『子供のままで』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私には2人の娘がいる。
主人には、幼くして亡くなった兄と姉がいた…
結婚して1年が過ぎた頃、不思議な夢をみた…深い霧が立ち込めた真っ白い空間…
そこに亡くなった当時の「子供のままで」
兄と姉が現れた…穏やかに微笑んでいる。
2人は私にこう言った…
「今度、生まれ変わりますからよろしく」
その後、2人の娘が誕生した。
長女は、成長するほどに亡き姉に生き写しになり周りを驚かせた…
兄は、個性的でちょっとオタクな次女になったようだ…
たかが夢…私はそうは思わない。
短命だった前世から、弟夫婦の所を選んで
戻って来た2人…
今度は前に出来なかった、色々な経験をして欲しい…
今の所、穏やかとは言えない波乱万丈な人生を送っている…
ちょっとやり過ぎな傾向にある(笑)
2人の娘たちには、常々話して育ててきた
「1日1日を大切に生きて欲しい」と…
そして何より長生きして欲しい。
この人生が幸せだったと感じてくれたら、私の役目は果たされる…
子供のままで
私たちは、いつまでが「子ども」でいられるのか。
この世には、子供を大人にさせてしまう現象がある。
ヤングケアラー。
想像できるだろうか。
小学生、幼稚園児、もしかしたらそれ以下の年齢で
「大人の手をわずらわせない子ども」
であるとともに
「家族のお世話をする子ども」
に、なっている子どもが多いことを。
私は、幼稚園を卒業する頃には、とっくに自分の髪を自分で結べるようになっていた。
小学生で、兄の送迎バスの迎えに出向いていた。
「自分でできるもん」
それが、私の幼いころからの、自立心。
そこに加えて。
兄妹は「兄」なのだが、まるで「弟」のように、扱っていた。
でも、本来は「子供」なのだ。
本当は大人に甘えたいし、自分のことを見てほしい。身も心も、子供のままでいたい。
でも、何らかの理由で、そう有れなかった。
これらはきっと、氷山の一角でしかない。
――闇は、もっともっと、深いところにある。
あなたの成長が嬉しい反面、何も知らない子どものままでいてほしいと思う私はわがままね。
いつの間にか
背中の羽は抜け落ちて
空想の世界は狭まり
現実的な日常生活に
追われるうちに
夢を追いかけることも
忘れてしまう
世間に多少の違和感を感じても
大抵の事には妥協して
目立たぬように自衛する
そんな大人になってしまっても
瑞々しく柔らかな子供心を
少しでも保存して
感動する心
感動できる心は
いつまでも失わずにいよう
# 子供のままで
恋なんて
悪意なんて
何も知らない
子供のままで
いられたら
『子供のままで』
上京してから早10数年。
仕事が上手く行き昇格し何人もの部下を持つ立場になった私だが、突然何もかもが上手くいかなくなった。
挫けかけた心を持ちながらフラフラと自宅へと帰る帰り道。
数年同棲していた彼氏の浮気を知りこの前極めて「円満」に別れる事が出来てから引っ越したりしてたら気が付いたら30歳手前。結婚相談所やらアプリやらに手を伸ばしても何も成果は得られず。
キンキンに冷やした缶ビール片手に深夜のつまらないテレビを見ながら死んだ様に眠るのが日課になった。
疲れた体を懸命に動かしながら、フと聞こえてきた音に少しだけ顔を上げる。
何だろう。
やたらとその音が気になり初め無意識のまま足を進める事数分。1人の青年が無観客の中静かにギター片手に地面に座りながら演奏をしていたのだ。
チラチラと青年を見る通行人達。されどもその足は止まること無くそれぞれの帰路へと急ぐ中、何故かその「音」に鷲掴みにされ気が付いたら青年の真ん前。特等席に座っていた。
「……お姉さん、歌ってよ。」
「…………え、お姉さんって……え?私?」
突然話しかけられた。
それでもギターを弾く手は止まらない。
