『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
おめでとう、おめでとうごさいます。
今日はたくさんの人に言われるこの言葉。
まだ成人って言われても実感湧かないな。
子供って言われたら
大人だって言いたくなるけど
大人って言われたら
まだ子供だって言ってしまう。
子供のように自由でいたいけど
大人のようにかっこいい人になりたい。
─────『子供のように』
子供のように、なにも考えずに生きたいな。
みんなと笑ってすべて一生懸命に頑張りたい
子供のように
ある日の夜、
桜が咲き乱れる街並みの中
家屋の屋根の上を飛び回る
御用だ御用だと提灯を持った男たちが、街を歩く人々をかき分けて走っていく
しっかりとした正装を着た人は避けたくても避けれず、着物に足を取られ、転ぶ人が多々見られた
私は軽やかな足取りで、颯爽と走る
屋根を渡り、時に街に降り、クルクルと回りながら笑って走る
子供のように
❴子供のように❵
子供のように明るく元気な貴方に
私は心を奪われた、、
花が、咲いては枯れ、また咲いては枯れる
そんな花のように、貴方は笑顔になったり
悲しんだり、、
そしてまた、立ち上がり
笑顔になる、、、
そんな貴方を守り続けたくて
私の、
❨命の灯火が消えるまで、、、❩
ガーデンが枯れるまで、、、
参考にした曲
【花は咲いては枯れ】
※曲名間違ってたらすみません
子供のように向こう見ずで何かに取り組むことが減った。
傷つくということへの抵抗感が増したのだろう。
R指定も傷が癒える速度は遅くなるばかりって言ってたし。
キズぐすり買い込んで、挑戦してみようかな。
経済力は大人の強み!
(子供のように)
子供の頃はあんな無邪気に走り回っていたんだ
今は走り回る元気さえ無い
子供の頃に戻りたいな…
三件の営業を終えた頃には、もう空が赤くなっていた。それでも会社の終業時間までだいぶある。忙しなく移動した一日だったが、速やかに片付けば社内にいるより早く帰れるというのが営業のメリットだ。直帰という概念を作った先人に感謝したい。
念のため会社に連絡をして許可を取る。ただここは普段は来ない郊外の町。電車で戻る頃にはいい時間になっているか。
さっき軽食を摂った喫茶店の横を通ってその思い出に浸りつつ、帰路に着いた。
部屋に入ると同居人はすでに帰宅していた。私が営業で帰りの時間が読めなかったため、夕食当番は同居人がやることになっていた。
ただいま、と声を掛けると、キッチンから包丁を持ったまま駆け寄ってくる。
「おかえり〜!ねえ聞いて!聞いて!」
そのまま抱きついて来そうな勢いだったのを両手で制す。
「危ない!包丁!危ないから!」
相手は学校であったことを聞いてほしい子供のように無邪気に両腕をパタパタしている。
包丁、包丁。
とりあえずまな板の上に包丁を安置させて、話を聞く体制を整えた。キッチンの状況からして今夜はカツオのカルパッチョのようだ。割と手の込んだものを作りたがる。
「この前、コンペに出すデザインの話したじゃん、在宅のときに作ったやつ」
「あの失敗したって話してたやつか」
描き直しを食らったから夕飯を作れないって言われた日だ。よく覚えている。
「そう!それの結果が今日連絡来て。私のデザインが採用されたの!すごいでしょ!」
「そうか、やったね。おめでとう」
内情を知っているからか、自分のことのように嬉しい。
「しかもその案が、私が暴走して作って上司に怒られたヤツだったの!」
二人一緒になって笑う。
「上司がその案もちゃんと送ってくれてて。あの上司いいトコあんのよ」
「あれ、確かコルトレーンを聴きながら描いたデザインだろ?」
音楽を聴かなきゃ集中できないと、私のレコードを勝手に物色して引き当てたらしい。
「そうなの!しかも先方がね、『このデザインからはJAZZを感じる。このデザインにはマイルス・デイビスの血が流れている』って!」
二人は声を合わせた。
「惜しい〜!」
子どものように
友人が飲みに誘ってくれた。励ましにと。
もっと良い人に会えるって。
うん……。
ほらほら、今日は奢るから。いっぱい呑みなさい。
ありがとう。
次の日の朝。案の定、二日酔い。気分は最悪だった。が、頭の方は妙に冴えていた。
君とは合わない。実は最初の方から思ってた。
彼の言葉が頭のなかで何度もリピートする。最初から、なんて言われたら、私の何が悪かったのかわからない。
子どものように泣けたらいいのに。そしたら今よりはスッキリしたかもしれない。
でも泣けなかった。大人になって強くなったせいだ。つらいけど、今日も明日も立てる。成長の証。
でもそれはそれでつらいものがある。恋愛への情熱が薄れていく気がして。
あ~あ。生きるって大変だなあ。
久しぶりに釣りに行きたいな、釣って捌いて食べたい。久しぶりに行軍に行きたいな、疲れて喉が渇いて辛いのに、そこに生を感じて明日の糧としたい。
