『神様へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あの世があるのであれば
わたしはいけるだろうか
人を信じなくなった
わたしはいけるだろうか
誰かといても心が踊らない
わたしはいけるだろうか
なににも自信のない
わたしはいけるだろうか
どこかに神がいるらしい
ヒトかモノかも分からない
あの世に行けば会えるのだろうか
私は神を知らないでいる
会えないでいるということは
私はまだ生きる必要があるということか
神様へ
なぜこの世界に存在させたのですか?
苦しいです
楽しい世界にしてください
拝啓、神様へ。
一体私が何をしたと言うのでしょう。
それともこれは愛故の試練なのでしょうか?
たとえそうなのだとしても、私には乗り越える勇気がありません。
どんなに頑張ったって物語の主人公みたいにはなれないのです。
神様って本当にいるの?
悲しいけれど
思わずそう問いたくなるような不条理な
出来事がこの世には存在するし
それでいて
人智を超えたみごとな采配で奇跡としか
いいようがない出来事も起こりうる
、、、神様へ。
あなたが考えていることなんぞ、
私などには到底わからないのでしょうけど
あなたを信じ、あなたの力を必要としている人
がこの世には大勢いますから
あなたが定める崇高かつ厳粛なお考えのもとに
成り立つ現世かもしれませんが
どうでしょう?
もう少し奇跡の割合を増やしてみませんか 、、、
12:神様へ
拝啓、僕に命を宿したあなたへ。
僕はあなたの想いを全うできていますでしょうか?
想い描いた人間として生きていますでしょうか?
僕の身体がどうして温かいのか
未だ理解ができません。
この感情、思考の性格、
これは間違いではないでしょうか。
”普通”ではないとされて、異端と言われる。
あなたが恋したのは誰でしたか。
僕は、彼を愛してもいいのでしょうか。
あなたにしか、聞けない。
_神様へ
神様へ
なんで何もやってない私がこんな思いをしないといけないの?もう常に笑える生活が送れない。送らせてもらえない。学校でも家でも。辛い。嫌なこと忘れて生活したい。ほんとに神様は誰の味方をしているんだろ
神様へ
どうか1日だけ、天国から家族を戻してください。
お願いです。
一生連れ戻してなんて言いません。
1日だけ。
そしたら、色んな話をしたいです。
家族や友達、仕事の仲間がどれだけ愛していたか、教えてあげたい。
どれだけ感謝したか。
あなたが居なくなってから、こんな話したのよとか。あなたの子どもこんなに成長して、女の子だからあなたに喋り方そっくりで、しぐさも似てるのよ、なんて…
できたらいいのにな。
神様へ
「神は…乗り越えられる試練しか与えない」
とは本当なのでしょうか?
だとしたら神は
私を過大評価し過ぎじゃない?
どうして…
次々と普通に生きていれば
味わう事のない試練が
私には降り注いでくるのでしょう?
普通「が」いいんです!
平凡「が」全然いいんです!
なのに…
なぜ私なの⁈
私は前世で
そんなに酷いことをしたのですか?
今、今まで
自分に起こっていることは
全て私が前世でした過ちなのでしょうか?
乗り越えられる試練「しか」…
「しか」とはとても言い難い試練ばかり…
でも結局、その
乗り越えられる試練「しか」
という言葉だけを信じて…
私は必ず乗り越えられると
いつもいつも耐えるのだ…
この繰り返し
この先にきっと幸せがある!
と信じることしか出来ない
そうやって…俗にいう人生の半分を終えた
神様、
私が幸せだと実感できる日は
一体いつになったら来る?
本当に来るよね?
本当に乗り越えられるよね?
その先の幸せとは…
「死」なのではないかと思うのは
私だけなのでしょうか?
耐え抜いた先の安らぎ…?
だとしても
まだ私は死なない!
まだ諦めない!
私はいつか必ず平凡な毎日を過ごせる!