ゆっくりとこちらを見た青年はニッと笑うと、数年前に流行り出した曲を弾き始めた。無名の曲から人気曲へと変わった途端数人が興味深そうに足を止め始める。
青年はそれでも歌わずに「ほら」と良い、戸惑いアワアワとし出す私に
「お姉さん、楽しもうよ。」
と、声をかけた。
目を見開く私。
自然と動き始めた口。
「楽しさ」や「辛さ」そして「未来」を綴ったその歌詞は老若男女を惹き付ける。
初めは小さかった歌声だけど、リードする様に支えてくれたギターの音に安心感を覚え声を大きくする。
この場所に少しずつ広がりやがてそれは大きな波紋を生み出した。
ジャケットとカバンを地面に置いて思うままに声を出す。
学生だった頃に少しだけやってたバンドサークルを思い出す。あの頃は何もかもが楽しくて仕方なくて自分は将来音楽関係の仕事に就くのだとばかり思っていた。
夢で溢れてたのだ。
まぁ、人生山あり谷あり様々な事が起こる。
音楽関係の仕事をしていない事が何よりの証拠だし、あの日を境に歌う事が怖くなってしまってから音楽とは無縁だったけど今、何故か歌っている。
歌えているのだ。
「お姉さん、大丈夫?」
1曲が終わりギターが最後の音を鳴らした。
ハァハァと荒く息を吐きながら最後まで歌いきった私はポロポロとその場で涙を流していた。
青年の心配そうな声だが突然背後から聞こえた歓声に2人はビクッと肩を揺らす。
恐る恐る後ろを見た私はいつの間にか集まっていた人集りに何事かと思っていると、少し下から青年の「楽しかった?」という質問に思わず口元を弧にして「最高」と笑顔を浮かべた。
まぁ、アンコールの声援の途中で巡回していた警察の方に注意を受けてそそくさと流れる様に解散してしまったのだが、ギターの青年に「こっちだよ」と手を引かれてやって来た公園に間隔をあけてベンチに座っていた。
「…………。」
「…………。」
無言。
気まずさが支配する。だけど、何故か嫌な感じはしない。公園の遊具からゆっくりと空を見上げる。
あれ?
「……最後に空を見上げたのいつだっかな。」
都会の眩い光に負けじと輝く空の星達。
いつも地面ばかり見ていつしか空さえ見なくなった事に大人の余裕の無さに苦笑いしか出なかった。
「俺は、まだ子供だけどさ。大人だって時には子供になってもいいんじゃないの?」
青年の柔らかな声。そちらを見る前に頬に触れた冷たい感触に缶のカルピスだと気が付き青年を見ると自販機を指さされた。流石にそこまでしてもらうのは大人としてどうなのかと思っていると「お礼だよ」と言われ首を傾げる。
お礼をするのはこちらなのに。
「俺ね、沢山失敗して明日実家に帰るんだよ。でも、最後に何でもいいから思い出残したくてあそこ行って弾いてたけどつまらなくて、帰ろうとしたけど……。お姉さん来てくれたから楽しかった。だから、お礼。ありがとうね。」
立ち上がる青年。
こんな時に何も言葉が出て来ない。
伸ばした手が青年の服を掴み、必死に訴えた。
「ち、が……お礼をするのは私だよ!何もかも失敗してダメだと思ってた。辞めようとも思ってた。でも、それじゃあダメなんだ。「あたし」に余裕が無かったんだもん!それじゃあ誰も着いてこない!独り善がりだった。何もかも!でも、ちがう、それは…………っ!」
「……沢山、頑張ったんだね。偉いね。」
支離滅裂な言葉に青年はポンと私の頭を撫でるとそのまま人好きの笑顔を浮かべて何も言わずに去っていった。
ポロリと流れた涙を拭い立ち上がり青年の背中に向かって「ありがとう!」と手を振り叫ぶ。片手を上げた青年。こちらは見ない。
何かが吹っ切れ再び空を見上げて「よし。」と笑う。
明日からはきっと、今までとは違くなる。
そんな予感がした。
「…………はぁ。アイツ俺に気が付かなかったのか。まー仕方ねぇか。お互い10年振りだもんな。」
「もー。次はウチがあの子に会いに行くんだから!ジャンケンで一人勝ちとか運よすぎ!」
「全く。皆さんご近所迷惑ですよ。それにしても、よく気が付きましたね。彼女が限界だったと。幼馴染だからです?」
