『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
幸せとは_9
私は小さな幸せが好きです。
空に雲が一つもないから珍しい ラッキー。
今日は天気雨だな珍しい ラッキー。
あの人が笑ってくれた 嬉しい。
あの人が褒めてくれた 嬉しい。
私の周りは幸せがいっぱいです。
私は大きな幸せは好きではありません。
失うのが怖いからです。
それでも今日ついてないなって時は
きっと自分から無意識に避けているだけ。
そう思います。
明日も良い一日になりますように。
幸せとは お題
温かいごはんを食べられること おいしい(๑´ڡ`๑)ごはんを食べられること
ふかふかのお布団で寝られること 洋服を着れること 学校に行って勉強したり友達と話せること
疲れたら休むことができる 安心できる居場所があること 家族や友人が居ること
他にもいろんなことがあると思いました。
1人で生きられるようになるためにいろんな人に支えられて今日も支えられながらみんな生きていると思いました。
不安なことや心配なことがある場合は友人や家族に相談ができること。
ちゃんと息が出来ること
心から美しいと感じられること
愛らしいと感じられること
心が純粋で繊細であること
空や風を感じられること
感動出来ること
感謝出来ること
幸せなこと
幸せって何だろう?ふと思ったんだけど、全然わからない!もしかして平和なことかもしれない!だって戦争起きてたら全然平和じゃないもの!他はなんだろう?また考えよう!がんばるぞ!ー
2024年1月5日。
絶望初詩
肺が漆黒に染まる
朝夕暮れ昼でさえ
微動だにしない人を
微細さに屈した私を
僅かな光であった
数秒前貴方を知るまで
浙江省紹興市
酒に酔えども
彷徨いはない
黒龍江省哈爾浜市
彼に酔えども
流離いはない
身が掻き毟られる
身体は熱を失ない
そのまま落ちぶれ
希望も一つもない
黒く潰された絵が
今日まで色のない
唯一の闇だったが
それを私は白くし
真実を見抜けない
起きて陽を浴びて
夜毎に髪を洗って
希望の水を浴びて
苦労を水の泡にしても
私は躊躇いがなかった
自らを生とし
死を理性の崩壊としたことを
寧ろ崩壊すれば良い
優しく導こう
君を絶望へと
彼に靡かせ
君を奪おう
漆黒の扉に
縛られた椅子を
蹴ることもない
そうと知って
そうするのだから
【幸せとは】
すごいボロ屋でも雨風しのげて、とりあえず食べるものもあって、ほどほどのお金もある。特に病気もなく、心身共に病んでない。
それを幸せといえば幸せ
でも世の中をぐるっと見回せば…
豪華な家に贅沢な料理、使っても使いきれないお金を持ち、もちろん体も健康。
そんな家を見たとき今の私も幸せと心から思えるのだろうか?
母の口癖は
雨風しのいで飲んで食べていければ良い。
上見て励め、下見て暮らせ。
だった。
まさしくそんな暮らしをしている自分。
家、食べ物、お金…
ただ、それらは目に見えるものの比較
それなら目に見えないものはどうなのか?
見えるから比較してしまうけど
見えないものも劣っているのか?
負け惜しみかもしれないけれど目に見えないものは豊かであると、そしてそれが幸せの物差しなのだと思いたい。
幸せとは
見えないものの豊かさだと
お題『幸せとは』
幸せの形は各々違う。それはきっと、星の数ほど違いがあるのだろう。
そして私の幸せは、人生を享受し、悔い無く死を迎えることだろう。そして死ぬ間際に『楽しい人生だった』と本気で思うことだ。
良いことも悪いことも失敗も成功も山ほどある。それを全て楽しんだ上で、最後に笑うのだ。正に人生の勝者と言っても過言では無いのではないだろうか?
まあ冗談だが…細かなことを言えばもっと沢山出てくるだろう。欲深い人間な自覚はある。だから、敢えて一つ挙げるなら、悔いの無い人生を歩みたい。
それが私の幸せだ。
幸せとは
幸せとは、大切な人が隣りで笑っている事
幸せってなんだろう。
幸せの定義ってなんだろう。
生きていること?
友達と会えること?
美味しいご飯を食べれること?
好きなものが買えること?
健康に過ごせること?
幸せの感じ方は、人によって違うのかな。
幸せってなんだろう?って57になった今でも考えることがある。数年前、知人に「もっと幸せそうに笑いなよ」って言われたことがあって、私は〝これでも幸せだと思ってるんだけどな〟と言い返した。
そしたら知人は「幸せっていう感じが薄いように見えたから…」と返してきた。
でも幸せって、他人が決めることじゃないよね?
例えば、優しさというものは人によってイロもカタチも違うわけだけれども、それって〝優しさ〟は自分が成長するのと同じように自分で育てていく心なわけよね。
幸せの感じ方もその優しさのイロやカタチとシンクロしていると思うんだよね。つまり、幸せは自分の心次第。
もっと言えば、幸せというのは人それぞれの優しさが感受する自分の想いなんじゃないのかな?
