『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
こどもみたいに
子に返れたら
ありのままで
無邪気に
思うままに
いられる
大人は
仕事に追われ
育児に終われ
生きるのに
精一杯
子の頃なんて
なかったように
子を見ると
なぜか
笑みが溢れる
嗚呼
なんて
無邪気なんだろう
子にもう一度
返れたら
思いっきり
羽を伸ばしたい
羽ばたけるぐらいに
子供のように
ずっと見詰めてきた、
近くて遠い貴方。
こんなに側に居るのに、
手の届かない二人の距離。
貴方の胸に顔を埋め、
子供の様に、
声を上げて泣けたなら。
貴方の首元に抱き付き、
子供の様に、
素直に甘えられたなら。
貴方の瞳を見詰めて、
子供の様に、
はっきり好きと言えたなら。
私はどんなに満たされるでしょう?
そんな願いは、
心の奥に仕舞い込み、
鍵を掛けて。
私は、ただ。
只の友人として、
静かに微笑むのです。
今はまだ高校生だけど大人になったら子供だった頃に戻りたいなんて思うのかな。今は早く大人になりたくて、自由に1人で生きたいなんて大人ぶっているけど実際一人暮らしなんて到底出来なさそうだし、大人の方がむしろ自由なんてないのかもしれない。高校生の今でさえ中学生のときは楽しかったななんて思う時があるからきっと大人になったら高校生は楽しかったなって思うんだろうな。もし世界中の人に大人の方がいいか子供の方がいいかアンケートを取ったらどっちのが多くなるんだろう。
泣けない
大人になると感情にふたをするから
本当の自分の気持ちがわからなくなる
好きなの?嫌いなの?
答えは簡単なのに それすらわからない
「子供のように」
小さい頃は、早く大人になりたかった。小学生の時、自己紹介カードの『今いちばんほしいもの』の欄に『年齢』となんとも可愛くない答えを書いたのをよく覚えている。とにかく自由が欲しかった。自分の力だけでは何もできないのがもどかしかった。一人でできないのが悔しかった。だからなんでもできる大人になりたかった。今思うとなんと浅はかで愚かで、まっすぐな願いだろうか。絵に描いたような子供像で、未来を夢見る子供らしい子供だったのだ、私も。あの頃の私は、今の、大人にも子供にもなりきれない私を見たらどう思うだろうか。確かにあの頃より自由は手に入ったかもしれない。やりたいことを自分の力でできるようになった。だけど同時に、不自由も手に入れた。勉強、部活、進路、友人関係。やりたいことをやれない理由を、今の私はたくさん見つけてしまった。周りの友人たちは口を揃えて「小学校の頃に戻りたい」という。子供は大人に憧れて、大人は子供になりたがる。よく聞く話だが、どうしようもない。今を精一杯生きるしかないのだ。と、そんななんの足しにもならない結論を、滑り台の頂上で考える。大人でも子供でもない現在の私は今、公園で遊んでいる。子供のように。もちろん滑り台も正規ルートではなく滑る方から登った。ブランコも思いっきり立ち漕ぎしたし、あのよく分からないびよんびよんする乗り物も堪能した。違うのは今が一人で、学校帰りで、すっかり暗くなった夜の10時半だということか。あの頃の門限は確か17時、これ以上ないほど破っている。これが成長して手に入れた自由か。だとしても、私は。
「大人になんか、なりたくない」
子供のように
大人になると
思うように泣けなくなる
人目とか 体面とか プライドとか
余計なものが邪魔をして
心をさらけ出すのが難しくなってくる
『泣きたいときに 泣いておけばよかった』
歳を取ると
思うように泣けなくなる
痛みとか 苦しみとか 別れとか
そんなものに慣れてしまって
心は柔らかさを失い麻痺してしまった
『泣きたいときに 泣いておいた方がいい』
子供のように泣きじゃくる
そんな大人を かっこ悪いとは思わない
いつまでも無くさず この胸に
子供のように、無邪気に
笑えたのはいつまでだっただろうか。
子供のように、純粋に
夢を追えたのはいつまでだっただろうか。
