『好き嫌い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
食べ物の好き嫌いはとても多い
あまり信じてもらえないが
嫌いな物を食べると気持ち悪くなってしまう
好き嫌い無く
なんでも食べられる人が羨ましい
たくさんの美味しい物を美味しく食べることができるのだから
子供の頃から好き嫌いが激しかった。
好きな物はめっちゃ好きで
嫌いなものはとことん嫌う
そんな生活をずっとしていた。
大人になったら好き嫌いを
あまり出してはいけないことを知った。
好き嫌いなんてまだ沢山あるのに
─────『好き嫌い』
五歳のころ。
「ピーマンとなすはきらい。あまいものは、すき!」
高校生の頃。
「野菜は〜できれば避けたいかな、うん。あと辛いものが苦手。コーヒー飲めない。チョコと納豆が好きかな」
現在。
「野菜? シャキシャキ感が残った玉ねぎは嫌いかな、生は論外。ネギも無理。コーヒーもだけどお酒が一滴も飲めない。一口飲んだだけで眠くなって気持ち悪くなって頭が痛くなる。
……甘いもの好きか? まぁ好きだけど量が食べられないかな。一切れ、一皿で満足。あぁ、でも生クリームはちょっと苦手。冷蔵庫で一晩寝かせたショートケーキは好きだけど。
うーん、そうだな……。
五位、お好み焼きとかたこ焼きとか。
四位、パン。
三位、麺類。
二位、おもち。
一位、米。
そう、炭水化物が好き!」
『好き嫌い』
よくドラマやアニメ等で、母親が自分の子供に「ほーら、好き嫌いしないで食べなさい!」って言うのを見かける。だが私はそれを言われたことが無いような気がする。いや、正しくは"言われたかもしれないが、覚えていない"だろう。そう、私は基本ぼーーーっとしている人間だったのだ。人間という生き物でありながら人間ではなかった気がする。
__まあ実際宇宙人との交信と称して日頃から家の天井の角を見ながら「ぽろぽろぽろぽろ」と言ってたのだから、自分で自分に『ただの人間ではなさそう』という暗示をかけていた気もする。まあそうなった経緯はまたにしよう
真面目な話、自我が芽生えたのはきっと中学2年生あたりだと思う。ちょっと話は戻るけど、多分私は注意されても一切……とまではいかないけどあまり耳を貸さない人間だったんだと思う。昔も。そして今も。そりゃあ言われたら気にする。気にするけれど、何故か直したく無い、直せないという確固たる意志が根底にある。つまり頑固なんだろう。でもこれが私。良いように言うと「譲れないものを持っている」人間というわけだ。
そしてその結果。トマトが大嫌いなのである。トマトが嫌い。何故ならトマトだからだ。トマトがトマトである以上、私はトマトを拒み続ける。セロリもミョウガも嫌いだ。食べれなくはない。だが生で食べるのが本当に無理なのだ。トマトだってそう。調理してあればへっちゃら。だけど生は無理。あと冬に、お鍋に毎回入っているきのこ類も無理ということに気付いてしまった。 1度「むり」と思うとどんどんマイナスな方へ思考が転がる。シンプルだ。【むり→不味い→嫌い→吐きそう】何かに活用できるかな。少なからず私が本を出すとしたら必ずこの4原則は使うね。
実は昨日の夜ご飯に出た千切りキャベツ……と何故かトッピングされたミョウガが激まずで、全部食べるのは本当に無理だったから捨てちゃった。こちとら千切りキャベツを食べるのに必死なのに。
ミョウガはダメです。
ということで、結論【人には必ずしも好き嫌いがある】ということですね!
あたしは嫌いなものが多い。
海鮮も嫌いだし、肉も野菜も嫌い。
あたしから貴方を離そうとするあの人も嫌い。
でも、好きなものもたくさんある。
風になびいてるカーテン、風鈴の音。
そしてあたしの笑顔が好きだって言ってくれる貴方のこと。
好き嫌い
うーん…。
意外とピーマン好きですね。
うーん…。
意外とステーキ嫌いですね。
僕には好きな人と苦手な人がいる。
でもそれは、きちんと関わった上で、相手がどのようなものが好きか、どんな人が好きか、どんな性格をしているのか、そういうのを全部把握した上で好きか嫌いかを決めている。
1度関わってみないと自分が本当に苦手なのか分からない。だから僕は、噂などに惑わされず、きちんと自分で関わってから判断するようにしている。
やだやだ! ピーマン嫌い! だから食べない! ゴミ箱に捨てるんだ!
勉強も嫌い! 算数のドリルなんかぐちゃぐちゃにして、これもポイ!
やだ! このおもちゃ飽きた! ゲーム買って! やだやだ! こんなおもちゃ壊してやる!
お願い聞いてくれないママなんて嫌い! いなくなっちゃえ!
…………ママがいない。どこ行ったの!
