『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『私の当たり前』
私には、二つの当たり前を持っているのだけど、正確には、三つあるのね。
四季折々の空を見る事が癖であまりにも美しい風景を見たらすかさずカメラを持ち写真の中に収めている。
風景のコレクションをしたりとひそかにやっているのだけれど、気に入った写真は大切な人にだけにしか送らないのである。
それは、共有をしたいだけじゃなくて大切な人の気持ちと一緒だと思えるからである。
写真を撮るのは、心のフィルターだという事を昔の記事で見かけた。
だからこそ、撮るという時にはこの風景を撮らせてもらうつもりで撮っている。
空を見上げるのは、心のゆとりだけじゃなくて自分の中にあるフィルターで撮り、カメラで撮り、大切な人に送る事は私の当たり前な事でありながらも…、大切な日常の当たり前を過ごしていられるのは何と奇跡なのだなって思った。
2022年7月9日
坂部さんが亡くなって1日
これからどうするか何も分からない
誰かにとって当たり前なことが
自分にとってはそうでないように
私にとっての当たり前も
人にはどうでもいいことだったりして
その埋めようのない差異にひるんだり
失望することだってあるかもしれませんが
人と自分は違って当たり前だということを
当たり前に知っておくべきなのです
#私の当たり前
好きな音楽を聞いて笑ったり泣いたりする事
私の当たり前は当たり前じゃない
世の中は当たり前じゃないことで溢れている
親がいるのも美味しいご飯を食べれるのも
大好きな人たちと一緒にいられるのも
生きているということも
何一つ当たり前じゃない
私の当たり前は
当たり前じゃないことが
当然のようにあること
そんな毎日に
感謝しながら生きることだ
私の当たり前。
大好きな
人に囲まれる事が
私の当たり前。
本当に好き嫌いが
激しいけど
好きになった
人は
嫌われるまで。
「背が高くて
かっこいいね」って
言われるのが
私の当たり前。
#私の当たり前
同じクラス、学校に行くといつでも視界にいた
「ノート映させてよ」「えぇー……いいよ」
何気ない会話ですら もうできなくなって
君と過ごした3年間
一つ一つの思い出を大切にしていたつもりだけど
当たり前がもう少し続くような関係でいたかった
当たり前
常識
普通は
そんな窮屈な言葉で括らないでほしい。
私とあなたとは違う。だから当たり前も常識も違う。他人の普通など知らない。。
どうか当然のように諭さないでほしい。何も理解出来ないから。
朝、大好きなゲームの音楽で目を覚まし、閉じようとする瞼を擦りながら支度をする。毎日朝ご飯の用意やお弁当をつくってくれる母には感謝しかありません。
通学中は途中にある神社へ向かって、礼儀作法も何もない挨拶と今日一日を穏やかに過ごせるようにと頭の中でお祈りをする。
学校では、なるべく真面目に授業を聞き要領が悪い自分を普通にするための努力をする。
放課後は少し部活に参加してからバイトに行く。部活の時間は全然とれてないけれど、先生が、とやかく言う人じゃなくて良かったです。今は将来のためのお金を少しでも貯めたい。
夜、一日の疲労とストレスをお風呂で洗い流します。お風呂で歌うとストレス解消になって気持ちがいいです。音楽は心の支えです。
眠りにつくときは大好きなぬいぐるみを抱いて目を閉じます。とても落ち着くひとときです。
自分の嫌な所はたくさんあるけれど、私は恵まれた環境にいると思います。だから感謝の気持ちを忘れずに周りの人を大切にしていきたいです。
ガンバ大阪を応援することが
私の当たり前。
でも、最近負けが込んでて
当たり前が辛くなってる。
こんな時代に平和な悩みだ。
今日をもちまして、卒業します。
そんな言葉でぼくの当たり前は消えた。
一瞬一瞬大切な人を、隣の人を大切にするしかない。できる時にできることをするしかない。
そう思った。
失ってから気づくなんて、遅すぎんだよ。
僕が君に恋をするのは偶然で
君が一瞬を諦めるのは必然らしい
朱冥想
刻は廻り
刻に焦がれ
魅せられた世界
刻を掴み
刻を愛して
殺められた存在
見失う匣庭で
佇む私は
何一つ無い闇
冷たさに
「ドウシテ 生テタ・・・」
染まる夢橋
紅く 黒く混じり
崩れ逝く儚さ
壊れた刻現
脆く 砕け拡がる
哀しみの 尊さ
忘れられぬ
焼き付いた瞳
逃れられぬ
貫いた鼓動は
「私ハ 私デ在ル故二・・・ 否定ノ・・・」
私の当たり前
悪い事はしないかなぁ
毎日ちゃんとご飯食べるわ
毎日寝るわ
毎日お風呂に入るわ
アタシにとっては当たり前過ぎて
面白さに欠けるわ☺️
日常は何気なく過ぎていく。今在るものが、ずっと続くと思ってる。
何が起きるかわからない、予測できない日常。壊れてから、失ってから気づく、大切なものもある。
当たり前の形は、人それぞれ。些細なことでも、気づかずそこにあって、いつの間にか当たり前になってる。
「ありがとう」「ごめんなさい」
気持ちを伝えたいって思った時、口に出してみよう。
その一言で、変わるものも、変わらないものも、手が届く距離にまだ在るのだから。
わたしの当たり前
夜中に目が覚めて
しまうこと…
静かで落ち着く時間
…反面さみしい時間
時々…
夜中、おそとを
眺めて…
自分だけの…
特別な時間を
満喫するの…
ふわっと空想の
世界へ…
お題《私の当たり前》
言の葉を織って流すこと
記憶の中に眠る日常や忘れられない時間を描く
わたしの想いや物語を誰かに届けたいから
それで、誰かの日常がすこしでも色鮮やかになればいいと想う
誰かの不安や切なさに寄り添うような物語を
想いの言の葉を伝えたくて
わたしは今日も言の葉を織って流す
《何もしなければ 何も変わらない》
《想いを伝える時に伝えなければ 大切な人も時間も待ってはくれないから》
《大丈夫 あなたと一緒にこれからも歩いてゆくから》
読んでくれてありがとう
いつでもあなたのそばに月がありますように
「死にたい」
それを言うのが
僕の当たり前
「生きたい」
それを言うのが
君の当たり前
どちらも欲が出ていて
いいじゃあないか。
共有スペースは美しく。
職場では掃除当番として、床掃除とトイレ掃除が1週間ごとに決められている。
20代の女性が多い職場だが私は40才目前。
当番があるとしても人により掃除の基準は様々で汚いと感じることの方が断然多い。
年齢のせいなのか、面倒だから適当に手を抜くのか、単純に気づかないのか色々理由はあるだろう。
私の当たり前の感覚では自宅はそこまで手をかけられないとしても他人との共有スペースは清潔に保ちたい。
正直汚すぎて不快に思うことも少なくないけれど、自分の基準を押し付けるのも何だか違う?
でも新人の人にその程度の清掃でいいと思わせるのも違う?
私が気づけば清掃すればいい?
何が正解なのか分からないまま、毎朝早く出社しているため、床清掃に関しては実は私が行っている。
やはり綺麗だと気持ちがいい。
これでいいのかな。
小さなことだけれど、人の基準って本当に凄い差があると思わされる。