そう願う
そして今日も生きる⭐︎
拝啓神様へ
いい子になります
徳を積みます
人の為に生きます
だから
僕を人間にして下さい
温かい肌
流れる涙
締め付ける胸の痛み
全てを僕は
受け入れます
人間になりたい
僕だって
生きていたいんだ
拝啓神様へ、居るか居ないかは私達からは見えませんが、きっと毎日見守ってくれているでしょう。本当に感謝しています。私がこの世から去ったら貴方の姿を見られるのかな?これからも見守っていて下さい。 【神様へ】
神様へ・・・
この世には、障がいや環境等で明らかに不平等に生まれた子供がいます。何故でしょうか?
頑張っても頑張っても、若くして亡くなる人もいます。何故でしょうか?
学校でも職場でも無理を強いられ、自ら命を断つ人もいます。何故でしょうか?
ただ、自分らしくいきたいだけなのに・・・
普通の生活がしたいだけなのに・・・
時間は皆平等って言うけど、現実は平等じゃない。事故や障がいや余命を含めて言うと。
だから・・・俺は・・・せめて人生にあがなえるとしたら、自分の大切にしたいことは守って行きたい。
(大したことはないけど、横断歩道や交通ルール遵守とか、ゴミの分別はしっかりするとか、喫煙者マナー守るとか、電車内ではリュック前にするとか、コンビニでは並び線にキチンと並ぶとか、朝の散歩では、学童やご近所さんやランナーに挨拶するとか・・・上げたらキリないかw)
まぁ・・・普通のことです。
それが・・・何か良いのです。
神様へ・・・この様な私でも、まだ生きていて良いでのしょうか?
でしたら、せめて、これからの子供達の未来を願って生きていきたい。
−神様へ−
神様
私はあなたにお願いしたいことがあります
どうか私の妻を助けてやってください
ずっと苦しみ続ける妻を見ていたくないのです
神様たちに詳しくない私ですが
なにか危ないことに足を踏み入れているのは分かります
ですが妻を救いたいのです
この [シュウキョウダンタイ] なるものの [キョウソ] という人を
殺してください
『神様へ』
憤怒は七つの大罪の一つらしいのですが、この頃どうにも怒りっぽくて嫌になります。あまりのイライラに、アンガーマネージメントを始めました。
怠惰も七つの大罪の一つらしいですね。「面倒くさい」の心根はどうしたら消えるのか、自分のことながら未だ解決策を見い出せずにいます。
「怒り」と「面倒くさい」がなくなったら、さぞかし有意義で心穏やかな人生になることでしょう。
でも、それ、人間なのでしょうか?
神様へ問いたいです。
余談ですが、「面倒くさい」は文明の発展には欠かせない要素らしいですよ。便利な時代は「面倒くさい」から始まっています。胸を張って「面倒くさいです。」とは言えませんけど、少しくらいは許していただきたいですね。
「神様へ」
どうしてこの世の中は
こうも冷たくて寂しいのですか?
どうして私は
汚泥と重荷を背負っているのですか?
どうして弱いものが虐げられ
ずる賢いものが強い物を与えられるのですか?
はなから不平等なら
負だけ平等に与えないでほしかった
こんな世の中なら今一度
その手で救世を、その御力で救ってください
どうか流して、全て流してください
神様へ
死にたい人に「生きろ」というのは、犯罪では無いですか?
生きたい人に、「死ね」というのと、なんら変わらないではないですか。
しがない村人Aより
‐神様へ‐
♯36
神様へ
なぜ私は他人より優れたものが
ないのでしょうか
あの子はとても可愛くて
その子はみんなから人気で
私はなんなのでしょうか
神様
せめて、あの人からは好かれていてほしいと
願わせてください
神様へ
今日はもう眠いので寝ます。
明日もよろしくお願いいたします。
神様へ一つお願いが叶うのなら私とあなたがずっと健やかに病気にかかることなく平和に暮らせることをお願いします
神様へ
齢21歳の私
坐骨神経痛との診断を
本日いただきました
ストレスでしょうか
勘弁してください
お題 神様へ
短歌
神様へもうしませんからお願いです
この腹痛をいますぐとめて