『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
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ド屑
甘ったる
バンライフ キャンピングカーは 三畳間
庭付き我が家 不要と悟る
#旅路の果てに
旅路の果ての
本当に本当の果てには
必ず 穏やかなやすらぎがある
だから 恐れることはない
大丈夫
果て
最果て
旅路の果て
こころの果て
いのちの果て
世界の果て
宇宙の果て
はて、「果て」と並べてみると、「果てとはなんじゃろな?」などと考えてしまう。自分でも気軽に使っている言葉なのに。丸い地球の民としては、「たとえばきれいな夕焼け空をひたすら追いかけるとずっと夕焼けの下。速度限界は勘案しないものとする。“果て”を設定するなら、立脚点の条件を定義せよ…実質的に果てってどこよ?」と、アタマがはしる。
人間の脳は、「時間と空間」を、“物理的に、かつ絶対的に、ある”と見なして(つまりは“無い”のだ)知覚しているうんぬんという話が量子物理学研究で論じられている。「物理的な知覚」に概念も対応して発せられるから、「果て」という表現・認識も発生するのだ…と。
しかし、生きゆく人生は量子以上のものだと言って良いと思う。物理的事象の組み上がるプロセスがどうであれ、生きる主体は「存在」であって量子ではない。
人間に限らないが、必ず肉体を伴った生を終えるときが来る。その時点を表現するに、「旅路の果て」と言いあらわすのは間違いではないと思う…少なくとも、大きな、そして大切な、区切り点だ。その後も「存在の旅路」はあるが、でもやっぱり、ひとつの人生の完了は大事なものだと思う。精いっぱい生きたのならなおさら、その人生は愛されてあるべきだ。
私はトシだから、ある程度「次の旅路への移行」をする人達を見送ってきた。二十歳になる前の親友から、時々話した隣人や、長く歩んだ人生を後にした親戚・家族まで、けっこうな人数になる。
「よくある話」だろうと思うが、私にとって大切な、いくつかの「姿」を書いてみる。
祖父が逝去する4日前、私は自宅の台所に居たのだが、突然に澄んだ大きな川のほとりの風景に引き込まれた。空は青く晴れて、川岸に青年よろしくなスタイルで祖父が座り、これ以上ないほどの晴々しい表情で川の向こうを見ていた。私は「ああ、もう出発を決めたんだ」と思い、涙が止まらなくなった。
母が逝去する5日前、母が私の住むアパートのすぐ近くに立ってにっこり笑っていた。元気だった頃にいつも着込んでいた綿入り半纏をはおり、何故か建物の外。勿論、そのときの実際の母はもう入院病棟のベッドから起き上がれないほど弱っていたから、身体を持たずに来たのだ。私は急いで、病室に詰めている父に電話をかけた。
少し前のお題のときに書いた「かっこいいTさん」は、年が明ける前の12月はじめに、例の黒のコートと黒の山高帽、スーツといういでたちでお見えになった。もちろん、身体を持たずの「挨拶回り」でいらしたので、すぐに次へ向かわれた。祖父とも交流のあった方なので、私は仏間に行き、祖父にTさんの来訪を報告した。
何年も前に、私のするべき仕事の時間ぴったりに、必ず「さあ、時間ですよ」と声をかけて下さる方がいらっしゃった。このときは既に鬼籍に入られていた方だった。当時の私はあまりに疲れてしまっていて、時間感覚すらぼやけがちだったのだ…。朗らかであたたかいその方の「響き」そのものが、どれほど私を励まして下さったか、とても一言で表現できない。
誰の旅路も、唯一無二の深さと豊かさが響いている。やっぱり私には、ひとつの人生を終えるときが「旅路の果て」とはどうしても思えない。
