられ愛想鳴きの店長したたかに眠り毛づくろいをし、開店から3時間くらいしたら次の店に向かうのだが、今日は動こうとしなかった。
さすがに、今日の昼間の暑さ外に出る事が躊躇われたのだろうか、ウィンドウから外を眺めている。日差しが変わり初めて日が差し込む時間が近づいてくると、その場所を引き上げバックヤードでくつろいでいる。
「今日は1日うちにいるつもりかい?」
そう言っておやつのチュールを差し出した。
ノラちゃんは、チュールを食べてまた毛づくろいをし顔を洗った。
「おや、明日は雨かい?」と聞いてみると
こちらに目をやり
「なんのことだい?」と言うような顔をして
「知らんがな」とひと鳴きの返事。
そんなやり取りをしながら、遊ぶから相手しろとスリスリこちらも相手にされて嬉しくてモフモフフミフミマッサージ。
午後のキツーイ暑さを忘れさせるノラちゃんとの逢瀬の時間も過ぎて、我が店も賑を見せる時間帯、夕刻前の街中に客の足元をすり抜けていつの間にか出て行くのである。
今度は、何処に行くのかね~?
日が落ちて少し外も涼しくなったから
別の店にも顔出してやるかって感じかな。
明日も、おいでよ。
視線の先で風来坊のノラちゃんを見つけるのを楽しみにしている。
令和6年7月19日
心幸
その水晶体が映す景色を
その硝子が結ぶ像を
その涙に反射する私を
淡い茶色の虹彩で
深い黒の瞳孔で
睫毛に触れる程近く
瞼の震えさえ感じる程近く、近く
私の涙腺を壊して
私の角膜に傷を付けて
もしも私が盲点にいるなら
視神経までを指に絡めて
脳を犯して狂わせて
貴方の網膜はもう私のもの
よどみない貴方の瞳の中
視線の先には、
私の涙に反射する貴方がいて。
#視線の先には
“視線の先には”
彼は授業中、生徒と目線を合わせない。これは私の憶測だけれど、大勢が自分の話を聞いていると思うと緊張してしまって、目を合わせられないのだろう。
ただ…授業外で個別に話しかけると、ちゃんと目を見て会話をしてくれる。たまに逸らされるけれど、ずっと目があっていても緊張してしまうので、私としてはちょうどいい。今は冷静に「目を見て会話を」と書けるけれど、実際に話しているときは緊張と大きすぎる愛情のせいで全く脳が働かない。心のどきどきだけが、異常に働く。
ここで私が言いたいのは、彼が私だけと会話をしている時は、たしかに、確実に、”目線の先には”私しかいないのだ。読者の一部は「そんなこと言っているけれど、話してる時は考えを巡らせて会話を続けようと必死になってるんでしょ」と思うだろう。結論から言うと、全く、そうではない。実際の私の頭の中を、このお題のおまけとして最後に付けておこう。
私「こんにちわ〜」
先生「こんにちは」
(!?!?朝から会えた、!?何でこんなところにいるの、?会えたの嬉しい、)
私「元気そうですね、何か良い事ありましたか?」
先生「今日は遅刻してきた人がいなかったんですよ」
(ぁ、ぇっと、ぁ、言葉綺麗、すき、今日も素敵、ぇぁ、やっぱり生徒のこと大切に思ってるんだ、そここそかっこいい、すき、)
私「え!すごいですね、、」
先生「とても凄いことですよ、みなさん偉い偉い」
(ぇ、もう行っちゃうの、?てか今日もおめめかわいい、まゆげかわいい、褒めてるのかわいい、ぇぇぇ、いや〜〜〜⁉️⁉️⁉️すき〜〜‼️‼️‼️⁉️⁉️)
この視線の先には
笑うクラスメイトの姿。
この視線の先には
小鳥のさえずりだけが響く大通りの帰り道。
視線にはいつも違う光景が映るはずなのに
なんで貴方はいつも私の視線に先にいるの
私の視線の先にいるのが当たり前みたいに。
笑って怒って泣いて─
すごく感情豊か。
素直で頑張り屋さんで。ちょっぴり天然。
貴方がいたら私まで笑えてきちゃう
貴方は笑顔を届けてくれる
私の笑顔は貴方から─
私の視線の先に映るのは
みんなに笑顔を届ける貴方だったんだね
「視線の先には」
明日から夏休みです。近々、夏のお祭りも。
夏休みは1ヶ月とちょうど1週間、つまり37日です。宿題やるかなあ...後でまとめてやることに
なりそうです(笑)
なんか夏休みの実感がないなあ。
生活リズムも崩れそう..気をつけなきゃ。
皆さんも楽しい夏休みを!☀️🍉🌻
(お盆もね)
視線の先には
いつも同じ
ものが見える
最後の希望
😍😍😍
「視線の先には」
いつも君がいた
今はぼやけて見えないな
夏野菜の植え付けが終わり
しばらくたった頃、小さな双葉が畑の片隅に芽を出した…
「草?野菜?いったい君は何?」と
私は、弱々しい苗に語りかけた…
しばらくそのままにし、時々眺めていたが何だかよくわからない「小さな苗」を
ちゃんと育ててみようかと、素焼きの鉢に
植え替えてお世話をする事にした…
しばらくして双葉から本葉が伸び始めた
「君は、きゅうり?かぼちゃ?スイカ?」
確かにこの3種の中のどれかだと答えが見えてきた…
