『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私にとって当たり前でも
みんなにとっては当たり前じゃない
ちゃんと周りの人に寄り添って
生きていける人でもありたい
「私の当たり前」
感じていること
考えること
口にすること
黙ること
傷つくこと
幸せなこと
全て笑顔で誤魔化して
「普通」と比べ
「普通」に擬態
全部なんとなくだけど
あなたと出会って
いつも一緒に
夜空の下で
歌うことが
私の当たり前になっていく
そんな幸せを
今、かみしめています。
私の当たり前
私の当たり前といえることは
毎朝起きたらまずコップ一杯の
水を飲むことです
もう何年も前から続いているので
それが朝の日課となって今では
当たり前のこととなっています
【私の当たり前】
当たり前って気がついてないから、“当たり前”になるんだと思う。そのものが無くなる・揺らぐことで、ようやく自覚が持てる不思議な存在。
そんな私の当たり前は今のところなさそうだ。
『私の当たり前』(この話はフィクションです)
私は好きな人がいる。
その人は私と程遠く完璧な人で性格も真逆…だからこそ私はその人に惹かれたんだ。
私にとってその人はすごく優しくて…私なんかにも話しかけてくれて…いつも楽しそうで話だって面白いし飽きない、そんなところが私は大好きになった…「もっと仲良く出来たらいいな」「面白い話題とかないかな」…なんてうだうだ考えた結果…1日1日と刻々と時間が過ぎてしまって…結局話しかけず仕舞いになってしまう…気恥ずかしいけどこんな事が…私の当たり前なんだ。
毎日音楽を聞くこと。
寝る前に布団でスマホをいじること。
推しの動画を見ること。
題【私の当たり前】
(この話はフィクションです!!)
ーいじめにあってる子視点ー
なんで、なんで私はいじめられるの?
なんかひどいことした?目立つようなことした?
怒らせるようなことをした?
いっつもいっつも「うざい」、「キモい」、「○ね」、「近寄んな汚い!」って言ってくる。
私の当たり前はこうなのに、私の当たり前はおかしなことなんだ。
勝手に決めつけられるんだ。みんなで私をいじめてきてさ。これをした人は気持ち悪いって決めつけられて。苦しい。
ひどい!
私も、「これは、私にとって当たり前。だからやめて。」って言えれば良いのに。
私のばか。
ーいじめっこ視点ー
私の当たり前は、みんなに話せて、みんなと同じ才能を持った、元気な子。それが当たり前。
教室の端っこで静かに本読んでるやつは変人。
気持ち悪い。
話しかけても、そいつは
「えっ」、「あっ」、「ごめん。」
「あっ、じゃあいいよ。」
て言うだけ。なんかコミュニケーションが無さすぎ。だから気持ち悪い。
みんないじめてる。
だから、私もいじめるんだ。
「私の当たり前」
当たり前だった日常がコロナ禍では有り難くなった。
今のルーティンや感性がずっと続くとは限らない。
私の当たり前
3年前に友達が亡くなった
よくある交通事故で、、、、
小学校からずっと一緒にいた
いつだって隣りにいた
亡くなる前に喧嘩をした
謝りたい
ごめんね、と
当たり前は崩れた
友達の分も人生を背負おうと思う
私の当たり前
私は私を産んだ母が1番の悪だと思ってる。
私の人生がめちゃくちゃなのは、
母が私を産んでしまったから。
そこから始まった、
最期まで責任取ってもらう。
じゃないと何のために生きてるのかわからない。
私の当たり前
①人に何かを依頼して、対応してもらった時は
必ず対価を払うこと
②他者を裏切らないこと
→今ここに、私は反旗を翻す。 (タイトル変更 '24.7.10)
あなたの当たり前は私の当たり前ではない
あなたの干渉は私の幸せにはならない
あなたの夢は私の夢ではなく
あなたの喜びもまた、私の喜びではない
あなたのIdealは私のIdentityではない
あなたと私は肉親だが、あなたと私は個別の人間である
私は自由意志を持つ一個人だ。
テーマ; 私の当たり前
私の当たり前は貴方の当たり前じゃない。