「分かんね。何となくだよ。昔から何もかも1人で背負って潰されかけるんだ。息抜きさせなきゃダメんなる。学生時代もそーだった……あの事件だって全ての罪を自分だけのせいにして俺達を守ったんだ。分かるだろ?」
「……うん。後から知って驚いたもん。あの時何も出来なかったのが今でもウチの一番の後悔だよ。」
「そうですね、彼女1人に背負わせてしまった。それは僕達の罪でもあります。彼女は責任感が人一倍強く、自己犠牲精神旺盛な性格を知って居た筈なのに。」
「……あの歌声はもう枯らせねぇよ。今度は俺達がアイツを守る番だ。そうだろ?お前ら。」
「うん!今度こそあの子を守るよ!」
「ええ、そうですね。」
「もう二度と、1人で泣かせねぇよ。」
子供のままで
子供のままでいたいけれど、いられない。
だけれど、子供のままで大きくなってしまった人もいる。
満たされないで生きてきたのだろう。
少し可哀想で同情する。
大人になるということ(テーマ 子どものままで)
私はいつも子どものままで。
友達や家族、仕事仲間。
みんな分別をつけて大人になっていく。
*
私は、分別がつかない。
夢を諦めきれない。
何も手に入らなかったからこそ。
子どもも居ない、結婚もしていない。
親の介護と仕事しかない人生。
だからこそ、夢を諦めきれない。
*
『子どもはかわいいよ』『結婚はいいものだよ』
彼らは言う。でも同じ口でこんなことも言う。
『いつまで夢を見ているの?』『大人になれ』
大人とは何か?
*
例えば、ハローワークへ行き、したくない仕事を探し、面接で明るく振る舞い、『これがしたいです』と嘘をつき、めでたく就職して、毎日好きでない仕事をする。
我慢しながら。
例えば、結婚相談所や婚活サイトに登録し、明るい性格を偽装して、仕事の合間に知らなくて興味もない人とデートして、我慢して会話をして、めでたく結婚して、毎日好きでもない相手と暮らす。
我慢しながら。
これが大人なのか。
これが大人なら、何のために生きているのか。
*
子どもの頃は、『生きる希望』と言う袋の中には『未来』とか『夢』とか、よく分からないけれどキラキラしたものがあった。
大学生になり、社会人になり、多くの人は『生きる希望』の袋の中には『恋人』とか『子ども』が入る。そして、代わりに『未来』や『夢』が小さくなる。
そして、別の『生きるためにやること』という袋の中には、『仕事』とか『家事』とか『家族の面倒を見る』とか『親の介護』とかやることが数限りなく増えていく。
私は、『生きる希望』の袋の中には、新たな物が入らなかった。昔から居るけど、年々小さくなる『夢』と『未来』があるだけ。
一方、『生きるためにやること』袋の中は、他の人と変わらず、『仕事』とか『家事』とか『家族の面倒を見る』とか『親の介護』とかやることが増えていく。
だから、こっちの袋はなるべく増やしたくない。
『生きる希望』袋より『生きるためにやること』袋が重くなりすぎると、生きていたくなくなるから。
だから、『生きるためにやること』袋だけものを詰め込んでいくと、一見、もっともらしく、社会人しているように見える。
でも、それは「そう見える」だけで、実は『生きるためにやること』袋に好きでもないことを詰め込んで、生きがいの方は空っぽにしていて、人生を生きていくためのバランスを失ってしまっている。
*
『みんな我慢しているんだ』
いやいや、それはあなたの『生きる希望』袋に、バランスが取れるくらいの大きな物がいるからだ。
コンビニバイトに企業経営をやれと言っても、時給千円じゃやる人は居ない。
その時、『大人になれ』『みんなしている』と言われても、彼らは責任に応じた報酬(生きていく希望)をもらっている。
まともな報酬なしで、同じことはできない。
釣り合いが取れないから。
一生続く我慢が見えているから。
だから、『それ』をしないのだ。
子どものままで?