やだ。ママがいなくなっちゃやだ! もうわがまま言わないから!
涙が止まらないよ。
「どうしたの? 買い物行ってただけよ」
ドアが開いて、ママが帰ってきた。良かった〜。
やっぱりママのこと、大好きだよ!
『好き嫌い』
『好き嫌い』
人からの評価を恐れるくせに
私は人を評価する癖があった
あの子のあんなところが嫌い
悪いところを見つけると
一気にその子の評価が下がる
良いところを見つけると一気に評価は跳ね上がる
でも大切な人、家族、友達は
好きでいたいじゃない
欠点もその人の味
完璧な人なんてどこにいるというのだ
大切な人をずっと好きでいたいから
欠点なんて風には考えない
考えそうになったら思考を止める
嫌いになんてなりたくないもの
私だって相手にとって
完璧な人ではないはずだからね
人は誰しも好き嫌いがあるだろう。食べ物の好き嫌い、人間関係の好き嫌い。一度経験してこれは好き、これは嫌いと言うのはいいけれど、経験もせず勝手な想像で好き嫌いを決めてしまうことは良くない。だから、これからは自分勝手に好き嫌いせず色々なことに挑戦していきたい。
障がいをもった子どもの園に行かなきゃいけない
正直全く気乗りがしない
どんな子なのかまるでわからないし、障がいを持っている人に対して色々あったせいで良い印象がない
さらに、今のわたしのメンタルじゃあ多分子供とうまく遊べない。それで傷付けたら尚更だ。
好き嫌いとかの問題じゃなくて、自分のメンタルがイカれてるから行きたくない
好き嫌い
とか 言ってる場合じゃなく
いま、人がまわり何人かいる 狭い室内で怒られ中なのに
メッチャ おならでたいの!
早くして 早くしてーー!
好き嫌い。
これは表裏一体である。
きっかけひとつで、好きにも嫌いにもなる。
自分の気持ち次第だか、きっかけは
突然訪れる。
いつ訪れるのなんて、知っているのは
神様ぐらいだ...
だから、
人目なんて、気にせずでいいと思う。
気にせず、生きていきたい!
そう、思うがなかなかできない。
わかっているけど私はできない...
今日も、1歩ずつがんばる。
「好き」も「嫌い」も
あなたに会うまで、決める側だったのに。
お題『好き嫌い』
人間好き嫌いがあるのは当然のことで、それは食べ物でも人でも同じことだと思う。
嫌われる食べ物に罪はないように、嫌われる人間にも罪はない。
苦いとか、食感が苦手とかでその食べ物を嫌う人もいれば、そこが良いといって好む人もいる。
つまり、人に対する好き嫌いも同じで、その人の個性について、個人的に好きか嫌いかというだけなのである。
なので、嫌われたからといって、自分が駄目なのだと思う必要はなく、嫌われた相手の嗜好には合わなかったのだと考えるだけで十分である。
その個性が好きという人もいるのだから。
とはいえ、他人を傷つける行為をすることには、自制が必要であると思う。他人を傷つけない範囲であれば、それは自分の個性と考え、自信を持っていいのではないか。
好き?嫌い??
嫌いじゃないけど生理的にムリ〜!
というの、実際ありますね。
遺伝子的に遠い同士ほどマッチングするらしく、思春期の娘がお父さんウザいって言うのも仕方ないのかもしれないですね。
#好き嫌い
好き嫌い
対比的に描かれる概念だと思う
だけどそれよりも大切な事って
この世の中、他にも沢山あって
だけどそれに囚われる意味って
人によって違うのかなとも思う
ボクは人が喜ぶのは好きだけど、嫌いなことはしたくない。
でも、人間とは不思議な生き物で、敵意があったわけじゃないのに悪者にされてしまう時がある。
だからボクは、人間の事は好きでもあり、嫌いでもある。
子供の頃は好き嫌いの対象が主に野菜などの可愛いらしいものだったことに対し、歳を重ねるにつれてその対象が人間や社会に向いてしまったのは何故だろう。
私は料理を作る事が好きだ
色々な素材を掛け合わせる事は
ちょっと実験にも似ている…
気に入った調味料はラベルを確認しながら材料を揃えて再現する。
仕上げは自分自身の味覚で決める…
そうして買わなくなった調味料は
だし巻き卵の素·焼き肉のたれ·ポン酢
ドレッシングなど…
自分で作ると添加物がなく安心出来る。
今は「好き嫌い」なく何でも口にする私
だが、昔は偏食が凄くて大好物は
インスタントらーめんにポテトチップス
ホント食べられない…いや食べない物が
沢山あって人生随分と損をした。
けれど人も味覚も変化をし続けていく…
家族の食を預かり自分自身も動ける体を
維持する為に「体に優しい食」をいつも
心がけている…
旬の食材を食べる事も大切な事だ…
何より「美味しい!」の笑顔を見る為に
今日も台所で実験は続く…