同じように貴方の当たり前は私の当たり前じゃない。
頭ではわかってるのに、なんだか実感出来なくて間違えることいっぱいあるんだ。
誰かと話したり、SNSを使うときは、ちょっと心のなかで深呼吸。
深呼吸して、もう一度考えて、やっぱりやめようってこといっぱいある。
話したいことも、呟きたいことも、書きたい話もいっぱいあるけど、言葉はやっぱり難しいから。
心の中で深呼吸して、心のなかでもう一度話しかける。
私の当たり前、それだけは続けていこう。
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もう一個書こうかなぁ。
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文字を読んでいるときに頭の中で勝手に声がつく。
あと、頭の中で勝手に物語が紡がれることが在る。
勝手に誰かの台詞が流れるからそれを出力する。
このアプリの出題されるお題も頭の中で誰かが主張するから、それを書いてみたりしてる。
これが私の昔からの当たり前。
これからも誰かの台詞、かけたらいいなぁ。
二人だけが理解してれば
誰に解ってもらえなくてもいい
#私の当たり前
母親と父親が居て当たり前だと思ってた。
食べたいときに食べたいものが食べられること。
トイレに行きたいと思ったときにトイレに行けること。
電気の明かり、窓から差し込む日差し、スマホもテレビも当たり前だけど眩しくない。
…………。
それが当たり前じゃなくなった。
結婚式から半年後、母親が亡くなった。
母親は当たり前のように、おばあちゃんになるものだと思ってたのに。
その二年後、第一子を妊娠。
つわりで入院。
食べたくても食べられない。
スマホもテレビも気持ち悪い。
それから6年後、第二子を妊娠。
入院再び。
電気の明かりが眩しくて、窓から差し込む日差しが眩しくて、スマホもテレビも眩しくて気持ち悪くて…
食べることも飲むこともできなくなった。
自分にとっての当たり前は当たり前じゃなかった。
失って初めて気付かされる、当たり前のありがたみ。すぐ忘れちゃうけどね。
当たり前 って言葉を聞くと
いつの間にか頭の中に
反射で音楽が流れるようになってしまった。
そんなにハマっていた訳でもないのに。
♪『当たり前体操〜』
私の当たり前(ちょっとやだな)
【私の当たり前】
思い込んだら
一直線に
突き進んだら
おもうつぼ
「私の当たり前」
私の当たり前と人の当たり前は違う。
それは至極当然なこと。
だとしたら、常識って何?
私にとっての常識と人にとっての常識は違う。
もちろん、「一般常識」はある。
「一般常識」という名の「最低限の常識」。
言ってしまえば、「最低限の常識」以外は「常識は人それぞれ」なのだ。
よく「自分の常識を押し付ける人」がいる。
よく言われるから、「常識と化した言葉」もある。
「努力は報われる」「努力は裏切らない」
これはよく言われる言葉だ。
確かに「努力により成功した事例」はたくさんある。
だが、あくまで「たくさんある」のであって、「必ず」ではないのだ。
「どんなに努力してもどうにもならない」
そんなこともたくさん存在する。
「どんなに勉強しても覚えられなかった。」
「どんなに勉強しても理解できなかった。」
「どんなに練習してもできるようにならなかった。」
私にはそんなことがたくさんある。
だから、やる気なんてなくて、「努力」が出来ない。
そんなことも普通にある。
でも、自分なりに努力はしているつもりで。
それに「自分の中では成功や合格」でも、「お前ならもっとできる」なんて言われて、その「もっと」が、その「期待」が、自分の負担になっている。
そんな、悪循環が起きている。
私の当たり前
ひとによってちがうけど
あいさつ。
にこにこ笑顔でこんにちはってするとね
みんなにこにこになるだよ!
それが嬉しくてね
学校ですれ違う先生にずっと
こんにちは!っていうの!
みんなもね、さすが〇〇だねって褒めてくれるの!
だからねだからね、
すきなんだよねぇ、あいさつ!