それは当然だ。
子どもの時よりも、『生きる希望』が減っているのだ。
我慢も尽きた。
体力も減った。
親は老いて介護が必要だ。
これ以上、『生きるためにやること』袋は重くできない。
人間がみな、マゾヒストではないのだ。
『子供のままで』
変わらぬ笑顔で此方を見詰める貴方に、
"でも私、それでも貴方が好きなのよ" と。
頬を濡らすのは、何度目か。
この世に生まれた事が、魂の修行であるとするならば。
目の前にある苦痛は、困難は、乗り越えるために予め用意されたものである。
生きることが未熟であるほどに、苦痛は、困難は、息も出来なくなるほどの強さで私たちを襲い、この命を奪っていくだろう。
死にたくないという、単純で脆弱な恐怖のために、
それ以上の凶悪なものと戦う意味はあるのだろうか?
乗り越えられると信じて立ち向かった先に、なにがあるのだろうか?
運が良ければ、見つけた宝箱の中身は満たされているだろう。
けれど、宝箱は有限だ。
生命はどこからともなく無限に湧いてくる。
次の時代を生きる者達のために、宝箱の中身を残しても、いつか無くなる。
どうせいつか無くなるのならと、全てを自分のものにする存在も、いつか必ず現れるだろう。
私たちの想像もつかないものは、この世には存在しないのだ。
もしかしたら、この中に悪いやつがいるかもしれないと、
集団の中で、たった1人そう考えた者がいれば、悪は必ず生まれている。
しかし、善も必ず生まれているだろう。
悪は、自分が悪では無いと騙すためによく喋る。
善は、悪などいないと考えるために、沈黙する。
だから悪が先に顕現する。
沈黙していた善が、それを認識して漸く口を開いても、既に混沌とした世界で耳を貸してくれる者はいない。
そして悪は、邪魔される前に善を淘汰する。
人々は、善は居ないと絶望するだろう。
そして、淘汰される前に己の善をも殺すのだ。
命を失うのを恐れ、魂の成長を辞めるのだ。
けれど、我々が魂の成長のために、この世に生を受けたと言うならば。この世に存在する意味など初めからない。
我々がここに、存在している事実がある。
我々は魂の成長を義務付けられてしまっている。
修行が辛いのは当たり前だ。
辞めたくなる、逃げたくなる、死にたくなる。
それを実行する度に、記憶を消され、この世に再び産み落とされる。
なんどでも。
ここで終わって、新しく生まれ変わる。
今得ている経験を信じて、この地獄を乗り越える。
どちらを選んでも、最終的に辿り着くところは1つだ。
苦しみを感じずに、幸せになりたいか?
苦しみを経験しなければ、幸せを感じられないかもしれない。
苦しみを抱きしめたまま、幸せを探し求めるか?