ある日、ある少年の家に手紙が届いた。
少年へ、
この手紙をかなたが見た時、どんなことを思っているでしょうか。
嬉しいのか、困っているのか、笑っているのか、泣いているのかすらわからないのです。
あの知らせが、あなたが「勇者」であることが知らせられた時、どんなことを思っていたのでしょうか。
不安、希望、困惑、光栄……さまざまな感情が嵐のようにあなたの心を震わせたことでしょう。
しかしあなたは旅立たなければいけない。
それがこの世界の宿命であり運命。
世界そのものの物語。
おそらくこの旅路は、世界の本質に触れるもの。
この旅で、楽しく、美しく、嬉しくなる、表側の世界の側面を見るでしょう。
同時に、残酷で、残忍で、苛酷な、裏側の世界の側面を見るでしょう。
しかし、どんな時でも私はあなたのそばにいます。
あの日、あなたが私を見つけてくれたあの日から。
八百万の神の一柱にすら数えられないような、ちっぽけな私を。
この手紙を通し、祝福を送り授けます。
あなたの旅路の果てに、光あらんことを。
これから旅へ向かう勇者へ
村の大樹の神より
人生を旅に例える人がいるけれど、それなら死はきっと終着点なのだと思う。
旅の終わりは寂しさと、達成感によく似た眠気がやってくる。そしてそれから何度でも、旅の思い出を振り返ることができる。
懐かしんだり、後悔したり、それも含めて愛しく思ったり、そうして新たな視点に気づいたり。
この旅の終わりにあるものが、そんな穏やかな時間だといいと、何も知らない今の私は思っている。
これを読んでくれた人が、たくさんの素敵な思い出を作れますように。
『旅路の果てに』
太陽の照りつける土地、霧に覆われた街、氷の大地
様々な場所を旅してきた。
金が底をつけばその土地で仕事を探して、
暫く経てばまた次の土地へ旅立つ。
同じ場所にはとどまれない
なぜなら自分は人狼だから
満月の夜が近づくとその衝動は抑えきれなくなる。
怯える人々の顔が今でも頭から焼き付いて離れない。
人は惨めで醜い生き物を嫌うのだ。
人間の世界という喧騒から離れ、
自然の中で暮らしたこともある。
穏やかな陽の光、草木や土の匂い 、
雨風が吹けば洞窟や木の根の隙間を探して
枯葉を敷きつめそこを寝床にする。
雄大な自然は自分という存在や自分が
抱えている問題など、この世界の中では
ちっぽけなものだと思わせてくれる。
自然は人間よりも寛大で親切だ。
だが、自然が与えてくれる感動にも
癒せぬものがあった。
常に寂しさが付きまとうのだ。
様々な土地を見てきて共通することが一つあった。
それは皆仲間がいることだ。家族、友人、恋人…
人も狼も群れを作って暮らす生き物だ。
だが俺には共に生きる相手がいない。
人にも狼にもなりきれず、
己の正体を見破られることを恐れ、
転々と住む場所を変え続ける日々。
そんな自分が今は屋敷で使用人として働いている。
屋敷の主は俺の正体を知っているが、
恐れや嫌悪を抱く事もなく、それどころか、
名もなき俺に"セバスチャン"という
名前と居場所を与えてくれた。
暖かな日差し、紅茶の香り、鳥のさえずり、
庭の花の香りを運ぶ優しい風。
テラスで寛ぐ主人の横顔を見つめる。
自分は一体いつまでここにいられるのだろうか。
今はただ、この穏やかな時間を
胸に刻み付けておきたかった。
君は強くなって帰ってきてくれた。
私もこの世界との縁が強くなった。
これからもよろしく頼むよ
ある審神者の日記より抜粋
何がある?
どんな未来が待っている?
私達は終わりのある夢旅人
彷徨い歩き何かを探し見つけようとする
…一体何を?