今日は疲れたから休みの日でいいか。休みはまったり惰眠を貪りたいから、気が向けば次の休みにしようか。朝から酒を飲みたいし、映画鑑賞に耽るつもりだったから明日でいいか。明日から仕事だし、体力を温存しておくか。
大人になると、とにかく時間を無駄にする。ただただ無意味で無意義に、限りある時間をドブに捨てる。いまこの時は、もう二度と訪れることの無い瞬間であるということを忘れて無秩序に時間を貪る。
歳を重ねることは理解をしていても実感をするのは、凡そ自分に出来ることの数が減った時、そして可能性を自ら過小評価 したときだ。どんな挑戦も、学びも、趣味も遊びも、歳の数に関係なく無限大の可能性がある。そして、それは誰にも当てはまる。
言い訳をするのは簡単で、人は言い訳のためなら無意識に時間を割けるものだ。なんら価値のない時間にこそ人は無意識に時間を注ぐが、これにいち早く気づくことができた時、無限の価値と可能性を見出すことができる。
難しいことでは無い、やればいいだけだ。休みの日、ダラダラといつまでも寝たいものだ。しかし、休みの日こそ普段よりも早く起きよう。何気ない日常に強い変化を感じることができる。散歩へ出かけるもよし、何も考えずコーヒーを飲むも、茶を飲むも良し。身支度を済ませ、シャキリと目を冷ましたならば思い思いのことに時間を活用してみよう。これまでの怠惰に時間を捨てたことを悔やみ、これからは何でもやれると意欲が高まるのを感じるだろう。
眠ければ、小一時間の昼寝を楽しみにして過ごせばいい。早朝からやれるだけのことをやれば、その充実感と達成感は心に余裕と幸福感をもたらしてくれる。そして、それらのあとに昼寝をすれば惰眠を貪るのとは違う格別なひと時を体感することができるだろう。
平日に言い訳をするなら、休日こそ真剣に自分と向き合おう。平日に時間が取れないなら、休日こそ朝早く起きてでも無理やりに時間と意欲を注ごう。休日の趣味の疲れは、仕事へ悪影響与えることは無い。充実感や降伏感、、爽快感も得られるならば週明けの活力になるだろう。
休日こそ全力で休みたいのなら、朝早く起きて掃除や炊事、なんでもいいから早めに片付けてしまえ。驚くほど休みを長く感じるぞ。きっと、それを繰り返していくうちに暇を持て余し、高まった意欲は新しい活動へと自分自身を向かわせてくれるだろう。誰しも目の前には幾つもの扉が、或いは道が開けている。でも、それは自ら見ようとしなければ見えやしない。見えた時、どれを選ぼうとせずとも迷うことなく興味と関心のままに歩み始めているはずだ。
何をしてもいい、どんな過ごし方をしてもいい。どんな生き方も自由で、どのように歩いていくのかも選べるのだ。しかし、決して限りある人生を無駄にしてしまうようなことは避けなければならない。いつの日か、しておけば良かったと悔いるような生き方は避けなければならない。いつだって、何度だってチャレンジはできる。けれど、若かりし頃と年老いた頃とでは可能性こそあれど難易度が上がり、ハードルは高くなり、幅も狭まる。
やってできないことは無い、やればやっただけの価値がある。しかし、やって得られる成果はどれだけ活力を注ぐことが出来たのかによって変化する。活力は誰もが持つが、身体は確実に老いる。酸化防止に、老衰防止に食事を見直しても運動を継続しても体の中の細胞は確実に老いて役目を果たして終わっていく。人の体はその果てにあるのだから仕方の無いことだが、気力と活力で如何にできることに全力を注ぐかで最期の時に得られるものは変わる。
どんな人にも、幾つの人にも時間は平等に流れる。けれど、終の瞬間は皆違う。それがいつなのか、どのような形で訪れるのかなど誰にも分からない。なれば今を無駄にすることなく、流れる一秒一秒に心血を注がなければ、必ず後悔をする時が来る。
幸せに生を謳歌したいのなら、子供のように無邪気に今を生きなければならない。大人は生きていくために、誰かを守るために、養うために仕事をして稼ぎを得なければならない。子供のようには生きられないと感じるだろう、だから休日こそ満喫しよう。充実させようと努力しよう。
子供の頃に、今ほどあれこれ考えて生きていた人は多くは無い。けれど、将来の夢や目標のために全力だった人はとても多い。
大人は要らぬことに頭を使い、要らぬことに耳を傾け、要らぬことに心を壊す。
子供のように行きなさい。私もそうあろうと決めたのだ、生きやすさは自らの手で作り、掴み取らなければならない。
幸せは大それたことではない、ほんの少しの変化から生み出す価値のあるものに過ぎない。
難しいことでは無い。
やってみよう、これから一緒に。
子供のように一生懸命遊んで泣いて、笑って過ごす。無邪気なあの頃が懐かしい。忘れてはいけない思い出。大人になってから、悪い人に憧れるようになってしまったので、子供の頃に勇気を貰ったヒーローを尊敬したい。
No.148『子供のように』
子供のように無邪気でいられたら、こんな思いしなくて済んだのかなあ?