それは酷く険しい道だ。
けれど、私が抱きしめたいと思う子は、きっと後者だろう。
今まで苦しかっただろう、悲しかっただろう、頑張ったねと褒めて、抱きしめて、そうして、苦しみのない幸せを与えたいと考えるだろう。
あなた達は、私の抱擁を得るために、敢えて苦行を選んでいった。
私の元にいつ帰って来れるか分からない。
そんな不安も覚えることなく行ってしまった、未熟な魂達。
罪を背負ってしまった子は、中々戻ってきてはくれない。
会わせる顔がないと泣いている。
私はあなたが罪を犯した理由を知っている。
私の愛した魂を、あなた自身が愛せなかった。
私以外の誰も、あなたを愛してくれる人が居なかった。
ごめんなさい。
全て私が、未熟なままの魂を、引き止められないせい。
私は彼らのことも抱きしめなければいけない。
だけど、安心して。
私は、修行を終えた魂たちにの中から、あなたに相応しい子を選んで、あなたを迎えに行ってもらうから。
あなたたちはきっと惹かれあうでしょう。
二人で乗り越えておいで。
そうしたら、その苦しみは、もう我慢しなくていい。
自分の気持ちをぶつけて、喧嘩をして、苦痛や困難を抱きしめられるようになって。
そして、私の元へ、還っておいで。
立派な職業で、それなりの地位、収入を手に入れているあなたは、私の胸の中で眠ることが好きだった。
私も、あなたの髪を撫でながら眠ることが好きだった。
外の顔と私の前での顔が、全く違っていて。
時折おかしくて、そっと微笑んでいた。
大人とは?chatgptに聞いてみた。
「大人とは、一般的には成熟し責任を持つことができる人のことを指します。それは年齢だけでなく、行動や考え方、社会的な責任感なども含まれます」
年齢は関係無さそう。
今はもう、あなたは別の大切な人を見つけたみたいだけど。
やっぱり私は、あなたみたいに、私にだけ見せる顔がある人を探してしまう。
題:子供のままで
:子供のままで
じゃれつくようなついばむキスをした。くすぐったそうに小さく笑う無垢な顔と、ゆっくりと指を絡めキュッと握る手のチグハグさ。
を、感じた瞬間押し殺そうとした。だってこんな変な感覚はきっと体感しないほうがいい。
なのに、握り返してくる手が堪らなく嬉しいと思ってしまうから、どうしたら良いものか。
自分ではない何かが腹の底から湧き上がり登ってくる感覚がする。きっと今が境目なんだ。大人と子供の境目、動物と人間の境目。
なら、このままでいい。子供のままでいい。純粋で無垢でまっさらなまま、この愛おしさが欲に呑み込まれて消えてしまうことなく綺麗なまま終わりますように。どうかこのまま貴方だけが忘れてしまいますように。
「あんた、早くしなさい!」
母に布団を剝がされて、寝ぼけ眼をこすりながら体を起こす。
時計を見ると8時を過ぎている。
ああ、学校に遅刻しちゃうから急がないと、と思ったところではっと気づく。
あれ?俺はもう社会人じゃないないか?と。
そう思ったとたん、一気に眠りから覚めた。
昨日まではお盆休みで、久しぶりに母に会ったからこんな夢を見たに違いない。
今日から仕事がまた始まる。
このまま子供のままでも良かったのにな、と思ってしまった俺は、そろそろ転職を決意するべきなのかもしれない。
「子供のままで」
利用二日目にして「子供のままで」というお題が届いた。
周囲の子供たちを見てみると、庭で遊んでいたり、自転車を走らせてどこかに出掛けていたりする。
これらの様子は、普段の移動手段が徒歩である自身の観察からであった。
子供を観察していくうちにわかったことは、子供は遊ぶことが好きなのではないかと思う。
これを読んだ人は、転げる気持ちになったかもしれないが、あくまでも個人の率直な意見である。
しかし、この子たちが大人になったらどうだろう。いま遊んでいる仲間たちと遊ぶことはできるだろうか。
出生のスタート地点はみんな同じであるが、生きていく以上、ルートが枝分かれしていくのは避けられない。
そこで出会ったのが、いま遊んでいる仲間たちだと思う。とはいっても、これもいじわるな道のりであり、仲間はいずれ進学や就職、結婚などにより、離れてしまう場合もある。
それでも、私から言わせてほしいのが、子供のまま「遊ぶ」ということを忘れないでほしい。仲間が変わっていても、いなくても、大人たちに「遊んでほしい」と呼び掛けたい。