それは人それぞれ違う
人の数だけの終わり方がある
旅路の果て
最後に見る景色は皆違う
最後にはいいものを
それが道中何が起きようとも
終わりよければ全て良しなのだ
旅路の果てに
チャカポコチャカポコ…チャカポコチャカポコ
なぜ俺はこの気狂い男の奇妙な歌を聴きながら最期を迎えなければならないのだろうか…
…俺は何か大きなことを成し遂げることも、人生がどん底に落っこちるような大失敗をすることもなかった。
言わばクソほどつまらない人生だった。
けれど妻も子供もいて、さらには孫もできた。
とりわけ面白いこともなかったが確かに幸せだった。
最期は愛する家族に囲まれて死ぬんだ、そう思っていた。
チャカポコチャカポコ…チャカポコチャカポコ
なのになんだこのチャカポコ男は…
極めて奇怪な言葉を発するこの男は容貌、所作、臭気…どれをとっても奇怪である。
恐ろしいほどに鼻が高く尖っており、これでもかと言うほど口角を上げニタニタと笑っているその姿は悪魔のようだ。
動くたびに揺れるボサボサな長髪と口から覗く黄色い歯からは清潔感がまるで感じられない。
この奇妙な光景を見ているだけでも気が狂いそうになるが、それ以上に俺を苦しめているのがこの男が動くたびに漂ってくるこの悪臭だ。
「腐敗臭」という言葉が一番近いだろうが、これは腐敗臭ではない。
正確に言えば腐敗臭だけではない。
この世の全ての悪臭を練り合わせた臭いだ。
言い過ぎではない。まじでクソ臭いのだ。この臭いを嗅ぐたびに寿命が縮んでいるのではないかという気さえしてくる。
最悪だ…俺はもう死ぬというのに…
チャカポコチャカポコ…チャカポコチャカポコ
チャカポコチャカポコ…チャカポコチャカポコ
……俺は本当にこのまま死ぬのか?
チャカポコチャカポコ
…なんで俺はもうすぐ死ぬというのに家族がいないんだ?
チャカポコチャカポコ
…俺はさっきまで何をしていたんだ?
チャカポコチャカポコ
…なんで俺は死ぬんだ?
チャカポコチャカポコ
…俺は死ぬ気がする
チャカポコチャカポコ
…俺は家族で出かけてた気がする
チャカポコチャカポコ
…俺は一人で出かけてた気がする
チャカポコチャカポコ
…俺は病院で寝てた気がする
チャカポコチャカポコ
…俺はさっき生まれた気がする
チャカポコチャカポコ
…俺は、俺は、おれは
…チャカポコチャカポコ…チャカポコチャカポコ……
"旅路の果てに"
俺の前には、長い長い道が続いている。
この道の先には一体何が待っているのだろうか。
自分ですら分からないから、誰にも分からない。だから、自分の歩んできた道の先に何があるのか、気になる。
けれど、長い道の途中には幾つもの選択肢があって、色々な分岐がある。
だから、焦らずゆっくり選びながら進む。
長い道だから、疲れて歩けなくなる事もある。進むのが怖くなる事もある。
そんな時は立ち止まったっていい。ちょっとくらい休憩したって誰にも叱られない。
道の先に待っているものが何なのか、妄想しながらゆっくり歩いていく。
瞳孔が開く
あなたを想い出す
かたわれ時に
振り返ってもいいかな
_旅路の果てに
旅路の果ては
疲れて
燃え尽き症候群みたいになるよ
でも楽しかったのは変わらない
意味あってんのかこれ
関係ないけど雑巾がけで現在進行系で寝ると足が痛いです。助けてください。
【旅路の果てに】kogi
泣きたい時にも
泣けない日がある
お前の苦しみも
人に言えない日があるさ
何も見えない闇の中は
求める夢も見えはしない
今のお前にできる事は
歩き続けることだけさ
悲しい想い出を肩に隠して
お前は歩きだす
1人きりの人生を
甘いなぐさめなど今は
背中に沁みるはずもなく
苦い涙がこぼれたら