いつの間にか大人になって、過ぎゆく日々をただ見送って
その身を繰って、働いて、眠って、働いて。
生きることは、あの頃想像していたより遥かに難しく
目指していた場所はあまりにも遠く。
それでも生きることはやめられず、日々足掻く。
そんな人々に、自分に、どうか多くの幸いを。
テーマ『子供のように』
─子供のように─
彼女はよく笑う子だった
嬉しいとき
楽しいとき
悲しいとき
辛いとき
死んでしまいたくなるとき
君はいつも、笑ってた
「…どうして笑うの?」
幼い僕はそんなことを聞いたことがあった。
人には聞かれたくないことがあるって、
理解していなかった。
「私が笑うと、みんなも笑うから」
「笑うと本当に楽しく思えてくるから」
「笑っていないと、耐えられないから…」
齢7歳、僕と5つ離れた彼女。
泣き顔が相応の幼子の頃から、面倒を見てきた。
泣いたことがない子だった。
ぽつぽつと言葉を溢す彼女の瞳は、
キラキラと光る液体で溢れていた。
──────────
あれから10年。
17歳になった彼女は、今でもよく笑う。
子供のように笑う。
それと、たまに泣く。
みんな、子供みたいだというけれど、
僕は君がやっと子供になれたのだと、
喜ばしく思うよ。
今の君には、受け入れてくれる友達がいる。
歳は5歳しか違わないけれど、
なんだか、娘を送り出す父親みたいな気分。
友人達に囲まれた彼女の笑顔は、
あの頃の笑顔よりも、ずっとずっと綺麗だ。
仮面ライダーとか妖怪ウォッチとかフォートナイトとかが好きで少年心を忘れないJKらしからぬ私だけど、それも私の個性!子供みたいとか悪い意味で使われがちだけど、子供のようにはしゃいで遊ぶのが結局一番楽しいし、無理に大人ぶる必要なし!
大人になれば自由が手に入ると思っていた
やりたいことを見つけてそのために努力して
それなりに幸せな人生を歩む
けれどそれは決して簡単なことではなくて
うまくできなかった人間もいて
今も変わらず子供のように
あの頃のまま成長できずにいる
どんなに心が子供でも、割り切っていれば十分大人。
苦しいときのおまじない。
子どものままではいられない
たとえ大人になりきれなくとも
大きくなった背中のぶんだけ
背負える物が増えたよねと
まだ小さい背中に
大きな荷物が重なって
まるで大きな背中みたい
まるで、大人になったみたい
【子供のように】
子供のよな純粋な心を持った人と出会えう可能性は
とてつもなく低いんだ
それは天使のように思えるけど
共にするとやはり子供といるかのように疲れちゃうみたい🐬('-'🐬)イルカチャン
そのひとりが私
…トホホ( ×ω× ;)
︰子供のように
手を繋いでくれたのではなく、私が手を握った。握り返してくれたことを「繋いでくれた」と認識していた。
早朝散歩に出かけた。カーディガンを羽織らないとくしゃみが出るくらいには寒くて、空は澄んでいた。気温の確認の為スマホを見つめる私の横顔を、貴方に撮られていた気がする。構わなかった。
私が貴方の後ろ姿を写真に残しておきたいと思う気持ちと、きっと似ているだろうから。
久々に母校の小学校を見た。貴方は指を指しながら、靴箱の渡り廊下、6年生の頃使った教室、よく夢に出てくるんだと教えてくれた。あそこは何だったけとか、ここって塀がなかったっけと、まるで記憶をすり合わせるような会話に、この人は私と「一緒」が好きなんだろうか、とやはり思った。前々からのその節がある、ような気がしている。
「私の学年は諸事情あって一番上の階が教室になったことないよ、あの部屋景色が良いって話だったのに見れなくてちょっと恨んでるかも」と不貞腐れながら言うと「そうだったそうだった」と貴方は笑った。
しばらく歩いて、歩いて、歩き疲れて「歩くの早いよお」と文句を言った。昔から歩くペースが違っていて、いつも私が早歩きして追いかけていた。貴方は私に合わせる気がないということをもう流石に知っているけれど、ペースを合わせてくれないところがやっぱり少し不満であったりもする。それでも置いて行かれたくないからなんとか手を握って先に行かないでと、ヘトヘトになりながら言うのだ。