……って、最近思うのよ。
テーマ/幸せとは
幸せとは?
バットから食う唐揚げ!
揚げたて~
待って、待って。
もうちょっと考えようか。
アメリカンドッグの串付近!
ガジガジ~
クリームソーダの氷付近!
シャリシャリ~
…うん、これ以上考えてもこの類いの羅列になるな。
こんなもんです。
(幸せとは)
『幸せとは』
「僕には生きている資格など無い。
ましてや幸せなど願ってはいけない。」
暗い部屋で俺は呟いた。
「あんた何してんの?」
俺はびっくりして振り返った。
「何だよ!文句あんのかよ!」
「いや、別に無いけどさ〜。そろそろそうゆうの
卒業したら?」
「そうゆうのって何だよ!別に良いだろ!」
俺は恥ずかしすぎて、声が裏返ってしまった。
「で、何の用だよ。冷やかしなら帰れ。」
「酷いじゃない!心配して来てやったのに。」
「何が心配してだよ。俺の事、馬鹿にしに来たんだろ」
「私があんたの厨二病直してあげる。私と付き合ってよ。」
「え、普通にいやだ。」
「……なんで?」
「だって、俺、そもそも厨二病じゃねーし。」
幸せとは
結局のところ独りよがりなわけで
自分がどう思うのか
人生の意味とか
不幸とか幸せとか
自分がどう感じるかだけのこと
満たされていても渇望することだってあるし
渇望し続けても満たされていることだってある
幸せでないときに
辛いことを辛いと面白がれたら
せめて
ちょっぴりひねくれた幸せ者になれるかもしれない
「幸せとは」
幸せとは
死なないことだよ
死んだら幸せは味わえないから
幸せとは。
個人的に
感じるのは、
この世に生を受けた
この瞬間。
生 死
全てに
平等に与えられる
宿命。
人は
感情と言う物が
特に強く
人生において
人との関わりが
少なからずある。
その中で
悩み
苦しみ
喜び
悲しみ
怒り
100人いれば
100通り。
違っていて
当たり前。
関わる
全てに
自身はどう感じ
受け止めるか?
投げ出したい事も、
様々。
総合的に
観察すると、
その瞬間でさえ
乗り越えようとする姿。
前進しても、
後退しても、
自分の
あるがまま
その瞬間が
幸せではないか?
と
思う。
プラスもマイナスも、
全て自分の
幸せに向かう、
幸せと気づく為の
今
なのだと思う。
滑らかな肌だった。唇で感じで冬の冷たい香りが頭に広がる。どんな甘菓子よりもあまくて、どんなワインよりも芳しい。
少しずつキスをして胸の内に広がる幸福は感じたことがない。君が祝福にあやかりますよう。享受すべき優しさが余すことなくその身にありますように。
僕と君の幸せが必ずしも一致するとは限らなかった……
僕の好きな人は君で
でも君が想う人は僕ではない他の誰かで
『幸せとは』2024,01,05
日常が普通に生活が
出来て その過ごすなかで
汗癖とあれこれ迷いもなく
悩みもなく
愛で満たされているとき
幸せとは
幸せとは、という歌詞の曲があった気がする。
大切な人に降りふかった雨に傘を差せることだ、って。
自殺未遂をしたとき、駆けつけてくれた人がいた。
救急車を呼び、万が一の場合を周りに知らせ、病院まで車を走らせて会いに来てくれた。
自殺未遂をしたとき、その知らせに震えて、泣いてくれた人がいた。
そのとき、自分は、明らかに、大切な人に降りかかる雨だった。
運良く命が助かった。そのことを、その人たちがどんなに喜んだか。
その喜びに、自分がどんなに驚いたか、その人たちは知らない。
生きようとする意志は案外脆い。
その気がなければ生きられない。
毎日何かが降りかかっては去ってゆき、晴れ間をもたらすかと思えばそこから灼熱の光が差し込んできたりする。
ずぶ濡れになりながら、焼け焦げるようなにおいを放ちながら、それでも生きようとすることは、どれほど過酷なものだろう。
その中で希望があるとするなら、幸せがあるとするなら、それはきっと、瞬きほどのささやかなものでしかないだろう。
音もなく、香りもなく、している意識もなく。
でもそのことの、どんなにか尊いことだろう。
幸せとは、その尊さに気付くことだ。
(BGM:「瞬き」back number)
幸せ
しあわせ
シアワセ。
幸せになる権利がある、だとか
幸せにする、幸せになろうだとか
心を満たす行為=幸せ
何気なく見てた花が咲いたり
食事がおいしかったり
いい香りのするアロマをみつけたり
そんなので、よかったはず。
人と関わってしまうと、そうもいかなくて
ふとした時に自分は本当に何も無い。
何がしたいかと問うても【わからない】
なにかになれたら違ったのだろうかと考える。
でもきっとそのときもまた
これでいいのだろうか、と認められないのだろうな。
刷り込みのように
幸せにならなくてはと思い込まされているんだ。
直しようが、無い。
幸せについて、いくら考えても答えは出ない。