気づかないふりをしてやるだけさ
明日は明日の陽が昇るだろう
お前も昨日には戻れはしないのさ
見知らぬ川の行くてにも
澱みや滝があるだろう
それでも海が見えるまでは
流れ続けて行くものなのさ
……順不同です
果てしなき闇の果てに おぼたけし
あしたのジョーの2エンディング曲です
………
古い知り合いに養護教諭になりたくて浪人してた
非常勤の先生がいました
教え子に養護施設出身の笑顔が溢れそうな奴がいました
私が覚えるのは2つ
先生の方は養護教諭として転任されて
教え子は印刷会社に就職しました
もう1つは
ナイター設備の暗がりの中を
2人が笑顔いっぱいに野球してた記憶です…
もちろん私もおりましたよ✨🍀(笑)
あの日、自殺をしようとした
だけど無理だった
いつか出来たらいいのなーなんて思ってるけれど
内心そうは思ってないんだろうな、笑
まだ旅してていいですか?神様、
やっぱ、まだ旅を終わらせるべきではないんだな、笑
旅路の果てに
第五話 その妃、躊躇わず
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
京畿の東に棲まうとある一族は、代々正統な血を守り続けていた。純血であるほど『星』との結び付きが強くなると、信じて疑わぬままに。
“混血の子など在ってはならない。どのような理由があろうとも”
“混血児は滅せよ。どのような手段を使ってでもだ”
その地の風習や伝統は、地中深くにまで根付いていた。だから、それがたとえ赤ん坊相手でも例外ではなかったのだ。
里人たちは、容赦なくその赤ん坊の命を狙った。他人も、親戚も、実の兄弟でさえも。
しかし、赤ん坊は生き長らえた。
否、誰も敵わなかったのだ。その赤ん坊に。
『……拝命致します』
類い稀なる力を持ったその赤ん坊は、史上最年少にして里の長となる。
しかし信仰を重んじる里人は、外にそれが漏れる事を恐れ、長を里の森深くに隠し、素性を秘匿することにした。
長となった赤ん坊は、何にも期待しなかった。
利己的な人間にも、私欲のために家族面する奴らにも。そして、自分自身にさえも――。
* * *
「そなたの力を持ってしても見つからぬとはな」
「星が語るのはいつでも真実のみ故」
「心得ている。次は、良い結果を期待していよう」
「御意。……我らが帝に、祝福あれ」
腕を組み、頭を下げたまま御前を後にする。
長い廊下を渡り、門をくぐり、好奇の目に晒されながら帝都を出てようやく、今歩いてきた道を振り返る。
そして、嘲笑を浮かべて一言。
「誰が教えるか。下衆野郎」
何が、代々受け継いできた風習か。伝統か。何が、純粋に守られてきた血統か。
実にくだらない。
受け継がれたものなど、せいぜい性格の悪さと狡賢さだ。そもそも混血児が長になった時点で、すでに守るも糞もないではないか。
そんな世界に『期待』など。有りもしない言葉を知っていること自体、滑稽で仕方がないというのに。
――嗚呼、何とつまらぬ人生。
待ち受けているのは、強欲な悪意の手によって堕ちていく死だけとは。
「……そう決め付けていた頃を、まさか懐かしく思う日が来るとはね」
そうではないと、教えてくれた人がいる。気付かせてくれた存在がいる。
だから、闘うことを選んだのだ。
唯一渡り合える人間が、逃げるわけにはいかないからと。
「……辺鄙な所に呼び出したかと思えば、一体これはどういう状況なわけ」
どうせ旅路の果てが同じならば、最期くらい彼らのために何かを遺して逝きたいと、そう思った矢先。
目の前には、躊躇いなく踏み潰す女と、悦んで踏み潰される男。どうやら友にする人間を間違えたようだ。
「おお! 待っていたぞ心の友よ!」