それに「もう帰る?」という言葉に「帰らない」と返したのは私である。だって帰りたくなさそうに言うから、と少し貴方のせいだと思っているのは秘密。
パン屋さんに着いて、朝食を選ぶ。あれもこれも美味しそうだと言いながらたくさん買って、レシートを見て、値段の安さに驚愕しながら公園のベンチへと向う。階段と坂を登って、丘の上のベンチに腰掛ける。生まれ育った町を見下ろせるこの場所は、なんとも言えない気持ちになる。寂しいような、懐かしいような、楽しいような。
パンを広げて写真を撮って「ここいいね」「天気よくて良かったね」と言いながら、パンの袋を開ける。焼きたてパンの香ばしさは食欲をそそる。かぶりついて、時々はんぶんこして、頬張る。8時になると太陽が本格的に昇ってきて、輝かしい1日がスタートとした、なんて実感がするけど、自分らはもう3時間前には活動してるんだよな、とか、きっとどうでもいいことを思ったり「太陽眩しい」なんて当たり前のことを口にしたり。
「眩しいね」「美味しいね」「景色いいね」「山の上ってやっぱちょっと冷えてるね」なんて、他愛のない会話というのが、なんだか久しい。歳を重ねれば重ねるほど減っていたような気がする。
一緒が好きなのはきっと私だ。誰かとただ何かを共有していたいという、真っ直ぐな思い。なるべく目を逸らしていた繋がりというもの。子供の頃はこんなふうに、毎日なんてことない出来事で笑ったりはしゃいだりしていた気がする。なんてことないと思っていたこういうことが大事で、必要で。子供のようにとか、大人のようにとか、そんなのもきっとどうでもよくて。
貴方と手を繋げたら、またパンを食べられたら、それで十分、
『子供のように』
子供のように、何も考えず遊べたら
あの頃ように何も知らなければ
私は子供の気持ちを抱えながら大人になり損ねた
被団協のノーベル平和賞
最近は日本国内良い話題がなかったですよね
ステキな事だからジーンとしました
生き馬の目を抜く昨今…
また選挙が始まる…
欲まみれの既存に…
審判が下る時かもね…
今度の選挙にノーベル平和賞は大きな影響が有ると思う
政治家は武器輸出容認してる
知らないうちに戦争に国民を加担させてる
社会の荒波にもまれて早数年。本音を隠し建前や嘘の仮面を被りながら生活をしている。最近少し肌寒さを感じる季節になり、またひとつ季節が巡ったのかと時の速さを痛感しながらふと茜の空を見た。
なんだか急に子供の時のように体裁もなく思いっきりなきたくなった。
子どものように、なんて言っちゃうのは…
もう子どもではないって事なんだよねー。
20241014「子どものように」
一方通行
きっと私の心は壊れてしまったのだろう。
辛いことがありすぎたから。
でも、
逃れる術はない。
ただ、黙って嵐が過ぎ去るのを待つのみ。
わかっている。
でも、
だけれども、
痛くて苦しいのは変わらないし、
自分の心を保つほど私は強くないし、
涙が零れ落ちる。
こんなに息が苦しいのに。
誰も助けてくれない。
「それはアナタが表に出さないからでしょう?」
うるさいな。
あなたは頼れるような人じゃない。
きっと、泣いても、怒っても、叫んで、狂ったとしても。
助けてくれないでしょう?
ここまで考えてしまう私は惨めだ。
子供のような素直な気持ちをすててしまったのだから。
もう、戻れなどしない。
子供のように
「子供のように」
君は、子供のようにはしゃいで楽しそうにして、海辺で砂の城を作っていた。
君がバッと顔を上げ、僕の方を見た。
「ねぇー!完成したよー!見てー!」
君が僕を呼んだ。
僕は、君のそばに行き、砂の城を見た。
「すごいね」
僕が褒めると君は、笑顔になった。
「ありがとう!褒めてもらって凄く嬉しい!」と君は、言って喜んでいた。
いつの間にか、僕も笑顔になって、たまには、海に来て、遊ぶのも悪くないな。君の笑顔が見れて良かったと僕は、君の隣で海を見ながらそう思った。