「遊ぶ」ということは「子供」に還ること。「子供」に還ることは大人になってみれば大事なものであり、尚且つ心に子供が住んでいる。そんな気持ちで、たまには息抜きをしてほしい。
忙しいから遊べないというのであれば、そこに遊び心を足せばいい。日常にプラスチャイルドがいることで、きっと毎日が楽しく、子供に戻ったような気持ちになれるはずだ。
子供のままではいられなくても、遊ぶことできっと得られるものがあると私は信じている。
だからこそ、大人こそ子供のままであってほしいのだ。
余談だが、私は仲間と遊ぶよりも一人で遊ぶことが好きで、どちらかというと内向的な性格かもしれない。しかし三十代になった頃から、人との繋がりがとても貴重な糸に思えてきた。なので人とすれ違ったら、誰に対してもまず挨拶を心掛けている。
すると、知り合いなのか変質者なのか区別ができないおじさんが一人出てきた。笑い話であってほしいことを願う。
高校2年の合唱部で唄った
松任谷由美の『卒業写真』の歌詞の中身が、
当時は分からなかった。
日々は地味で毎分毎秒の積み重ねってだけなのに、
私はあの歌詞の意味が実感できるようになっている。
あの小さな田舎の町で暮らしたのは
たった18年しかない。
なのにその後の32年過ごしている東京よりも
長く感じるのは何故だろう。
部活も習い事も一生懸命頑張った。
辛い時間も多かったのに。
楽しいことばかりが脳裏に浮かぶのは何故だろう。
苦労の時間も全部良かったって思えるのはどうしてなのかな。
『卒業写真』の意味はわかるようになってしまったけれど、
私の心はあの頃のままだ。
ちっとも大人になんかなってはいない。
だったらどこまでも子供のままで在りたい。
真っ直ぐに謙虚にわがままに。
素直で自分に優しい生き物として。
いつまでも子供のままのような無邪気と無鉄砲さを持ち合わせている彼。
時折自虐のように、◯歳なのにこんなのでいいのか自分は、などと言っているけれど、わたしはそんなところが大好きなのだ。
大人然とするなんて、そんなことは責任を取るべきところで取るというくらいでいい。
楽しいものや気持ちのいいものを心のままに子供らしく作ったり見せるあなたは素敵であなたらしい。
いつまでもそんなあなたらしくいてほしいと勝手に願っている。
【子供のままで】
虫かご持った?
虫取り網持った?
帽子被るってる?
よし(๑•̀ㅂ•́)و✧ レッツゴー
【子供のままで】
今の感覚を持ったまま、子どもで居たかったなぁ
そうしたら、苦しみもまた違ったんだろう
もしかしたら、チャンスも掴めたかもしれない
でも今の感覚は、経験や年齢を重ねて得たもの
子どものままの感覚も、時として大切か…
じゃあ私の場合、子どものままでいたら
結局ずっと悩んだり苦しんだりが続くだけなのかもしれないね
それは嫌かな
子供のままでいたかったな〜、
難しいことなんて考えないで楽観的に考える世界笑
子供のままで。(二十三日目?)
今回も語り系ですよ、ハイ。←
そんな事は置いといて皆さん。
こう思ったこと、ありませんか?「子供」に戻りたいと
学生さんでもいるかもしれませんね?「あぁ…3,4年前でいいから戻ってみたい」とか「この選択をしていたら楽しかっただろうに」とかそんな後悔もあると思います。
皆さんはどれくらい前に戻りたいですか?
就活生の方達は18年前くらいに戻ったりして、ただ無邪気で世間を知らずに微笑むそんか子供のままでいたい方も居たはずです。なんせ世界は広いんですから。
例えばもうそろそろ亡くなりそうなお爺さんがいるとしましょう。何処かのお爺さんもこう思ってるかもしれません。「7,8年前に戻りたかった…なぁ」とかそんなことを言ってるお爺さんもきっと、"きっと"いるでしょう。
さて、皆様に聞いてばかりじゃダメですよね。一応語り系(笑)として書いているので。
私は現在(設定)で25歳(としようとしている男性)です。
私は26年以上前でしたらなんでもいいです。兎に角この世界に生まれたくなかった。こんなクソみたいに這いつくばって生きる人生を歩み…這いずりたくなかった。
だから最初から存在しなくて俺の存在を気にしなくていい26年前に戻りたいです。
私の語り話(笑)はこんなもんです。
兎に角、人それぞれということを忘れずに…
じゃ!また次回!!(逃げてないよ)