「人違いだと思います」
「わお。すごい他人行儀」
「……それで? そちらの女性は」
挨拶も礼儀もすっ飛ばすのは、そもそもの必要がないからだ。
「御機嫌よう。陰陽師殿」
この女もまた、同族の人間。
帝に仇なす――反逆者だろうから。
#旅路の果てに/和風ファンタジー/気まぐれ更新
旅路の果てに
普通に仕事してたら旅なんて出来ない。
人生は旅だと思うけど、
家から仕事行って帰ってくる日は旅ではない。
家から出ない日も。近場しか行かない日も。
旅という概念。場所だけじゃない。
家でも本読んで知らないことを知ることは
旅よりも旅かもしれないし
近場でも素敵な人に会えたら旅になるかもしれない。
旅路の果てに何があるのか。
今死んだら、今が旅路の果てになるわけで。
今はまだ死にたくない。
旅路の果てにあるのはきっと、
もう死んでもいいって思えること。
違うな。
だったら僕は何度も死んでるし。
神様は意地悪だし。
旅路の果てには何もないだろう。
旅にも意味はないだろう。
ないから、自由なんだ。
ないから迷うんだ。
ないから、今日この日を生きた意味を僕自身が
好きにつけるんだ。
旅路の果てに
学校を卒業して、社会の出て、どれ位経ったろう…そして今、振り返るとそれなりの出来事を超えてきた…そして、目の前には、何も見えないけれど、きっと何処かで、終点に辿り着くのだろう…その時の景色は、どんなものなのか…この先、どんな出来事が待ち受けているのか、どんな路を歩むのか…今迄歩いた道は、その連続だったのだけれど…
旅路の果てに
『終わりと始まり』
僕は勇者。
世界を脅かす魔王を退治するために旅をして20年が経った。
今でも覚えている、旅のはじまりを。
大きくてきれいな桜の木の下で「なぁ、旅に出ようぜ」と親友が僕に言ったから始まった旅だ。
最初はそんな親友と2人で始めた旅だがその親友も戦死してしまった。
この20年の旅で沢山仲間が増えて、そして沢山仲間が死んでしまった。
そして今、仲間6人で魔王に挑もうとしていた。
勇者「おいっ!魔王!今日お前は初めて敗北を経験することになるだろう!」
魔王「そうか、そりゃ楽しみだな、わっはははは」
魔王「来るがよい!勇者たちよ!」
戦いは長期戦となった。
しかし長い旅と比べたら短くあっけないものだった。
最後には僕は魔王と刺し違えた。
魔王も僕も死んだ。
世界は平和になった。
勇者「ここは、天国か」
魔王の死を見届け目を閉じて次に目を開けたら真っ白な世界にいた。
しかし、どこか見覚えのある場所。
そうここは旅の始まりの場所、あの桜の木の下だ。
ただ違うのは世界が真っ白なところだけ。
親友「待ちくたびれたぞ」
桜の木の下には親友が待っていた。
勇者「やり遂げた」
久しぶりに聞いた親友の声に涙が出そうになったが、まず言うべきことを言った。
親友「あぁ見てた、みんなで見守ってた」
親友の周りには死んだ仲間たちがいた。
勇者「久しぶりに再開できたし、ゆっくりするか」
親友「いや、旅に出ようぜ」
僕の目からは涙が出ていた。
勇者「あぁ、そうだな」
嫌なことがあったら、
普段歩く道から外れて
冒険することがある。
そんな時は
必ず来た道を覚えることにしてる。
でも戻ることはなく、
こっちの道に行ったら
知ってる道に出るかもと
どんどん進んで行く。
少しばかり
不安になるけれど、
心がザワザワしている時は
逆にそれが心地よく感じる。
そうして
ようやく知ってる道に出ると、
意外と移動していたり
普段入らない脇道が
こんなところに繋がってるんだと
ちょっと楽しい。
見慣れない景色を見ることが出来るのも
またいいんだよね。
満足したら家に帰る。