死にたい、なんて考えずにいられたかなあ?
#子供のように
何だか眠りが浅くなった。
寝つきはまあ良いとして、ちょっとした物音で目が覚めるし、起きたら頭がボーッとしてる。
たくさん寝たら寝たで体が痛くなる。
子供のように眠ってみたいな。
今日のことも明日のことも考えないで、電池切れみたいにストンと眠りに落ちて、朝までぐっすり寝ていたい。
そしてパッと目覚めて、元気に布団から飛び出したい。
真っ白に純粋な子どもがいた。
大人たちはその子の無垢な姿に魅了され、彼を芸術作品へと昇華させようと集まってきた。
美しいまんまる球を造り出そうと、彼を中心に据えて人々はその周りを囲んだ。
彼の周りに集まることで自分たちの不足や欠落を補えると信じたのだ。
球はどんどん膨れあがり、
完璧な形へと近付こうとした。
しかしその子は少しずつ変化していく。
人々の不完全を埋めるたびに、彼自身の無垢さは完全から遠ざかってしまうのだ。
無秩序から秩序を生み出すのは容易ではない。
球は次第に混沌としていった。
結局のところ、形成された球体は、まるで子どもが無邪気に転がすボールのように、自由に道を行くのだった。
「子どものように」
子供のように
子供のように何かを汚した
子供のように何かを壊した
子供のように何かの命を奪った
子供のように汚れた
子供のように壊れた
子供のように奪われた
子供のように全てが奪われた
子供のような全てがコワレタ
子供のように
子供のように燥ぐ君を見て微笑ましい様な
羨ましい様な気持ちになる
そりゃあ いつまでも子供のままで居られ無いのは分かってる
けれどふと何かに追われていると
あの頃の無邪気で無鉄砲で怖い物知らずで
楽しいと言う気持ちだけが自分を動かす
原動力だったあの頃が一番無敵だったのでは無いかと思う
なんて公園で無邪気に子供と全力で遊ぶ
君の姿を見ているとあの頃の自分も其処に
混ざって一緒に追い掛けっこをしている
幻が浮かぶ
その内シャツを汗だくにして僕が座っているベンチの隣に腰掛けて君は言う
「いやあ~やっぱりちょっと動くだけで
疲れるわ~年かなあ」とTシャツの襟の近くを持ち上げてパタパタさせて首元に風を
送りながら君がそんな事を言うから
思わずさっきまでの子供の様な君の姿の
ギャップと相まって僕は笑いが込み上げてきて大きな声でくすくすと笑ってしまった
君は、首を傾げて「何~笑ってんだよ!」と聞いて来たけど僕は笑いが収まるまで
説明することが出来なかった
僕の笑いが収まるまで君は、頭に疑問符を
浮かべ首を傾げ続けていた。
あ 走りたい
い は?
あ 海来たしさ
い あのね…
あ で、夕日に叫ぶ
い そんな漫画みたいな
あ 漫画でも良いの
い …
あ せっかくだもん
『子供のように』
「好き」
貴方が好き。
公園で走り回る貴方が好き。
UFOキャッチャーで苦戦する貴方が好き。
雨が降らないようにてるてる坊主を作る貴方が好き。
いつでもどこでも手を繋いでくる貴方が好き。
赤ちゃんみたいに暖かい貴方が好き。
大人になった今でも
子供のように遊び
子供のように笑う
そんな貴方が好きで好きでたまらない。
テーマ:子供のように
※創作
子供のように、素直で、無邪気な頃は、本当に世界の中心にいたような気がしていた
それが井の中の蛙というものなのか
でもその無鉄砲さと、それから準ずる自己肯定力の高さは今でも目を見張るものがあった
ああ、あの頃は楽しかった
そんな懐旧の感情は、その無鉄砲さから生じるものなのだろう
子供のように泣いて
子供のように笑って
子供のように怒って
子供のように楽しんで
子供のように「今」を生きたい
「子供のように」
子供のように
いつまでも子供じゃないのよ?ってお母さんに言われたことがある。いつまでも子供じゃない、つまり成長しなきゃいけないって事。お母さんにそう言われてから、いつまでも子供のように甘えられるわけではないんだなと強く感じた。
でも、もしいつまでも子供のままでいられたらどうだろう?ずっと親に甘えられるってそう思う人もいるかも知れないけれど私はそうは思わない。いつまでも子供のままでいられるのは、嬉しい反面いつまでも独り立ち出来ないという事だから。つまり親に大変な思いをさせてしまうという事になるのだ。
私は、いつまでも子供じゃないのよ?って言われてから少しずつ自立できるように頑張ろうと思うようになった。そして親に沢山迷惑をかけてしまった分ちゃんと親孝行をして恩返しをしようと思う。