毎日少しずつ成長し正体がハッキリした
「君はスイカだったんだね〜」
このスイカが芽を出した流れはこうだ…
昨年夏、スイカの残骸をコンポストに投下
どんどん残飯を投げ込み堆肥に変化させ
夏野菜の畑に投入…
この時点でバクテリアに分解されてしまい
土になっているはずが…
何故か一粒の種が生き残り芽を出した…
私はこの奇跡の苗に「ド根性スイカちゃん」と命名をした。
鉢のままでは大きくなれないとわかり
今度は畑に2度目のお引越し…
それから、大事に大事に育ててきた
現在、「視線の先には」20センチ超えの
スイカが2つスクスクと育っている
ド根性スイカちゃんは、ド根性で生き残り
ド根性で実をつけた…
「君は何?」から始まった生命力の
塊は奇跡のスイカに成長した
視線の先には
何時だって貴方がいた。
僕が何をしても、どうやっても、追いつけない貴方が。
羨ましい、憧れだ、でもそれでいて……憎らしい。
僕にできないことを、なんでもそつなくやってしまう貴方が。
何をしても完璧な貴方が。
追いつきたい、いつもその一心だ。
だから、だから
今日も僕は追いかけ続ける。
貴方の背中を。
憧れの貴方を、いつか追い越せるように、手を伸ばして。
「視線の先には」
あいつの視線の先にはいつも同じ男が居る。ソイツのことが好きなんだと、聞くまでもなく分かった。
きっとあたしが目をそらさなかったのは
それが非日常的なことで、現実味が無さすぎたから
現実味のないそれが嫌に綺麗に見えて
嗚呼、これはきっと思っちゃいけないことなんだって
猫が宙を舞うみたいな
そんな、
ある日突然、
「人々の視線が目に見えるようになる現象」が
発生した。
二つの瞳孔から出る、ピンと張った糸のような
細い光の筋。これが「視線」だった。
愛し合う恋人たちは、ゆらゆら光るピンク色の太い光で
互いの顔を照らし合っている。
睨みつけるような鋭い視線からはチリチリと火花のようなものが走っていた。
ぼんやりと一点を眺めると、
視線は「もや」のようなものに変わっていった。
しかし目をパッと見開くと、その「もや」は視線の
軌道を描くようにさっと集まってきた。
あらゆる視線が見えるようになったことで、
最初は世界中が困惑と混乱に満ちていたが、
やがてそれは日常になり、誰も他人からの視線を
気にしなくなった。
いや、
「他人は自分が思っているよりも
自分のことなど見てもいないし気にしてもいない」
ということに人々は気づいたのだ。
もちろん、誰の視線の先にも、私はいないのだ。
視線にも温度があればクレープは炭だな…ったく、一口だけだぞ
題-視線の先には
視線の先には
他の子と仲良くするあなた
私は視界に入れる価値もないの?
お願いだからもっと見てよ
もっと好きになってよ
私はずっと好きでいるからね
「視線の先には」
じーっと見てる…
何かを狙ってる…
ドアの隙間から
テーブルの下から
″無言の圧力″
君の視線の先には
いつも何があるの?
それは…私 ( *´艸`)
私が行く所に
必ずついてくる( ΦωΦ )
可愛いすぎて
ついつい、おやつタイム…
で、余計に私の後を
着いてくる(笑)
「視線の先には」が今日のテーマだ。自分は他人の視線が苦手だ。人前に立って発表やプレゼンをするのは大嫌いだし、それどころか、職場の同僚と話すときすら、あまり相手の顔を見ずに話している。どうしてかはよく分からないが、相手の顔をみるのがちょっと怖いというか、億劫というか、抵抗があって、とにかく顔を見ないで声だけで対応するほうがずっと楽なのだ。もちろん、それが良くないことだとは分かっている。相手から見れば、ちょっと失礼で、不審で、気持ちの通じない人間に見えるだろう。それにこちらにしても、相手の表情をしっかり見たほうが、読み取れる情報が増えるに違いない。
いつまでもこのままではいけない、と決意して、実は先月の初めから、ある作戦を実行している。教育現場で頻用される「ごほうびシール作戦」である。1日のうち1回でも、会話中にしっかり相手の顔を見たり目を合わせたりできたら、スケジュール帳のその日の欄に丸い紫のシールを貼る(家族は除外)。ついでに、誰かに名前で呼びかけることができたときも、丸い緑色のシールを貼る。人の名前を呼ぶことも苦手で、いつも「あの〜」とか「すみません〜」とか声をかけてばかりだからだ。
これらの作戦は、少しは効果を上げている。仕事中に「あっ、今がシールチャンスだ」と思ったときに、意識的に相手の顔を見たり名前を呼んだりできる、こともある。それでも、やっぱり疲れていたり落ち込んでいるときは無理だ。小さな丸いシールなんかよりも、「顔を見たくなさ」のほうが圧倒的に勝ってしまう。まだまだ修行が必要だ。1年間くらい続ければ、少しは変わるだろうか。
謙遜は大きな声で言えたのに夕日があたしに差さないなんて!